社会契約論 ジャン=ジャック・ルソー
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社会契約論

ジャン=ジャック・ルソー

平林初之輔訳・縦書き読書版

エピグラフ

我等平等の契約を結ばん

(ヴァージル「エーネイド」第十一章三二一)


序言

この小論文は、私が、以前に、自分の力も考えずに書き始めて、その後長い間そのままになっていた、もっと浩澣こうかんな著述から抜粋したものである。その著述からは、もっと色々な断片を抜粋することもできたのだが、ここに抜粋した部分は、その中で最も重要なもので、最も公表する価値のあるものだと私に思われた部分である。これ以外の部分は、もう既になくなってしまった。


第一篇


第一篇 序言

私は、社会組織の中に、正当にして確固たる何等かの政治の原則があり得るものか否かを、あるがままの人間をとり、あり得るままの法律をとりて、研究して見たいと思う。この研究において私は、正義と利益とが、離ればなれなものになってしまわないように、常に、法律の認めて許すところのものと、利益が命ずるところのものとを結びつけるように努力するつもりである。

私は、私のここで論ずる問題が、如何に重要なものであるかということを証明はせずに、すぐに本題にとりかかることにする。私が政治に関して筆をとるからといって、私を帝王か立法者じゃないかとたずねる人があるかも知れない。私は否と答える。しかもそれだからこそ私は政治に関して筆をとるのだと答える。もし私が帝王や立法者だったら、当然実行すべきことを、口先で論じて、あたら時間を空費するようなことはしない。私はただちに実行する。実行しないなら黙っている。

自由国家(これはジュネーヴのことである)の市民として生れ、主権者(ルソーにとっては主権者は市民である)の一員である私の発言が、国家の政務に及ぼす力は、よしどれ程微々たるものであるにもせよ、いやしくも私が国家の政務に投票する権利をもっているということだけでも、その政務について研究すべき義務を私に課するには十分である。私が想いを諸々の政治にめぐらす度毎に、常に我が祖国の政治を愛せねばならぬ新たなる理由を、私の研究の中に見出すのは欣快きんかいに堪えぬところである。


第一章 第一篇の要旨

人間は生れたときは自由である。しかるに人間は至るところで鉄鎖につながれている。自ら他人の主人であると信じている人も、何ぞはからん、却って自分が支配している人よりも一層奴隷的状態にあるのである。どうしてこんな変化が起ったか? それは私は知らない。しからばこれを正当なものとなし得るものは何か? この問いになら私は答えることができると信ずる。

もし私が、暴力と暴力から生ずる結果とだけしか考慮に入れないならば、私はこう言うだろう。『ある国民が服従を強制され、そして服従しているならば、それで結構だ。この国民が束縛を振りほどくことができるようになって、それを振りほどくならそれは尚更結構だ。何となれば、その国民は、自分がかつて自由を奪われたのと同じ権利によりて自由を取り返すのだから、その国民が自由をとり返すのが正当であるか、もしそれが正当でないなら、自由を奪いとったものの方がそもそも間違っていたか、どちらかであるからだ』。ところが社会組織というものは神聖不可侵な法 droit sacré であって、この法が、他の一切の法の基礎になっているのである。とは言え、この法は決して自然から生ずるものではないから、規約の上に築かれているものでなければならぬ。そこで、この規約が何であるかを知ることが問題となって来る。しかし、それを探究する前に、私は、今述べた事を立証しておかねばならぬ。


第二章 最初の社会

あらゆる社会の中で、最も古くかつ唯一の自然な社会は家族という社会である。その家族においてさえ、子供等が父親に結びつけられているのは、子供等が、自己の生命を維持するために父親が必要である間だけである。この必要が止んでしまえば、すぐに自然のきづなは解けてしまい、子供等は父親に対する服従の義務から免がれ、父親は子供等に対する養育の義務から免がれて、双方ともに独立してくるのである。もしこの父親と子供等とがそれ以上一緒になっているなら、それはもう自然にそうしているのでなくて、任意にそうしているのである。それだから、家族でさえも規約によっていなければ維持されないのである。

この双方に共通の自由は、人間の本性から生ずるものである。人間の第一の本分は、自己の生命の保存を念慮することである。人間のなすべき第一の配慮は、自己に対する配慮である。そこで、人間は、理性の齢に達するや否や、自己の生命を保存するための正当な方法を識る唯一の判断者となり、従って自分自らの主人となるのである。

だから、家族は、政治的社会の最初の雛型であると言っても差支えない。即ち、君主は父親にあたり、人民は子供達にあたるのである。そして人民にしても子供にしても、生れた時は平等で、かつ自由なのだから、自由を他人に譲り渡しているのは、皆、自分達の利益のためにそうしているに過ぎぬのである。ただ、家族の場合と国家の場合と異なっている点は、家族においては、父親は子供達に対する愛のために、子供達の世話をするのであるが、国家においては、君主は、その人民に対して、愛をもってはいないのだから、支配をすることの快感が、愛の代りをつとめるというだけである。

グロチウス Grotius は人間の一切の権力は、被治者に有利であるという説を否認し、その例として奴隷をあげている。彼が最もしばしば用いる推理の方法は、常に事実によりて法を立証する論法である。〔註〕我々は、もっと論理的な方法を用いることができるだろうと思う。但し、それは暴君にはもっと都合のよくない方法ではあるが。

〔註〕『公法に関する諸々の学究的研究は、しばしば古代の悪習の歴史にすぎないことがある。故に、これをあまり深く研究しようとして労力を費やすのは無駄な穿鑿せんさくである』(Traité des intérêts de la France avee ses Voisins, par M. le marquis d'Argenson, imprimé chez Rey, à Amsterdam.)。グロチウスのなしたところは正しくそれである。

それ故に、グロチウスによると、人類全体が百人ばかりの人間に属しているのか、あるいは、この百人ばかりの人間が人類全体に属しているのかが疑問になって来るのである。しかも、彼の著書(「市民論シトワイアン」)の全体から察すると、彼の意見は、どうやら前者に傾いているらしい。ホッブズ Hobbes の意見もまたそうである。こういう意見に従うと、人類は、若干の家畜の群に分れていて、その群にはめいめい一人ずつの主人がついており、その主人はその家畜を食わんがために飼養しているのだということになる。

牧者が自分の飼養している家畜の群よりも、その性質が優れていると同様に、人間の牧者たる君主もまたその人民よりも、優れた性質をもっているのである。フィロン Philon の言によれば、ローマ皇帝カリグラ Caligula は以上のように推論して、はては国王が神であるか、でなければ人民が畜類であるか、どちらかだと立派に結論したということである。

このカリグラの推論はホッブズやグロチウスの推論と一致している。アリストテレス Aristotle もまた、この人々の誰よりも以前に、人間というものは、決して生れながらにして平等ではなくて、ある者は奴隷として生れ、ある者は支配者として生れるのだと言っている。

アリストテレスの説は正しい。けれども彼は、結果と原因とを取り違えているのである。生れながらにして奴隷となっている人々が皆奴隷として生れたのだということぐらい確かなことはない。だが奴隷は、鉄鎖につながれているために一切のものを失ってしまっているのである。その鉄鎖から脱しようとする欲望すらも失ってしまっているのである。ユリシーズ Ulysse の仲間の者がその野獣のような無知な状態を好んだように〔註〕奴隷共は、自己の奴隷であることを好んでいるのである。だから、天性の奴隷があるとしても、それは、それ以前に天性に反して奴隷とされたものがあったからのことである。最初に奴隷をこしらえたものは暴力で、奴隷の卑劣のために、それが恒久的なものになったのである。

〔註〕「獣類にも推理の力あり」というプルタルコスの小論文を参照せよ。

私はアダム王 Adam や、宇宙を分割した三人の君主の父親たるノア皇帝 Noé ――サトゥルヌスの子供等もノアの子供等と同じく二人で世界を分割したので、ノアの子供達とサトゥルヌスの子供達とは同じ人だと信じているものもあるが――のことは何も言わなかった。この点で、私が何も言わなかったのは感謝していただけると私は信ずる。何となれば私はこれ等の帝王の中のいずれかの直系であり、ことによったら、その嫡系なのかも知れないのだから、戸籍調べをして見れば、私が人類の正当な王にあたっているのかもわからないのだから。それはいずれにしても、アダムが世界でただ一人きりの住民であった間は、ロビンソン・クルーソーが彼の島の主権者であったように、アダムが世界の主権者であったことは疑うべからざることだ。しかもこの帝国では、君主の王位が大磐石で、叛乱や、戦争や、陰謀者などの恐れがなかったという都合のよい点もあったのだ。


第三章 強者の権利

どんなに強い者でも、その力を権利に変え、その服従を義務に変えなかったならば永久に支配者たるの地位を維持するに足る程には強くない。そこで強者の権利というものが生ずる。この権利はどう見ても皮肉な意味にしかとれぬが、その実、根本的原則として確立されているのである。けれども、この強者の権利という言葉はついに我々には説明されぬだろうか? 暴力は一つの物理的の力である。この物理力がどうして精神的の結果を生ずるのか私には解することができぬ。暴力に屈するのは必然の行為であって、意志の行為ではない。せいぜいのところ、それは用心から出た行為である。それが如何なる意味において義務になり得るだろうか?

しばらく、この所謂いわゆる権利が正しいと仮定しよう。するとその結果として、わけのわからない無茶苦茶が生ずるばかりである。何となれば、力が権利をつくるのだとすれば、結果はすぐに原因と共に変わってしまう。即ち、最初の力に打ち勝つ力は、最初の力から生じた権利をもぐからである。罰を受けることなしに反抗することができれば、その反抗は正当なものになる。そこで、最強者は常に正しいということになり、最強者になろうとすることより他には問題はなくなる。ところで、力が止むと共に消滅する権利とは一体何であるか? 力のために服従しなければならぬとすれば、義務によって服従する必要はない。しこうして、服従を強制されなければ、服従する義務はないことになる。そこで、この権利という言葉は、力に何物をも付加するものでない。この言葉は、ここでは、まるで無意味になる。

権力に服従せよという文句が、もし、力に屈せよということを意味するなら、この教えは間違ってはいない。けれどもそれは無用の教えである。私は、こんな教えは決して破られる気遣いはないと答える。全ての権力は神から来るものであるという説は私は認める(フィルマー、ボシュエ等は神権説を唱えている)。けれども、全ての病気もまた神から来るのだから、医者などを呼んではならぬということになるだろうか? 一人の強盗が森の隅で不意に私を襲ったら、私は、向こうが力づくで財布を奪うときばかりでなく、その財布を渡さなくてもすむ場合にでも、わざわざそれを渡す義務があるのだろうか? 何となればその泥棒がもっている拳銃だって要するに権力なのだから。

だから、力は権利をつくるものでなく、我々は正当な権力にしか服従する義務はないものであるということを認めることにしよう。かくの如くして、私の最初の問題がいつまでも帰ってくるのである。


第四章 奴隷

何人も、生れながらにして、自分の仲間を支配する権威をもっているのではなく、また、力からは如何なる権利だって生じないのだから、人間同士の間の、一切の正当な権威の基礎は、契約にあるということになって来る。グロチウスは、もしある個人がその自由を譲り渡して主人の奴隷になることができるなら、人民全体だってその自由を譲り渡して、国王の臣民になれぬ道理はないと言っている。この文句の中には、説明を要する曖昧な言葉が大分ある。けれども、その中で譲り渡すという言葉だけを検査するに留めよう。譲り渡すということは、与えることか、あるいは売ることかである。ところで、他人の奴隷になる人は、自分の身を与えるのではなくて、自分の身を売るのである。少なくも自分が生きてゆくために身を売るのである。ところが、人民は一体何のために自己を売るのであるか? 国王というものは、生活資料を臣民に仰いでいるのだから、臣民にその生活資料を供給するどころの話ではない。それに、ラブレイによれば、国王は、僅かばかりの物資で生活しているのではない。しからば、臣民は、自己の財産まで取って貰いたいという条件で、自己の身を与えるのだろうか? そんなことをしたら、彼等の手に何が残るか私にはわからない。

専制君主は、その臣民に社会的安寧を与えると言う人がある。けれども、国王の野心が臣民に招きよせる戦争や、国王の飽くなき貪婪どんらんや、国王の閣臣の虐政などが、臣民の間に軋轢がある以上に臣民を苦しめるならば、臣民はこの安寧によりて何の利するところがあるか? もし、この安寧そのものが臣民の不幸の一つであるとしたならば、臣民はこの安寧によりて何の得るところがあるか? 安寧な生活なら、牢獄の中ででも送れる。それだからといって、牢獄が良い所だと言えるだろうか? キュクロープスの岩窟に幽閉されていたギリシャ人(ユリシーズとその仲間のことである)は、そこで、安寧な生活を送って、自分が食い殺される順番が廻ってくるのを待っていたのである。

ある人間が、ただで自分の身を他人に与えるなんていうことは、不合理な、考えられないことである。かくの如き行為は、不法な、無効な行為である。それは、そんなことをする人は常識を失っているという単なる理由からである。それと同様のことを一国民全体について言うなんてことは、国民を狂人と仮定するものである。狂気から権利が生れたりするものではない。

たとえ各人が自己を他人に譲り渡すことが出来るとした所で、彼はその子供等を譲り渡すことは出来はしない。子供等は自由な人間として生れたのだ。子供等の自由は子供等のものであってそれを処分する権利をもったものは、子供等以外にはないのだ。子供等が理性の年齢に達するまでは、父親は、子供等の生命の保持と、子供等の幸福とのために、子供等に代って、色々な条件をきめることはできる。けれども、父親は、子供等を、取り返しのつかない契約で無条件に他人に与えることはできない。何となればこのような贈与は、自然の目的に反し、父親の権限を越えたものだからである。故に、専制政府を正当なものとするためには、国民は、一代毎にこの政府を承認するか拒否するかを自分で決することができる必要がある。けれども、そうなってしまえば、この政府はもはや専制政府ではなくなってしまう。

自由を放棄することは、人間としての資格を放棄することである。人間の権利を放棄することである。人間の義務をさえも放棄することである。全ての物を放棄する人にとっては如何なる補償もあり得ない。かくの如き放棄は、人間の本性と相容れないものだ。意志から自由をすっかり奪うということは行為から道徳的意義をすっかり奪うことと同じである。最後に、契約者の一方に絶対的の権威を与え、他方に無制限の服従を強いるような約束は、無効な、矛盾した約束である。我々がある人から何でもとることのできる権利をもっているとすれば、我々がその人に対して何等の義務をも負うていないことは明白ではないか? そして、補償物も、交換物もなしに与えるという条件そのものが、既にこの契約の無効であることをその中に含んでいるではないか? 何となれば、私の奴隷のもっているものは全て私のものであり、彼の権利は私の権利である以上、私の奴隷は私に対して如何なる権利を有するだろうか? しからば私自身に対する私の権利なんていう言葉は無意味な言ではないか。

グロチウスやその他の人々は、所謂いわゆる奴隷権が生じた別の起源を戦争に求めている。彼等によれば勝者は敗者を殺す権利をもっているのだが、敗者は自己の自由を代価として支払って、自己の生命を買うことができるというのである。しかもこの契約は、契約当事者の双方に利益だから、益々もって正当なものだというのである。

けれども、この所謂いわゆる敗者を殺す権利なるものは、断じて戦争状態から生れるものではない。人間というものは、原始時代にはばらばらに独立して住んでいるものであって、その相互関係が、平和状態や戦争状態を構成する程強固なるのではないという事実だけによっても、決して互いに本来の仇敵ではないのである。戦争は、事物の関係から起るのであって人間の関係から起るのではないのである。しこうして、戦争状態は単なる人間同士の関係からは生じ得ないものであり、事物の関係からのみ生ずるものであるから、個人戦争、即ち、人と人との戦争は、恒産のない自然的状態においても存在しないし、全てのものが法律の支配の下にある社会的状態においても存在しないのである。

個人間の私闘、決闘、格闘等のような行為は、決して如何なる状態をも構成する行為ではない。フランス王ルイ九世の勅令(ルイ九世は諸侯間の私闘を根絶せんとして双方が干戈かんかに訴えるまでに四十日間の仲裁期間を守るようにした)によりて認可せられ「神の平和」(la Paix de Dieu)の宣言(一〇三五年ガリチアの貴族等が貴族の私闘を止めしめるために発した宣言である)によりて停止された私闘の如きは、封建政治の悪習である。この封建制度そのものが、そもそも、自然権の諸原則に反し、あらゆる善政に反したこの上もない不合理の制度なのである。

それ故に、戦争なるものは、人と人との関係ではなくて、国家と国家との関係であり、しこうしてこの戦争においては、各個人は偶然に敵となっているに過ぎぬのである。人間として敵になっているのでもなければ、市民として敵になっているのでもなく〔註〕兵卒として敵になっているのである。祖国の一員として敵になっているのではなくて祖国の防衛者として敵になっているのである。最後に各国家は、他の国家を敵とすることができるだけであって、人間を敵とすることはできないのである。何故なら、性質を異にした物の間には、物的関係を打ちたてることができないからである。

〔註〕世界の如何なる国民よりも戦争法規をよく理解し、よくこれを尊重したローマ人は、この点に関して極めて細心であって、市民は、明白にある敵に対してでなければ、しかもかくかくの敵に対して戦うために志願するのであるといって敵の名を指名しなければ義勇兵になることが許されなかった。カトーの息子はポピリウスの旗下に従って初陣したのだが、その軍団が一度解散して再び編成された時に、父親のカトーはポピリウスに手紙を送って、第一回の入隊の宣誓はもう無効になって、彼の息子はもはや敵に対して武器をとることはできないのだから、彼が引き続き貴公の軍隊に留まっていたいというなら、彼に改めて入隊の宣誓をさせてもらわねばならぬと言い送った。それからまたこの父親のカトーは、自分の息子にも手紙を書いて、新たに宣誓をするまでは、従軍を差し控えるようにと言い送った。世人はクルシウムの攻囲及びその他の特別の例をあげて私の説に反対するかも知れぬが、私は法則になり、慣例になっているものを引用したのである。ローマ人くらい自国の法律に滅多に違反しなかった国民はない。そして、ローマ人ほど立派な法律をもっていた国民は他にはない。

この原則は、あらゆる時代を通ずる規則、並びに、あらゆる文明国民が常に行って来たところの慣例とも合致している。宣戦の布告は、国に対する通告であるよりも、より多くその臣民に対する通告である。帝王に対して宣戦せずに、臣民を強奪したり、殺戮したり、拘禁したりする外国人は国王であろうと、個人であろうと、国民であろうと、それは、敵ではなくて強盗である。戦争の真最中においてでさえも、正義を重んずる帝王は、敵国において、公共に属するものは、全て奪うけれども、個人や個人の財産は尊重する。彼自身の権利の基礎となっている権利は尊重する。戦争の目的は敵国の破壊であるから、敵国の擁護者が武器を手にしている限りはこれを殺す権利がある。けれども、彼等が武器を捨てて降伏したならば、彼等はもはや敵もしくは敵の道具たることをやめて、単なる人間になったのである。故にこの場合にはもはや何人にも彼等の生命を奪う権利はないのである。時とすれば、国家の人員を一人も殺さずに国家を殺すことができる。しからば、戦争はその目的を達するに不必要な権利を与えるものではないのである。この原則はグロチウスの原則とは違っている。この原則は詩人達の言葉を根拠としているものではなくて、事物の本性から生じたものであり、理性を基礎にしているものである。

征服の権利は、強者の法を基礎としているものに他ならぬ。もし、戦争が勝利者に戦敗国民を殺戮する権利を与えるものでないとすれば、彼がもっていないこの権利が、戦敗国民を奴隷とする権利の基礎になるわけはない。我々は、敵を奴隷にすることができない場合にのみ、はじめてこれを殺す権利があるのだから、敵を殺す権利から敵を奴隷にする権利が生じはしない。だから、敵に、自由の代価を支払って生命を買わせるのは不正取引である。我々は生命に対しては何等の権利もないのである。生殺の権利を奴隷の権利の上にたて、奴隷の権利を生殺の権利の上にたてていては、循環論法に陥ってしまうではないか。

一歩譲ってこの全ての者を殺すことのできる恐るべき権利があると仮定しても、戦争によって俘虜にされた奴隷、あるいは征服された国民は、その支配者に対して何等の義務をももっているのでない。ただ強制されている間だけ彼に服従しているに過ぎないのである。勝者が敗者を殺す代りに、その生命の代償をとるのは、敗者に恩恵を施すわけではなくて、勝者は敗者を無駄に殺す代りに、有効に殺したまでである。だから、彼は敗者に対して力以外の権威は何も得ておらぬのであり、彼等の間には、以前と同じように戦争状態が継続しているのである。彼等の関係そのものが、戦争状態の結果生じたものである。戦争の権利の行使は如何なる講和条約をも予想してはいない。もっとも主人と奴隷とは一つの契約を結ぶには結んだのである。だがこの契約たるや、戦争状態をなくするものではなくてその継続を予想しているものなのだ。

かくの如く、如何なる方面から見ても、奴隷権なるものは無効である。単にそれが不正なものだからというばかりでなく、それが不合理な、無意味なものだから無効なのである。この奴隷という言葉と権利という言葉は矛盾するものであり、互いに相容れないものである。『俺はお前と一つの約束をする。この約束の負担は全てお前が負い、この約束の利益は全て俺がせしめる。そして俺は自分の好きな間だけこの約束を守るが、お前も俺の好きな間だけこの約束を守るのだ』というような言葉は、ある個人がある個人に向って言う場合にしろ、ある個人がある国民に向って言う場合にしろ、常に等しく無意味な言葉である。


第五章 常に最初の契約に遡らねばならぬ

私が、今まで論駁して来たことを、仮にすっかり承認したところで、専制主義の擁護者等の立場はそのために一向よくなりはしない。群衆を鎮めることと社会を統治することとの間には常に大きな相違があるのだ。ばらばらに分散している人が、一人の人に次々に奴隷とされたとしても、たとえその人の数がどれ程多くとも、それは依然として主人と奴隷とであって、国民と元首とではないと私は思う。それは集合 aggrégation と言いたければ言ってもよいが、それは結合 association ではない。それには公共財産もなく、政治体 Corp politique もない。この人は、よし世界の人間の半ばを奴隷にしても依然として一個人に過ぎない。この人の利益は他人の利益と別のものであって、常に私利に過ぎぬ。この人が死んでしまえば、彼の帝国は、統一を失ってばらばらになったままでいる。それはまるで、樫の木が火に焼かれてしまい、腐朽して灰になるのと同様である。

グロチウスは人民は国王に自己を譲り渡すことができると言った。そこで、グロチウスによると、人民は、自己を国王に譲り渡す以前にも人民だということになる。自己を与えるということその事が既に人民的の行為であり、公衆の評決を前提としてるものである。そこで、人民が国王を選挙する行為を調べて見る前に、人民が人民となる行為を調べて見る方がよい。何となれば、この行為は、必然的に前者に先だつ行為であって、社会の真の基礎だからである。

実際、前もって何等の契約もないならば、全員一致で選挙が行われないかぎり、少数者が多数者の選挙に従う義務が何処にあるのか。しこうして、支配者を欲する百人の者が、これを欲しない十人の者のためにそれを可決する権利が何処にあるか。多数決の法則そのものが既に契約の産物であり、少なくも一回の全員一致を前提としているのである。


第六章 社会契約

私は想像する、人間は今や自己を自然の状態に保存せんとするのを妨げる障碍の抵抗力が強くなって、各個人が自然の状態に留まらんがために用い得る力を凌駕する点にまで達したのだと。そうなってくれば、この原始状態はもはや維持できなくなり、人類はその生活状態を変えなければ滅亡してしまうことになる。

ところが、人間は新しい力を生み出すことはできるものでなく、ただ既に存する力を結合しこれを統制することしか出来ないのだから、自己を保持するためには、力を合一して総和となし、それによりて抵抗に打ち勝つより他に道はない。この合成力を一つの原動力によりて動かし、全体をこれに協力せしめるより他に道はないのである。

この力の総和は、多人数の協力によってのみ生じ得るのではあるけれども、各人の力と自由とは、各人が自己を保存するための第一の道具である以上、各人は、如何にして、自己に対する注意を殺ぐことなく、また自己に対する義務を忽諸こっしょに付することなくして、これを他の用途にあてることができるか? この難点を私の問題にもって来ると、次のような言葉で表わすことができる。

『個々人の連合の共同の力の全体をもって、各個人の生命財産を防護し、各個人は全体に結合してはいるが、やはり自己にしか服従せず、以前と同様に自由であるような一つの連合形態を発見すること』。これが社会契約によりて解決せらるべき根本問題なのである。

この契約の諸条項は、その性質上、ちょっと修正しても、無駄になり、無効になるように規定されているのである。そこで、この条項は、恐らく、まだ明文をもって公布されたことはないだろうが、何処へいっても同じものであって、一朝社会契約が破られてしまって、各人が契約上の自由を失い、この自由の代りに放棄された最初の権利と自然的な自由とに再び帰るまでは、何処ででも黙認され承認されているものである。

この諸条項は、正しく解すれば、全く一つの条項に帰してしまう。即ち、団体内の各人はその有する一切の権利と共に、自己を全共同体に譲り渡すということである。何となれば先ず第一に、各人が全く自己を譲り渡してしまえば、各人の条件は平等になる。そして各人の条件が平等になれば、何人も、他人の条件を負担の重いものにしたところで自分の利益にはならなくなるからである。

おまけに、この譲り渡しが完全に行われると、その結合はこの上なく完全になって、団体内の各個人はもはや要求すべき何物をももたなくなる。何となれば、もし、各個人に幾らかでも権利が残っておれば、個人と公衆との間を裁き得るような共通の目上の者はない故に、個人はある点では自己の判官であるものだから、すぐにそれを全ての点に及ぼそうとするようになる。そこで自然状態が存続し、その連合は必ずや専制的なものになるか、あるいは無用なものになってしまう。

最後に、各人は自己を全体の人に譲り渡すのであって、如何なる個人にも譲り渡すのではない。しこうして、各人は団体内の人々に対して、他の人々が自分に対してもっているのと同様の権利をもっているのだから、得る所と失う所とは五分五分であり、しかも自分のもっているものを保持する力は一層強くなるわけである。

そこで、この社会契約から、本質的ならざる部分を取り除いてしまえば、それは次のような言葉に要約されてしまう。『我々は各々その身体と力とを、共通に、一般意志 volonté générale の最高指導の下に委ね、そして改めてもう一度我々全体が各人を全体の不可分の部分として受け入れる』。

そこで、契約者個々人の代りに、この連合の行為から、集会が有する投票権と同数の、団員によりて組成された精神的にしてかつ集合的な一体が生れる。この団体は、この行為から、その統一と、その共同と、その生命と、その意志とを受ける。かくの如く他の団体員全部との合体によりてつくられたこの公人は、昔は都市 cité と称せられていたが〔註〕今日は共和国 républiqu あるいは政治体 Corps politique と称せられ、団体内の各員は、これを受動的には国家 État と呼び、能動的には主権者 souverain と呼び、それを他の同様の団体と比較する時には、 puissance という。またこの団体員は、集合的には人民 peuple と言い、個々人の場合には、主権に参与する時には市民 citoyens と言い、国家の法律に服従する時には臣民 sujets と言う。けれどもこれ等の名称はしばしば混同され、取り違えられている。ただこれ等の名称が正確に分けて用いられているときに、それを区別することができれば沢山である。

〔註〕この都市という言葉の真の意味は近代ではほとんど全く消滅してしまっている。大部分の人は、都会を都市と混同し、都会人を市民と混同している。彼等は、都会は家屋でつくられるものであり、都市は市民でつくられるものであることを知らないのである。この誤謬が、むかし、カルタゴ人に高価な犠牲を支払わせたのである。私は市民という名称が、帝王の臣民に与えられたのを読んだことはない。他の国民より遥かに自由であった古代のマケドニア人や今日のイギリス人さえも市民と呼ばれてはいない。ただフランス人だけは、事もなげに、市民と称しているが、それはフランスの辞書を見ればわかるように、彼等がこの言葉の真意を知らないからである。さもなかったら、彼等がこの言葉を冒用するのは不敬罪(le crime de lèse-majesté)にあたるだろう。この言葉はフランスでは、徳 vertu を表わす言葉であって、権利を表わす言葉ではないのである。ボダンが、我々の市民と都会人とを論じようとした時に、彼は、両者の意味を取り違えて大間違いをした。ダランベール氏はその「ジュネーヴ論」において、この間違いに陥らず我々の都市にある四階級の人間(単なる外国人を算入すれば五階級になるが)をはっきりと区別し、その中の二階級だけで共和国が構成されていることを明かにした。それ以外には私の知っているフランス人で、市民という言葉の真意を理解していたものはない。


第七章 主権者

この規定によりて、この連合の行為には、公共体と個々人との間に一つの相互的約束が含まれていること、並びに、各個人は、言わば自分自身と契約したのだから、二重の関係で約束を結んでいること、即ち主権者の一員としては各個人に、国家の一員としては主権者に約束していることがわかる。けれども、ここでは、何人も自己を相手とした契約には拘束されぬという民法の原則はあてはまらない。何となれば、自己に義務を負うのと、自己がその一部分であるところの全体に義務を負うのとは大変に違うからである。

更にまた、公共の議決は、各個人を異なった二つの関係の下に見ることができるから、臣民全体を主権者に対して義務を負わせることはできるけれども、その反対の理由によりて、主権者を主権者自身に義務を負わせることはできないということ、従って、主権者が、自ら破ることのできない法律を自らに課するということは政治体の性質に反するものであるということを注意する必要がある。主権者は、唯一の同じ関係の下においてしか考えられないものであるから、主権者が主権者に約束する場合は、丁度個人が自分自身に契約する場合と同じである。そこで、人民という団体に対して、義務を強制するような国家法は無く、そしてまた有り得ないということがわかる。社会契約でさえも人民という団体を拘束するものではないのである。とは言っても、この団体が、社会契約に抵触しない問題においても外部の者と契約することができぬという意味ではない。何となれば、外部の者に対しては、この団体は単なる一個体、一個人となるからである。

けれども、政治体あるいは主権者は、神聖な社会契約によりて、はじめて生じたものであるから、外部の者に対しても、断じて自己を拘束されることはできぬ。自己の一部分を譲り渡したり、自己以外の主権者に服従したりするような、この基本契約に抵触するが如きいかなる約束にも拘束されることはできぬ。自己の存在を支えているところの契約を破ることは、自己を滅ぼすことである。そして、無なるものからは、何も生れはしない。

この多数者が、かくの如く一つの団体に結合されるや否や、この団体そのものを攻撃せずして、団体内の一員を傷つけることは不可能となるのである。いわんや、団体員に影響を及ぼさずして団体そのものを傷つけることは更に不可能になるのである。かくの如く、義務と利益とが、等しく、契約当事者の双方を相互いに助けあわざるを得ざらしめる。そして、同一人が、二重の関係によりて、それから生ずる一切の便益を結びつけようとしなければならなくなるのである。

ところが、主権者は、これを構成する個々人によりてのみつくられているのだから個々人の利益に反する利益をもってもいないし、もつこともできぬのである。従って、主権者の権力は、臣民に対して保障を必要としない。何となれば、団体が、その団体内の個々人全体を害しようと欲することは不可能であるし、それからまた、この団体が団体員の如何なる一個人をも害し得ないことは、これから明かにしようと思う。要するに、主権者は、それが存在するというだけの理由で、常に主権者たるの資格を備えているのである。

しかしながら、臣民が主権者に対する場合は趣きが一変する。この場合には、主権者が臣民の忠誠を確保する何等かの手段を見出さない限りは、たとえ義務を果たすことが共同の利益であっても、誰もその義務を果たしはしない。

実際、各個人は、市民として彼がもっている一般意志に反した、またはそれと同化しない特殊の意志を、人間としてはもち得るものである。即ちその人の個人の利益と公共の利益とが全く違うことがあり得る。彼の絶対的な、従って独立した生存は、彼をして、公共に対する義務は、恩恵的の寄付行為であって、この寄付行為が彼自身に及ぼす負担に比べると、彼がそれを怠るために公共に与える損害の方が遥かに少ないと思わせるかも知れない。そして彼は、国家を構成する精神的人格をもって、それが一個の人間でないからという理由で、これを架空的存在と見倣し、市民の権利は享有するが、臣民の義務は履行しようとしないだろう。こんな不正が進んでくれば、やがて政治体を滅ぼすようになるであろう。

そこで、この社会契約を無益な規定たらしめないために、この契約は、一般意志に服従することを拒む者は、団体全体の力でこれに服従することを強制されるという約束を暗々裡に含んでいるのである。そしてこの約束のみが、爾余じよの約束に効力を生ぜしめるのである。これは、自由になることを強制されるという意味に外ならぬのである。何となれば、これは各個人を祖国に交付して、一切の個人的従属から彼を保護する条件であり、政治機関を運転せしめる条件であり、市民としての色々な義務を合法的たらしむる唯一の条件であるからだ。もしこの条件がなかったら、市民の義務は、不合理な、乱暴なものになり、最も恐るべき悪弊に堕するであろう。


第八章 社会的状態

この、自然的状態から社会的状態への推移は、極めて著しい変化を人間に与える。従来人間の行為を支配していた本能を正義に代え、人間の行為にこれまで無かった道徳的意味を与える。この時に至って、はじめて、肉体的衝動が退いて義務の声がこれに代り、正義が欲望の代りをつとめるようになる。その時まで自分のことだけしか注意しなかった人間は、他の原則に基づいて行動しなければならなくなったことに気づき、自己の欲求に聴従する前に、自己の理性に相談しなければならなくなったことに気づく。人間は、この状態において、従来自然から得ていた若干の便宜を失うけれども、その代りに、極めて大なる便益を得る。彼の技能は習練されて発達し、彼の思想は広くなり、彼の意見は高尚になり、彼の精神全体が高められるから、この新しい条件の濫用がしばしば以前の自然的状態以下に彼を堕落させることさえなければ、彼は、永久に彼を自然状態から離脱させ、無智蒙昧な野獣を理知的生物即ち人間としたこの幸福な瞬間を絶えず祝福せねばなるまい。

この差引勘定を、容易に比較することのできる言葉に縮めてみよう。人間が社会契約によりて失うところのものは、彼の自然の自由と、彼の心をひくもの、そして彼が手に入れることの出来るもの全てに対する無制限の権利であり、彼が得るところのものは、社会的自由(市民としての自由)及び、彼が所有する一切のものの所有権である。この得失を誤解しないためには、個々人の力以外に制限をもたぬ自然的自由と、一般意志の制限を受ける社会的自由とをはっきり区別しなければならぬ。また最初に獲得した人の先取権、あるいは暴力の結果に他ならぬところの占有 la possession と、明確な権利の上にしか樹立されない所有 la propriété とをはっきり区別しなければならぬ。

社会的状態の賜物として、上述のほかに、道徳的自由を付加することもできる。この道徳的自由こそ、人間を真に自己の主人たらしむる唯一のものである。何となれば、単なる肉体的欲望に走るのは奴隷的屈従であり、我々が自分でつくった法律に従うのは自由だからである。けれども、私はこの問題について、既にもうあまり多くの言を費やし過ぎた。それから自由という言葉の哲学的意味は、ここで私の関するところではない。


第九章 土地所有権

共同体の各員は、共同体が構成される時に、現在あるがままの自己、即ち彼自身及び彼の力並びにその一部分たる彼の財産をもひっくるめて、これを共同体に譲り渡すのである。これによりて、占有する人が変ったために占有の性質が変化し、主権者の手に移るとそれが所有になるわけではない。けれども、都市国家の力は、個人の力とは比較にならぬ程大きいから、公けの占有は、事実上、一層強固で、かつ一層安全である。とは言えその占有が一層正当になるわけではない、少なくも外国人に対してはそうである。何となれば、国家は、その構成員に対しては、社会契約によりて、彼等の一切の財産の所有主であり、社会契約は国内においては、一切の権利の基礎になっているのであるが、諸外国に対しては、各個人から譲り受けた先取権 le droit de premier occupant によりて、所有主となっているに過ぎないからである。

先取権は、強者の権利よりも真実なるのであるけれども所有権が確立されてからでなければ真の権利とはならぬ。人は皆自然のままでは、自分に必要なものを自分のものとする権利をもっているのであるが、人をして何等か特定の物の所有者とする積極的行為はその人を爾余じよの全てのものの所有者でなくしてしまうのである。自分の分け前がきまってしまえば、人はそれだけを守っているべきであって、共同体に対してそれ以上の権利はもたぬのである。そういうわけだから、自然状態においては、極めて薄弱である先取権が、あらゆる市民には尊重すべきものとなっているのである。この先取権においては、我々は他人の物を尊重するのではなくて、自分のものでないものを尊重するのである。

一般に、何等かの土地に対する先取権を正当ならしむるためには、次のような諸条件が必要である。第一にまだその土地に誰も住んでいないこと、第二に生計のために必要なだけの土地しか占有しないこと、第三にそれを占有するには、空虚な儀式によらず、労働と耕作によることである。この労働と耕作とは、所有権の唯一のしるしであって、法律上の資格がない場合には、他人はこれを尊重すべきである。

ところで、必要と労働とに応じて先取権を与える日には、先取権なるものを無制限に拡張することになりはしないだろうか? この先取権なるものに制限を加えることはできないだろうか? 共有の土地へ足を踏み込んだだけで、すぐさまその土地の所有主をもって任ずることができるだろうか? 一瞬間でも、その土地から他人を追いはらう力さえもっていれば、他人が再びその土地に帰って来る権利を無くしてしまえるだろうか? ある人またはある国民は、不法な強奪によらずして、どうして広大な土地を奪取して、一切の人類に手を触れしめないことが できるだろうか? 他の人々はこの強奪によりて、自然から共同に与えられた、居住地と食物とを奪われてしまうではないか? ヌニェス・バルボア(Núñez Balboa, 1475-1519, スペインの遠征家)が、海岸にたって、カスティーリャ王の名において南洋及び南アメリカ全土を占領した時に、それだけで、現在そこに住んでいる住民の所有権を無効にし、世界各国の諸王をこの大陸から拒絶するに十分だったであろうか? そういうつもりで、こんな全く無益な儀式がしばしば繰り返されたのだ。そして、このカトリック王は、雑作もなく一挙に全宇宙を占領してしまったのだ。但し、後になって、既に他国の王が占領していた部分だけは、自分の帝国から削除したけれど。

我々は如何にして各個人の土地が合一し、接続して公共の領土となるか、また、主権者の権利が、如何にして臣民から拡張して臣民の占有している土地にまで及び、同時に物権と人権とになるかを知っている。これが、その所有者を益々国家にたよらせ、彼等自身の力をして彼等の忠誠の保障たらしむるのである。この効能は、昔の君主にはよくわからなかったと見えて、彼等は自らペルシャ人の王と称したり、スキタイ人の王と称したり、マケドニア人の王と称したりして、自分を国土 pays の君主と考えずに、人民の元首と考えていたようである。今日の君主等は、それから見ると、もっと賢明で、自ら、フランス王、スペイン王、イギリス王などと称しておる。彼等は、こんな風に領土を確保することによりて、その領士の住民を確実に保有しているのである。

この(個人から国家への土地所有権の)譲り渡しにおいて、変った点は、共同体が人から財産を受領するのは、共同体が個人の財産を剥奪するのではなくて、却って個人の財産所有権を合法的にし、強奪を変じて真の権利とし、享有 la jouissance を変じて所有とするという点である。そこで、所有者は公共財産の保管者と見倣され、その権利は国家の全員から尊重され、外国に対して全員の力をもって保護されるのである。公共にも都合がよく、彼等自身には一層都合のよいこの譲り渡しによりて、彼等は、言わば、彼等が与えたものをすっかり取り返したのである。この逆語パラドクスは、主権者と所有者とが同一の土地に対してもっている権利を区別することによりて容易に説明される。そのことは後に説明する。

また、人々は何も所有しない前に団体をつくる場合もある。そして、後になって、全体の人に十分な領土を占領して、それを共同で享有するか、あるいはそれを各人に平等に分配するか、また主権者によりて定められた割合に従って分配する場合もある。この所有がどんな風に行われるにしても、各個人が自己の土地に対して有する権利は、常に共同体が全体の土地に対して有する権利に従属しているのである。そうでなければ、社会の結合は不安定となり、主権の行使には真の威力が失われてしまう。

私はこの章並びにこの篇を終えるにのぞんで、あらゆる社会組織の基本となるべき一つの注意をしておく。それは、この基本的契約は、自然の平等を破壊するどころではなく、却って、自然が各人の間にこしらえた肉体的不平等に代うるに、精神的、合法的平等をもってするものであり、各人は、体力及び知力においては不平等であるかも知れぬが、契約と権利とによりてことごとく平等になるということである。〔註〕

〔註〕悪い政府の治下においては、この平等は外観的であり、見かけだおしに過ぎぬ。貧者の貧困を維特し、富者の略奪を維持するに役立つに過ぎぬ。事実上において、法律は有産者には常に有益であるが、無産者には常に有害である。そこで社会的状態(自然状態に対する語)は社会の全員が幾らかの財産をもっており、沢山の財産をもち過ぎておるものがない時にのみ都合がよいということになって来る。


第二篇


第一章 主権は譲り渡すことができぬ

前述の諸原則から生ずる、第一の、そうして最も重要な結果は、国家設立の目的たる公共の福祉に従って、国家の諸々の力を指導することのできるものは一般意志のみであるということである。けだし個々人の利益が相衝突するからこそ社会の設立が必要になったのだとすれば、社会の設立を可能ならしめたものはこの個々人の利益の一致だからである。この各個人の千差万別の利益の中に存する共通点こそ社会的結合の連鎖なのである。もし全人の利益が一致する点が全然何もないとしたならば、如何なる社会も存在し得ないのである。ところが、この共通の利益に基づいてのみ、社会は統率されねばならぬのである。

だから私は言う。主権は一般意志の行使に外ならんのだから、決してこれを譲り渡すことはできぬ。また主権者は集合体に外ならんのだから、その集合自身においてのみしか代表され得ない。権力なら交付することもできるが、意志を交付することは出来ない。

実際、一個人の意志が何等かの点で一般意志と一致することは不可能でないとしても、少なくもこの一致が恒久的に持続することは不可能である。何となれば、個人の意志はその性質上特権に向い、一般意志は平等に向うからである。いわんや、この一致の保障を得ることは、更に不可能である。この一致がたとえ常に存在すべきであるとしても、それは人力をもって如何ともすべからざる天運だからである。主権者は『余は現在かくかくの人が欲していること、少なくも彼が欲しているであろうことを余もまた欲する』と言うことはできる。けれども、主権者は『この人が明日欲するであろうことを余もまた欲するだろう』と言うことはできぬ。それは意志が未来に関して自縄自縛することは不合理なことであり、如何なる意志も、意志する人の利益に反する事柄を承諾することはできないからである。故に、もし人民が服従することを約すれば、ほんのそれだけの行為によって人民は解体し、人民としての資格を喪失してしまうのである。支配者が生ずると同時に主権者はなくなり、それと同時に政治体はもう破壊されてしまうのである。

これは、主権者が、国家の元首の命令に反対する自由をもちながら、これに反対しない時でも、元首の命令を一般意志と見倣すことができぬという意味ではない。こういう場合には、人民全体が沈黙していれば、人民がそれに同意しておると見てよいのである。そのことはもっと群しく説明して行こうと思う。


第二章 主権は分割できぬ

主権は、譲り渡すことができぬと同じ理由によりて分割することもできぬ。何となれば、意志は一般的であるか〔註〕あるいはそうでないかどちらかである。国民総体の意志であるか、あるいは一部分の意思に過ぎないかどちらかである。前者の場合には、この意志の表明は主権の行為であり、法律となるものである。ところが後者の場合には、それは個人の意志、あるいは行政官の行為に過ぎない。せいぜいのところで、それは法令 décret たるにすぎぬ。

〔註〕ある意志が一般的であるためには必ずしもそれが全員一致である必要はないが、全員の投票が計算されるということは必要である。いやしくも正式の除外が行われる時は直ちに一般性は破れてしまう。

しかるに我が政治学者連は、原則においては、主権を分割することができないものだから、その対象においてこれを分割している。即ち彼等はこれを力と意志とに分割し、立法権と執行権とに分割し、課税権、司法権、宣戦権に分割し、国内行政と外国との条約締結権とに分割している。しこうして、時にはこれ等の部分を全く混交し、時にはこれを別々にしている。彼等は、主権者を色々な部分を寄せ集めてつくった架空物としている。それは、まるで沢山の身体、眼ばかりの身体や、腕ばかりの身体や脚ばかりの身体を寄せ集めて一人の人間をつくるようなものである。日本の大道手品師共が見物人の眼の前で子供の手足をばらばらに切り離して、それを一つずつ空中に投げると、それがすっかり一緒にくっついてもとの通りの生きた子供になって落ちてくるということである。我が政治学者共の手品もこれにそっくりである。彼等は、社会という身体を、見世物へ出しても恥ずかしくないような妖術を使って、ばらばらに切り離して、再びその細片をどうしてするのかわからぬが、一つに寄せ集めてしまうのである。

この誤謬は、主権に関する正確な観念がつくられていないこと、並びに主権の発動に過ぎぬものを主権の一部であると思い違えるところから生ずるのである。たとえば宣戦、講和等の行為は主権の行為と見倣されていた。けれどもそうではないのである。何故かというと、これ等の行為は法律でなくて単に法律の適用に過ぎぬからである。法律の適用される事件を決定する特殊の行為だからである。このことは法律 loi という言葉の観念が限定されれば明瞭にわかるだろう。

更に、主権が分割されている他の例を調べて見れば、我々が主権が分割されているように信ずる場合には常に我々が誤っていることがわかるだろう。我々が主権の一部分であると考えている色々な権利は、ことごとく主権に従属しているものであり、最高意志を前提としているものであり、ただ主権の執行に止まるものであることがわかるだろう

政治的権利に関する著述家共が、彼等が打ちたてた原則に基づいて、国王と国民とのそれぞれの権利を判断しようとしたときに、この点に関する不正確が、彼等の断定をどれ程曖昧不明瞭にしたかは数えきれない。グロチウスの著書の第一篇第三章及び第四章を見ると、この碩学並びにその翻訳者のバルベラック Barbeyrac が、彼等の考えより言い過ぎたり、言い足りなかったりしはしないかとびくびくし、彼等がうまく折り合いをつけねばならぬ色々な利益を傷つけはしないかと心配して、彼等自身の詭弁に自縄自縛されているのを見ることができる。自国に不平を抱き、フランスに亡命して、ルイ十三世にとり入ろうとし、自著を同王に捧呈したグロチウスは、あらゆる巧言の限りを尽くして国民の権利を奪い、その権利を国王の権利にしようと腐心している。同書の翻訳をイギリス王ジョージ一世に捧呈したバルベラックの心事もまたこれと同じであったのである。ところが不幸にして、彼が譲位と呼んでいるところのジェームズ二世の追放は、彼をしてウィリアム王を簒奪者にしまいために、言いたいこととも言わずに筆をそらし、まわりくどい言い方をしなければならぬようにした。もしこの二人の著述家が、真の原理を採用していたならば、そんな困難はすっかり除去されてしまい、終始辻棲のあった議論ができただろう。けれどもその代りに、彼等は悲痛な心持ちで真理を語り、そして人民以外の者には媚びなかっただろう。だが、真理は幸運へ導くものではなく、人民は、彼等を大使にも、教授にも、とりたててくれないし、年金もくれはしないのだ。


第三章 一般意志は誤ることがあるか

前に述べたことから、一般意志というものは、常に正しいもので、かつ公共の利益を目指しているものであるということになる。けれども、人民の決議が常に等しく正確であるということにはならぬ。人は常に自己の利益を望むものであるが、その利益が何であるかということを常に知っているとは限らない。人民というものは決して節を売ることはないが、欺かれることはしばしばある。人民が不正なことを望んでいるように見える場合は、そういう場合だけである。

全体の意志 la volonté de tous と一般意志 la volonté générale とは往々にして大変違うことがある。一般意志は共同の利益しか眼中におかぬが、全体の意志は私利を眼中におくものであって、個人の意志の総和に過ぎないのである。けれども、この個人の意志から、過ぎたものと、及ばざるものをプラス、マイナスして相殺すると〔註〕その差引総和として一般意志が残るのである。

〔註〕「各人の利益には各々異なった立場がある。二人の利益の一致は、第三者の利益を対抗させることによってつくられる」とダルジャンソン侯(Marquis d'Argenson)は言った。彼は全体の人の利益の一致は各人の利益を対抗させることによりてつくられると付け足すこともできたのである。各人の利益が相異しておらぬとしたなら、共同の利益なんていうものは、何等の障碍をも受けないのだから、感知されないだろう。全ての利益はひとりでに調和してゆき、政治なんぞは誰でもできるようになるだろう。

もし、十分な識見をもった国民が議決する場合に、市民の間に連絡がないならば(即ち市民が徒党を結んでいないならばの意)少しずつ意見を異にしている大多数の者から常に一般意志が生じ、その議決は常に良いだろう。けれども、党派が生じ、国家という大なる団体を犠牲にして党派という部分的団体が作られると、これ等各団体の意志は、その団員にとっては一般意志となるが、国家にとっては依然として個人意志である。即ちその場合には、もはや人間の数だけの投票者はなくなって、団体の数だけの投票者になってしまったと言うことができるのである。そうなると差異の数はより少なくなり、その結果はより一般的でなくなって来る。最後に、これ等の団体のどれか一つが非常に膨大して、他の団体をすっかり合せたよりも大きくなって来ると、その結果は、もはや少しずつの差異の総和はなくなり、ただ一つの差異だけになってしまう。そうなるともう一般意志はなくなる。優勢な団体の意見は、畢竟ひっきょう個人的の意見に過ぎないからだ。

だから、一般意志が十分に表明されるためには、国家の中に部分的な団体のないこと、各市民が独立の意見をつくることが肝心である。〔註〕偉大なるリュクルゴス(Lycurguo, 古代ギリシャの政治家と言われる)の荘厳無比な制度が、即ちそれである。もし、部分的団体がある場合には、その団体の数を多くして、不平等を避ける必要がある。ソロン(Solon, アテネの政治家)や、ヌマ(Numa, 伝説ローマ第二世王)や、セルウィウス(Servius, 同上第六世王)などのやりかたはそうだった。この二つの注意は、一般意志を常に正しくし、人民が決して欺かれないようにするために役立つ唯一の注意である。

〔註〕マキャヴェリは次のように言っている。『実際においては、共和国に有害な軋轢と、これに有利な軋轢とある。朋党や徒党をおこすような軋轢は有害なものであり、これ等のいずれをも起さないものは有利なものである。そこで共和国の創始者は、不和の生ずるのはどうすることもできないが、せめてこれが徒党にならぬようにすべきである』(Hist. Flo- rent; lib. VII.)。


第四章 主権の限界

もし、国家あるいは都市がそれを構成する各人の結合を生命とする精神的人格に外ならず、かつ国家あるいは都市のなすべき最も重要な配慮が、それ自身を保持せんとする配慮であるとすれば、国家は、全体に最も都合のよいように各部分を動かし、支配するために一つの普遍的強制力を必要とする。自然が各人に四肢の全体を支配する絶対的権力を与えているように、社会契約は政治体にその全員を支配する絶対権力を与えている。この権力こそ私が前に言ったように一般意志によりて指導され、主権と呼ばれているものなのである。

けれども、この公人の外に、我々は、これを構成している私人をも考慮しなければならぬ。私人の生命と自由とは本来公人と独立のものなのである。だから市民の権利と主権者〔註〕の権利、市民が臣民として果たさなければならぬ義務と、市民が人間として享有すべき自然権 droit naturel とを十分に区別することが必要である。

〔註〕注意深い読者諸君よ、私の言葉がここで矛盾しているなどと性急にとがめてくださるな。私は言葉が乏しいので用語の矛盾を避けることができなかったが、もう少し待っていて下さい。

各人が、社会契約によりて譲り渡すものは、彼の権力、彼の財産、彼の自由の中でそれを使用することが共同体に必要である部分だけであるということには誰しも異存はない。けれども、それと同時に何が必要であるかを判断するものは主権者のみであるということも認めなければならぬ。

市民は国家のために尽くすことのできる事柄は、主権者から要求されたら早速尽くすべきである。けれども主権者の方でもまた、臣民に対して、共同体に何の役にもたたぬ束縛を賦課してはならぬ。そんなことは望むことすらできぬ、何となれば、理性の法則の下においても、自然の法則の下においてと同様に何事も原因なしに起るものでないからだ。

我々を社会関係に結びつけておる義務が強制的であるのは、それが相互的だからに外ならぬ。即ちこの義務の性質上、それを果たせば、他人のために尽くすことになると同時に、自分のためにもならざるを得ないようになっているのである。一般意志が常に正しいのは何故であるか。また全ての人が絶えず各人の幸福を欲するのは何故か。それは皆の者が各人 Chacun というのは自分のことだと考え、全体のために投票していながら自分のことを考えているからに他ならぬではないか。このことは、権利の平等並びにそれから生ずる正義の観念なるものは、各人が先ず自分のためをはかるという性質、従って人間の本性そのものから生れたものであることを証する。一般意志が真に一般意志であるためには、それはその対象においても、それ自体においてと同様に一般的である必要があるということ、即ち一般意志は全体の人の意志であって、全体の人に適用されるものでなければならぬということ、及び、一般意志はある特定の対象に向うときには、その本来の正しさを失うものであるということを証する。何故かというとその場合には、我々は、我々の知らないものについて判断しているのであって、我々の指針となるべき、真の公平な原則をもっておらぬからである。

実際、前もって定められた一般契約でまだ定められていない問題について、ある個々の事実あるいは権利が問題になって来るや否や、その事件は係争問題になって来る。そしてそれに関係している個人がこの事件の一方の当事者となり、国家が他方の当事者となるのであるが、そこには遵奉すべき法律もなければ、判決を下すべき裁判官もないのである。こういう場合に、これを一般意志の明白な判決にたよろうとするのは理屈にあわぬ。この場合の一般意志なるものは、当事者の一方の断定でしかあり得ないのであり、従って、他方から見れば、他人の、個人的意志に過ぎないものであって、かような場合には不正に走り、誤謬に陥ったものだからである。こういう次第だから個人意志が一般意志を代表し得ないと同様に、一般意志もまた、その対象が特定的なものになると、その性質を変じてしまい、ある個人に対しても、ある事実に対しても、一般的な意志としてのぞむことはできなくなるのである。たとえば、アテネの人民はその首長を任命しあるいは免職し、ある人に名誉を与え、ある人に刑罰を課し、その他色々な特別な法令によりて、政府のなすべきことを片っ端から無差別に行ったが、その場合には、アテネ国民は、もはや本来の意味の一般意志をもっていなかったのである。もはや主権者として行動しているのではなくして、行政官として行動していたのである。これは一般人の考えとは矛盾しているようであるが、私の考えは追って説明することにさせていただきたい。

これによりて、意志を一般的ならしむるものは、投票者数の多少によるのではなくて彼等を結びつけている共同の利益なることを知るのである。何となればこの制度においては、各人は自分が他人に課する条件に必然的に自分も従うからである。利益と正義とのこの見事な一致は共同の決議に公平な性質を与えるのであるが、この性質は、個人的の係争問題の場合にはなくなってしまうのである。それはこの場合には、裁判官の則る規則と、係争当事者のそれとを結合して、一体ならしむる共同の利益がないからである。

どの方面からこの原則を探究していって見ても、我々は常に同一の結論、即ち、社会契約は市民の間に平等を打ちたてるものであって、その結果各市民はことごとく同じ条件に従い、同じ権利を享有することになるという結論に到達するのである。かくの如くこの契約の性質上、主権者の一切の行為、即ち一般意志の一切の適法的行為は、市民全体に等しく義務を賦課し、利益を与えるのである。そこで主権者の眼中には、ただ人民という団体があるのみであって、これを構成している個々人の間に、何等の区別も設けぬのである。しからば、正確に言えば主権の行為とは一体何か。それは優者と劣者との間の契約ではなくて、団体とそれを構成する個々人との契約なのである。この契約は、社会契約を基礎としているから正当であり、万人に共通のものであるから公平であり、一般の福祉以外の目的をもち得ないから有益であり、公共の力と、最高権力とを保障としているから強固である。臣民がかような契約にしか従っていない限りは、彼等は誰にも従っているのでなくて、彼等自身の意志にのみ従っているわけである。そして、主権者の権利と市民の権利とはそれぞれどこまで及ぶものであるかとたずねるのは、市民が自分自身に対して、即ち個人としては全体に、全体としては個人に、どの点まで義務を尽くし得るかとたずねるのと同じことである。

そこで主権者の権力は絶対的な、神聖な、侵すべからざるものであるけれども、一般的契約の限界を越えもしなければ、越えることも出来ぬということ、及び、人は、皆その財産及び自由の内でこの契約によりて彼に残された部分を思うままに処理することができるということがわかる。だから、主権者はある臣民に、他の臣民よりも余計の負担を課する権利はないのである。何となれば、そんなことになると、ことが個人的になり、主権者の権限外の事項になって来るからである。

この区別が一度び許されると、社会契約において、個人が真に何かを放棄したのだと考えるは大間違いであって、個人の立場はこの契約の結果、以前よりも真に望ましいものになるのである。個人は何物かを譲り渡したのではなくて、不確実な、不安定な状態と、一層良い確実な状態との割のよい交換をしたまでである。自然のままの独立と、自由とを交換したまでである。他人を害する権利と自己の安全とを交換したまでである。他人に打ち負されるかも知れない自分の力と、社会的結合によりて不可侵にされた権利とを交換したまでである。彼等が国家にささげた彼等自身の生命さえも、国家によりて引き続き保護されているのである。だから、彼等が国家を防衛するためにその生命を危険に曝すのは、国家から受けとったものを国家に返すことに他ならぬのではないか。彼等が、避けることのできない戦闘に身を委ね、彼等の生命を賭して、この生命を維持するに必要な手段を防衛するのは、自然状態においてなら、もっとしばしばそしてもっとひどい危険に曝されてしたことを、しているに過ぎないではないか。人は皆、祖国のためには、必要に応じて戦わねばならぬ。それは事実である、けれども誰ももはや自分のために戦う必要はない。我々は、我々の安全を保障してくれるものがなくなればすぐさま危険に曝されるのである。しからば、我々の安全を保障しているもののために、この危険の一部分を冒すことは、我々にとって何のためにもならぬことだろうか?


第五章 生殺の権

自己の生命を意のままに処分する権利をもっておらぬ個々人が、自分のもっていないこの権利をどうして主権者に交付し得るかとたずねる人があるかも知れぬ(自殺は罪悪であって権利ではないのである)。この疑問を解くことが一見困難に見えるのは、この疑問の出し方がまずいからに過ぎない。人は皆自己の生命を維持するために、自己の生命を危険に曝す権利をもっているのである。火事を免れようと思って窓から飛び出す人を自殺の罪を犯したと言う者があるだろうか? 更にまた、嵐の危険に気付きながら船に乗った人が、嵐のために死んだとしても、この人をすら自殺の罪に問う人があるだろうか?

社会契約の目的は契約者の安全を維持することである。この目的を欲する者はその手段をも欲すべきである。しこうして、この手段には、若干の危険はつきものである。若干の損害さえもつきものである。他人の力によりて自己の生命の安全を望むものは必要な場合には、他人のためにも自己の生命を与えなければならぬ。ところで市民はもはや、法律によりて要求せられた危険を判断することはできないのだから、帝王が彼に向って「国家のために汝の死が必要である」と言った時には、彼は死なねばならぬ、何となれば、その時まで彼はそういう条件で生きて来たのだからである。彼の生命は、単に自然の賜物ではなくて、国家から条件付きで与えられたものだからである。

罪人に課せられる死刑も、ほとんどこれと同じ見地から考えることができる。刺客の手にかかってたおれるようなことがないために、刺客になった人が殺されることに我々は同意しているのである。我々は、この契約が我々の生命を奪うものだなどとは夢にも考えずに、ただ我々の生命を安全にするものだとのみ考えているのである。契約者の中には一人としてこの契約をする時に、やがて自分が絞殺されるのだと予想している者はないのである。

更に、社会的正義を攻撃する悪人は、その罪悪によりて、祖国の謀叛人になり、裏切り者になったのである。彼は祖国の法律を侵すことによりて、国家の一員ではなくなり、国家に対して戦端を開いたものとなるのである。そこで、国家の存続と彼の存続とは両立しないのである。どちらかがたおれなければならぬのである。罪人が殺されるのは、市民として殺されるのではなくて、敵として殺されるのである。罪人の審理及び判決は、この罪人が社会契約を破ったこと、従って、もはや国家の一員でなくなったことの証明並びに宣告である。ところが、この罪人は、少なくもその国に住んでいるというのでその国家の一員であると自認している。だから、社会契約の侵害者として追放によりてこの罪人を国家と絶縁させるか、あるいは公敵として死刑によりて国家と絶縁させるかする必要がある。何となれば、かかる敵は精神的人格ではなくて、一個の人間であり、かかる場合には戦争権によりて、敗者を殺すべきであるからである。

けれども、ある罪人を処刑することは個人的行為であると言える。私はそう思う。この処刑は断じて主権者の行為ではない。それは主権者が授けることはできるけれども、主権者が行使することはできぬ権利である。私の考えは終始一貫している。けれども私はそれを一度に説明することはできない。

ついでに言っておくが、処刑が頻々として行われるということは、常に、政府の薄弱あるいは怠慢の兆候である。何の役にも立てることのできないような悪人なんていうものはあるものでない。生かしておいては他人に危険であるような人は別として、それ以外の者を、たとえ見せしめのためにでも、殺す権利は誰にもないのである。

法律によりて課せられ、裁判官に宣告された刑罰から罪人を赦し、まぬかれしむる権利は、裁判官や法律以上の者、即ち主権者にのみ属する権利である。しかもこの点に関する主権者の権利はあまり明白ではないのであって、これを行使する機会は極めて稀である。統治宜しきを得た国家においては、刑罰の数は少ない。けれども、それは大赦がしばしば行われるからではなくて、罪人が少ないからである。国家が衰運に向う時には、罪人が増加して罪を犯しても処刑を免れるようになるのである。ローマ共和国においては、元老院も執政官も断じて大赦をしようとしなかった。国民もまた自ら下した判定を取り消したことは往々あったが大赦をしたことはない。大赦が頻々と行はれることは、やがて、罪を犯しても、大赦の必要がなくなる時が来ることを前触れしているのである。その赴くところがどこであるかは誰にもわかっていることである。けれども私は自分の心がひそひそと囁いて、筆をもつ手を押し留めるような気がする。だから、こういう問題は、これまでに罪を犯したことのない、そして自分に対しては大赦の必要のない正義の士の解決に委ねようと思う。


第六章 法律

社会契約によりて、我々は政治体に生存と生命とを与えた。そこで今度は立法によりて、これに運動と意志とを与えなければならぬ。何となれば、この最初の行為(即ち社会契約)は、この団体を形成し、合一するだけであって、まだ、政治体が自己の存続のために何をなすべきかということを少しも限定するものでないからである。

およそ、善なるもの、秩序に合致せるものは、事物の本性からしかるのであって、その間に人間のこしらえた規約と関係はないのである。一切の正義は神より生ずるものであって、神のみが正義の源泉である。けれどももし我々が、かくも高い所から正義を受けることができるならば、我々には政治も法律も不必要になるだろう。疑いもなく理性から発する唯一の普遍的正義なるものがある。けれども、この正義は我々の間に認められるためには、相互的でなければならぬ。人間的にこれ等の事柄を考えると、正義の法は、自然の制裁がないために、人間には無効である。それは悪人には都合がよいが正しい人には都合が悪い。何となれば、正しい人は全ての人に対してこれを守るけれども、誰も正しい人に対してはこれを守ってくれないからである。だから、権利と義務とを結びつけ、法律を適用する対象に正義を与えるために、規約と法律とが必要になるのである。自然状態においては、全ての物が共有なのだから、私は何人にも約束をせず、従って何人にも義務を負わない。私は自分に不要なもののみを他人のものと認めるのである。社会的状態においてはそれと趣きを異にし、法律によりて一切の権利が定められているのである。

では、一体、法律とは何であるか? この言葉に、形而上学的の観念ばかりを付して満足している間は、いくら考えて見てもわかりはしない。自然法が何であるかはわかったところで、国家の法律が何であるかは一向わかりはしないのである。

私は既に、一般意志は特殊のものに向けられるものではないと言った。実際、この特殊のもの objet particulir は、国家の内にあるか国家の外にあるかである。もしこれが国家の外にあるならば、彼のものでない意志が彼に対して一般的であることはない。もしこれが国家の内にあるならば、それは国家の一部分である。その場合には、全体と部分との間に一つの関係がつくられる。そしてこの関係によりて二つの別々のものができてしまう。一つはこの部分であり、他の一つは全体からこの部分を引き去ったものである。ところが、全体から一部分が引ききられてしまえば、もはやそれは全体ではなくなる。だからこの関係が存続する限り、もはや全体というものはなくなり、ただ等しくない二つの部分になってしまう。そこで、一方の意志は、他方に対しては、もはや決して一般的でなくなるのである。

けれども、国民全体が国民全体に命令するときには、国民は自分自身のことしか考えておらぬのである。だから、たとえその間に関係ができても、それはただ異なった見地から見た同じ全体と全体との関係であって、決して別々のものの間の関係ではないのである。その場合には、命令されるものは、命令する意志と同じく一般的である。この行為を私は法律というのである。

私が、法律の適用される対象は、常に一般的なものであるというのは、法律は臣民を一体と見なし、行為を抽象的なものと見倣し、決して、個人としての人間や、特殊な行為を、眼中におかぬという意味なのである。そういうわけで、法律は特権を定めることはできるが、それを特定の個人に与えることはできないのである。法律は市民を色々な階級にわけ、これ等の階級に入ることのできる資格を定めることすらもできるけれども、誰々をどの階級に入れるということを指名することはできぬ。また法律は王政を樹立し、王位の世襲的継承を定めることはできるが、国王を選任したり、王家を指名したりすることはできぬ。一言にして言えば、個人に関する一切の機能は、断じて立法権に属しないのである。

こう考えて来ると、法律は一般意志の行為だから、法律は誰が作るべきものであるかという疑問はなくなり、帝王は国家の一員だから帝王が法律を超越しているか否かというような疑問もなくなり、自己に対して不正なものはないから法律が不正であり得るか否かというような疑問もなくなり、法律は我々の意志をしるした帳簿に外ならぬから我々が法律に従っていながらどうして自由であるのかなどという疑問もなくなることは一目瞭然である。

更にまた、法律は意志の一般性と意志の対象の一般性とを兼備しているものであるから、如何なる人にしろ、ある人が独断で命令するものは断じて法律ではないということも明かである。主権者がある特定の人に対して下す命令も、やはり法律ではなくて、命令である。主権者の行為ではなくて行政官の行為である。

故に、私は、如何なる政体をとっていてもその点は問わないで、およそ法律によりて統治されている国家は、ことごとくこれを共和国と呼ぶのである、何となれば、この場合にのみ公共の利益が第一位におかれ、公共の安寧が重んぜられるからである。合法的な政府はことごとく共和政府である。〔註〕政府とは何であるかは後に説明することにする。

〔註〕私が共和政府と言うのは、単に貴族政治とか民主政治とかを指すのではなくて、一般意志即ち法律によりて指導される政府を一般的に指すのである。合法的であるためには、政府と主権者とが混同されてはならぬ。政府は主権者の代理人でなくてはならぬ。そうなっておれば君主国でも共和国である。この事は次篇で明かにする。

法律は本来社会的団結の条件に外ならぬ。故に法律に従える国民は法律の作製者でなければならぬ。団結の条件を決定することは、団結している人々のみのなすべきことである。それでは彼等はどうしてそれをきめるだろうか? それは国民の一致によってだろうか、突然の霊感によってだろうか? 政治体は、その意志を表明する機関をもっているだろうか? 誰が政治体にその行為を規定して、予めそれを宣布するために必要な先見を与えるだろうか? 即ち政治体はどうして必要な時に応じてそれを公布するだろうか? 何が自分の為に利益かということを知っている場合は滅多にないものだから、自分が何を欲しているのかわからないことのしばしばある盲目的な群集が、どうして、立法組織というような至大至難な事業を独力で遂行するだろうか? 人民は常に自ら自己の利益をはかろうとする。けれども自己の利益が何であるかは、必ずしも自ら知っているのではない。一般意志は常に正しいけれども、この一般意志を指導する判断は常に間違っておらぬとは言えぬ。だから一般意志にその対象をありのままに見せてやる必要がある。時としてはその対象を一般意志に如何に見るべきであるかを見せてやらねばならぬ。一般意志の求めている正しい道を示してやらねばならぬ。個人的意志の誘惑に陥らぬように一般意志を保護してやらねばならぬ。時間と場所とに注意させてやらねばならぬ。眼前の眼に見える利益の誘惑と、ずっと先の眼に見えない損害の危険とを比較考量させてやらねばならぬ。個々人は、自分の利益がわかってもそれを排斥するし、公衆は、自己の利益を欲するけれどもそれが何であるかがわからないのである。だから個人にも公衆にも等しく指導の必要があるのである。即ち個々人には、その意志を理性と合致せしめるように強制する必要があり、国民には、自己の欲するものが何であるかを知らせる必要がある。その時にこそ、はじめて、国民的啓蒙の結果として、社会団体の中に、悟性と意志との一致が生ずるのである。しこうして、そこから各部分の正確な協力が生じ遂に全体の最大の力が発揮されるのである。ここに立法者の必要が生ずる理由があるのだ。


第七章 立法者

国民に最もよく適合した社会の規則を発見するためには、人間のあらゆる欲望を、自分では少しも経験しないで見抜くところの優れた理智を備えた人が必要である。この人は我々の性質と無関係であるにも拘らず、すっかりそれを知っている必要がある。この人の幸福は、我々の幸福とは無関係でありながら、しかもこの人は我々の幸福を十分に念慮する意志をもっている必要がある。最後にこの人は、志を遠き将来の名誉にはせ、現代に労苦して、次の時代に楽しむことのできる人である必要がある。〔註〕即ち人間に法律を与えるには神が必要である。

〔註〕ある国民が有名になるのは、その国民の立法が衰運に向いはじめた時である。リュクルゴスのこしらえた制度が、ギリシャの他の地方に知られるまでに、どれ程長い間スパルタに幸福を与えていたかは知られていない。

カリグラが事実についてしたのと同じ推論を、プラトンは「政治家論」du Régne という書物の中で、王者と市民とを定義するために当為についてなした。けれども、偉大なる帝王が稀な人であるというのが真実であるとするならば、偉大なる立法者はどうだろう? 帝王は、立法者がきめた模範に従ってゆけばよいのであるが、立法者はこの模範を示さねばならぬ。立法者は機械を発明する技師であるが、帝王はこの機械を組みたててそれを運転する職人に過ぎない。モンテスキューは『社会の生れるときには制度をつくるものは国家の元首であるが、後になると制度が元首をつくるようになる』(Montesquieu: Grandeur et décadence des Romains. ch. I.)と言った。

いやしくも国民に制度を与えようと企てるほどの人は、言わば人間の性質を変えることができるという確信のある人たるべきである。自ら、完全にして独立せる全体である各個人を、この個人にある意味においてその生命と存在とを与えるところのより大なる全体の一部分に変え、人間の組織を強固にするために人間の組織を変え、我々が自然から受けとったままの個々独立した肉体的存在に代うるに、全体の部分としての精神的な存在をもってすることができるという確信のある人たるべきである。一言にして言えば、かかる人は、人間からその本来の力を奪って、人間がこれまでもっていなかったところの力、他人の助力を借りなければ使用することのできない力を人間に与える人でなければならぬ。この自然のままの力が死滅すればする程、新たに得た力は大きくなり、永続的となり、それと同時にその制度は益々強固となり完全となるのである。そこで、各市民が、他の全市民の力をまたなければ何物でもなく、また何物にもなり得ず、かつ、全体が獲得した力が、各個人の自然のままにもっている力の総和と等しくなるか、あるいはそれ以上になれば、立法は、それが達し得る最高点の完全に達したと言うことができるのである。

立法者はあらゆる点において、国家内の非凡な人間である。もし立法者がその資性において非凡であるべきだとすれば、その職務においても同様に非凡でなければならぬ。立法者は行政官でもなければ主権者でもない。国家を組織するのが立法者の任務なのだから、立法という職務は国家を超越している。それは人間界とは少しも共通点のない、特別な、高貴な職務である。何となれば、もし人間を支配する者が法律を支配してはならぬとすれば、法律を支配する者もまた人間を支配してはならぬからである。そうでなかったならば、この法律は、立法者の欲望を実行する手段となり往々にして、立法者の不正を恒久的なものにするにすぎなくなるであろう。立法者の個人的意見が、彼のつくった立法の神聖を傷つけるのをどうしても避けることができないであろう。

リュクルゴスが、彼の国のために法律をつくった時には彼は先ずその王位を退いた。ギリシャの都市の大部分では、自国の法律の制定を外国人に依頼するのが習慣であった。イタリアの近代の諸共和国もしばしばこの風習を模倣した。ジュネーヴ共和国もそれを模倣して好結果を得た。〔註〕ローマの全盛時代に、その内部に虐政から生ずるあらゆる罪悪が起って、ローマを滅亡の淵にのぞませたのは、立法者と主権者とを同じ人が兼併していたからである。

〔註〕カルヴァン Calvin をただの神学者だとばかり考えている人々は、広大なる彼の天分をよく知らない人々である。彼は我が国の見事な法令の編纂に非常な貢献をしたのであるが、この事業は、彼の「アンスティチューション」の著述と同じくらい彼に名誉を与えたのである。これから先、我々の宗教にどんな革命が起るかも知れぬが、祖国を愛する心と自由とが我々の心から消えてしまわない間は、この偉人の記憶は、いつまでも我々の心から消え去らぬであろう。

とは言え、ローマの十人官(les décemvirs, ローマ第三〇四年に設けられた法典制定官)でさえも、決して彼等の専権によりて法律を公布する権利を僭したのではない。彼等は国民に向って『我々が諸君に提出するものは、諸君の協賛を得ない限りは法律にならぬのである。ローマ国民よ、諸君は自ら、諸君の幸福をつくるべき法律の制定者とならねばならぬ』と言ったのである。

それだから、法律の編纂者は、立法権をもってはいないし、またもつこともできないのである。そして、人民もまた、他人に伝えることのできないこの権利を、棄てようと思っても棄てることができないのである。何となれば、例の根本契約によると、一般意志以外には個人を強制するものはなく、個人の意志が一般意志と一致しているということは、それが人民の自由投票に付せられてしまってからでなければ確かめられないからである。このことは既に述べたことだけれども再び繰り返して言っても無益ではなかろう。

かくの如く、立法という事業には、一見両立し難いように思われる二つの物が同時に見出される。一は人力を超越した計画であり、他は、この計画を実行するための、単なる権威である。

もう一つ注意すべき別の困難がある。賢者は俗衆に向って、平易な言葉で語らないで、難かしい言葉で語るからその言葉は理解されない。ところが、平易な言葉になおすことのできない思想が沢山ある。あまりに一般的な意見や、あまりに高遠な事柄などは、等しく民衆にはわからないのである。各個人は自分一個の利益に関係のある政府の政策しか是認しないものであって、将来の利益のために、絶えず種々の不便を忍ばせるような法律は如何に立派なものでもその精神をば容易にみとめない。新たに生れた国民に、健全な政治の原則を是認せしめ、国是の根本原理に従わしめるためには結果を原因にする必要がある。立法制度によりてつくらるべき社会精神が、立法制度の設立にあずかる必要がある。人間は、法律の力によりてなるべき状態に、法律のない前からなっている必要がある。かくの如く、立法者は力をも理屈をも用いることはできないのであるから、全く別種の権威にたよって、暴力を用いないで強制し、論破することなしに説得し得ることが必要である。

あらゆる時代を通じて、国民の始祖達 les pères des nations が、天上の力にたより、彼等自らの叡智をもって神々の徳に帰し、もって、国民をして、自然の法則に従うと同様に国家の法律に従わしめたのはこのためである。国民をして都市をこしらえる力も人間をこしらえる力も同じであるということをみとめて、自ら進んで法律に従い、公共の安寧を確保するための拘束を従順に甘受せしめたのはこのためである。

この崇高なる道理、俗衆の理解し得ないこの道理こそ、人間の意志では、びくとも動かすことのできない人々を、神の権威によりて拘束するために、立法者が神々の口を借りて述べたものなのである。〔註〕けれども、神に語らせること、自分が神の代弁をしているのだということを信じさせることは、誰にでもできることではない。実に、立法者の偉大なる精神は、立法者の使命の偉大を証して余りある真の奇蹟である。石版に字を彫ったり、金を出して神託を言わせたり、ある神と秘密の通話をすると偽ったり、鳥を馴らして自分の耳のそばで物を言わせたり、あるいはその他のよい加減な方法を見出して人々を騙すことなら誰にでもできる(以上のことはルソーが、ヘブライや、ギリシャや、ローマの人々の神と通話する方法をさして言っているのである)。こんなことしかできない人でも、偶然に、愚昧な群衆を集めることはできるだろう。けれどもこんな人は決して一つの帝国を打ちたてはしない。こういう人の無法な事業は、たちまちその人と共に滅びてしまうだろう。くだらない妖術でつくられる綱紀は、その場かぎりのものである。これを恒久安定のものにするものは叡智のみである。今なお存続しているユダヤの律法や、十世紀以来世界の半ばを支配して来たイスマエル Ismael の子供(メッカの預言者マホメットのことである)の律法は、今日でもなおそれを書きしるした人々の偉大さを示している。そして、尊大な哲学や、盲目的な党派心は、彼等を運のよい山師としか考えていないが、真の政治学者は、彼等の打ちたてた制度に、それを強固なものたらしめた偉大にして力強い天才を見出して讃嘆これを久しうするのである。

〔註〕マキャヴェリは次の如く言った。『如何なる国にも、神の力にたよらずに、異常な法律を公布した立法者はなかったことは事実である。何となればそうしなければその法律は承認されなかったからである。実際それには色々都合のよいことがあったのである。賢者はこの都合のよい点を知っていたのである。がそれは他の人間を信ぜしめる程に自明なものではないのである』(Discorsi sopra Tito Livio, llb. I, cap. XI.)。

こう言ったからとて、ウォーバートン(Warburton, 有名なイギリスの神学者で、一七三六年「教会と国家との同盟」Alliance between Church and State という書物を著わし、国教制度と信教の自由とを調和する道は宣誓以外にないと主張した)と共に、政治と宗教とは今日でも同じ目的をもっていると結論する必要はない。ただ国民の誕生の時には、宗教が政治の道具に使われるというまでである。


第八章 人民

建築家が、大きな建築物を建てる前に、地盤を観測して、その地質が建築物の重みを支えることができるかどうかを吟味するように、賢明な立法者は、最初から、それ自身で善い法律を起草するようなことはしないで、先ず第一に、彼がその法律を与えようとする国民が、果してそれに堪えられるか否かを検査する。プラトンがアルカディア人やキレニア人は、富裕な国民であるから、到底平等の原則を受けいれることはできんと知って、この二つの国民のために法律をつくることを断わったのはそのためである。クレタ島の法律は良いのに人民が悪いのもこのためであって、それはミノスが堕落しきった国民のために法律をつくったからである。

地上に栄えた無数の人民は、決して善い法律に堪える事ができなかったのである。しかも、これに堪えたかも知れぬ人民といえども、その存続期間中それに堪えた時期は極めて短期に過ぎなかったのである。大多数の人民は、個々の人間と同じように、御し易いのは若い時分だけであって、年をとると、どうにも陶治し難くなってしまう。一度び、習慣がついてしまい、偏見が根を張ってしまってからそれを矯正しようとするのは、危険にしてかつ無益な企てである。この人民は、災厄を取り除くために手を触れられるのをすら、しのぶことができないのである。それは馬鹿な勇気のない病人が医師の姿を見て身慄いするのと同じである。

あるいは病気が人間の頭脳を惑乱させて、過去の記憶をすっかり忘却させるように、時々、国家の一生にも、狂暴な時代があって、病気の危機が個人に及ぼすのと同じ影響を革命が国家に及ぼすことがある。その時には、過去の恐怖が忘却に代り、国家は内乱の焔に包まれ、言わばその焼け跡から復活し、死の腕から逃れて、力と若さとを回復するのである。リュクルゴス時代のスパルタがそうであった。タルクィニウス王 Tarquins の後のローマがそうであった。近代では暴君を放逐した後のオランダとスイスがそうであった(オランダがスペインの暴君を放逐し、スイスがオーストリアの暴君を放逐したことを指すのである)。

けれどもこういう事件は滅多にない。それは例外の場合である。その理由は、常に、その例外の国家の特別の組織の中に見出される。しかも、かような事件は、同じ人民に二度と起る気遣いはない。何となれば、人民は野蛮状態に留まっている間は、自らを解放することができるけれども、社会の力が消耗し尽くしてしまえば、もはや自らを解放することはできなくなるからである。そうなってしまえば、動乱によりて人民が滅亡することはあるけれども、革命によりて人民が復活することは不可能である。そこで、人民を拘束している鉄鎖が粉砕されてしまうや否や、その人民は四分五裂して滅亡してしまうのである。事ここに至れば、この人民にとって必要なものは支配者であって解放者ではないのである。自由の人民よ『自由を獲得することはできるが、自由を回復することはできない』という格言を銘記せよ。

青年期 jeunesse と幼年期 enfance とは違っている。人民にも、個々の人間に同じように、青年時代がある。あるいはこれを成年時代と言っても差支えない。人民を法律に従えようと思えばこの時代が来るのを待たねばならぬ。ところが一つの人民の成年時代というものは、常に容易にわかるものではない。もし成年時代が来ないうちに仕事に着手すれば、その仕事は失敗してしまうのである。ある人民には生れるとすぐから政治的訓練を施すことができるが、ある人民は十九世紀たっても政治に適しない。ロシア人の如きは、あまりに早くから開化されたものだから、いつまでたっても本当に開化されずにしまうだろう。ピョートル大帝(Pierre, ロシア建国の祖)は模倣の天才をもっていたが、無から有を創造する真の天才をもっていなかった。彼の施政には幾らか当を得たものもあるが、その大多数は機を得ていない。彼はロシア国民が野蛮であったことを知っていたけれども、まだ開化することができる程成熟していないということは知らなかった。彼はロシア国民が鍛錬を必要としていた時にこれを開化しようとしたのである。彼は、先ずロシア国民をつくらねばならぬ時にあたって、はじめからドイツ国民をつくろうとし、イギリス国民をつくろうとした。彼は、彼の臣民を、事実なれないものになったのだと思いこませて、実際彼等がなれるものにもなれないようにした。それは、フランスの教師が、その生徒を、子供の時から大人物にしようとして、結局つまらぬ人間としてしまうのと同じである。ロシア帝は将来ヨーロッパを征服しようとして、却って自分が征服されるだろう。ロシアの属国あるいは隣国なる韃靼人こそ、やがてロシアの支配者となり、我々の支配者ともなるであろう。この革命は避けがたいもののように思われる。ヨーロッパ諸国の国王達は、ことごとく協力してこの革命を促進している。


第九章 人民(続き)

自然は適当につくられた人間の身長に一定の限界を与えている。そしてその限界を越えると、巨人か一寸法師かになってしまう。それと同じく、最善に組織された国家にも、その国家の達し得る範囲に一定の限界があって、あまり大きすぎて十分の政治ができなかったり、あまり小さすぎて独立してゆくことができなかったりすることがないようにできている。あらゆる政治体には、越えることのできない、力の最大限がある。国家が膨張すると、国家はしばしばこの最大限の力から遠ざかって来る。社会的結束はその範囲が拡大するにつれて緩んで来る。だから、概して小国は大国よりも比較的に強いのである。

この言葉の真理を証明する理由は沢山ある。第一に、距離が大きければ行政が困難になる。それは、丁度、槓杆こうかんの先端につけた重みは槓杆こうかんが長くなるにつれて重くなるのと同じである。また行政はその等級が複雑になるにつれて費用がかさんでくる。何故かというと、先ず第一に各都市にはその都市の行政がある。そしてその行政費は人民が支払うのである。各県には県の行政があり、これまたやはり人民がその政費を支払うのである。次に各州があり、それから大守領 satrapies や、総督領 vice-royautés 等の如き大規模の政府があって、上へのぼるに従って政費は高価になって来る。そして、この政費の負担者は、常に不幸な人民である。最後に最高政府が来る。この最高政府に比べれば、爾他じたの諸政府は物の数でもない程、これは大規模なものである。かくの如き過重の負担は絶えず臣民の財力を涸渇させる。しかもかくの如き様々な段階の政府によりて行われる政治は決して善いものではなく、たった一つの政府しかない方が却って優っているのである。しかも一朝有事の場合のために人民の資力が残されていないから、それに頼る必要が起ると国家は常に累卵の危機に迫るのである。

それだけではない。政府は法律を遵奉させ、虐政を防ぎ、弊政を矯め、辺境の地に動もすれば勃発する反乱を防圧するための力と敏活とを弱めるのみならず、人民は、君主と祖国と同胞とに対する愛を失うようになる。それは人民は君主を見たこともなく、祖国は人民の眼に全世界と同じようにえいじ、同胞の大部分は見知らぬ人だからである。これを同一の法律をもって律せんか、同一の法律は、風俗を異にし、相反する気候の下に生活し、同一形態の政治を受けることのできないような様々な地方にぴったりあてはまるわけには行かない。しからば異なった法律を採用せんか、異なった法律は、同一君主の下に生きて、絶えず交通しあい、互いに混合し、あるいは結婚しあっていて、別の習慣に従った日には、自分の資産が果して自分のものになるのかどうかわからないような状態にある国民の間においてはただ紛擾ふんじょうを醸すだけである。最高政府の所在地へ、一所に集められた、互いに知りあってもいない、この雑然たる群衆の中においては、才能の士も空しく埋もれ、有徳の士も知られるに由なく、妊悪の徒も罰せられずにすんでしまう。君主は膨大なる政務に呆然自失して如何なる政務も親しく自らとらなくなり、属吏が国家を支配するようになる。ついに辺境の地にある官吏は、中央政府 autorité générale の目をかすめ、これを欺こうとするようになり、そのために中央政府を維持するために講じなければならぬ手段が、一切の公務を独占するようになる。そして国民の幸福に留意するいとまはなくなり、一朝事ある時にあたって国家を防御する手段を講ずる余力もほとんどなくなる。かくの如くして、あまり膨大に失する国家は、自己の重みを支えきれないで倒壊しおわるのである。

また一方では、国家はその安定を確保し、どうしても避けるわけにはいかない震動と自らを維持するためにはどうしてもしなければならぬ努力とに抵抗するために、その基礎を確実にしなければならぬ。何となれば、あらゆる国民は、一種の遠心力を有し、それによって、デカルト René Descartes の渦動 tourbillon のように絶えず互いに作用を及ぼしあい、隣国を犠牲にして拡大せんとする傾向をもっているからである。かくの如く、弱国はたちまちにして併呑される危険がある。そして、如何なる国家といえども、全体との間に一種の平衡状態を保ち、あらゆる方面から来る圧力をほぼ等しくしなければ自己を維持することができないのである。

そこで、膨張するにも理由があり、縮小するにも理由があることがわかる。だからどのくらいの程度が国家の存続に最も都合がよいかということを見出すには並々ならぬ政治的手腕がいるのである。概言すれば、第一の、国家を膨張せしめる理由は、外部的な、相対的なものに過ぎぬから、内部的な、絶対的な、第二の、国家を縮小する理由に従属すべきものであると言える。第一に求むべきものは健全にして強固な組織である。我々は広大な版図が与える資源よりも、善良な政治から生れる国力を重んずべきである。

ところが、征服の必要が立国の原則そのものとなり、自国を維持するために絶えず拡大しなければならぬようにつくられた国家もあった。これ等の国家は、この幸福な必要を大いに謳歌したことであろう。けれども、この必要は、その拡大の極限と共に、避くべからざる破滅の時が来ることを示したのである。


第十章 人民(続き)

政治体の大きさを測るには二つの方法がある。即ち領土の広さによりて測る方法と国民の数によりて測る方法とである。しこうして、この両者の間に存する適度の関係こそ国家の真の偉大さを示すものである。国家をつくるものは人間であり、人間を養うものは土地である。故にこの適度の関係というのは、土地が住民を収容するに十分であり、土地が養い得るだけの住民が存するという事である。一定数の国民の最大限度の力は、この比例の中に見出される。何となれば、国土があまりに広きに過ぎると、それを守るのに骨が折れ、その耕作が行き届かなくなり、生産物が余分に生ずる。これはやがて防御戦を誘発する原因である。ところがもし十分の国土がないと、隣国にたよって足りない物を補って貰わねばならぬ。これはやがて攻撃戦争を引き起こす原因である。如何なる国民といえども、通商か戦争かどちらかを選ばねば立ちゆかないような地位にある国民は、本質的に弱い国民である。かかる国民は隣国にたより、事変にたよる。かかる国民の生命は不安定な短い生命にすぎぬ。かかる国民は他国を征服してこの境遇を変えるか、あるいは他国に征服されて滅亡するかどちらかである。取るに足らぬ小国になるかあるいは大国になるかによりてのみ、かかる国はその自由を保持することができるのである。

国土の面積と人口とが互いに釣り合いを保つ一定の関係を数字をもって表わすことはできない。何となれば、土地の性質、その豊穣の程度、土地の生産物の種類、気候の影響等にそれぞれ差異があるのと、住民の気質に差異があって、ある者は豊沃な土地に住みながら少なく消費し、ある者は不毛な土地に住みながら多く消費するようなことがあるからである。更にまた、婦女子の産児能力の多少、国土の人口の増加に対する適不適、並びに、立法者が自己の事業によりてどれだけの人口をやりくりし得るかという点等にも注意を払わなければならぬ。実に立法者たるものは、目前の事実を見て性急な判断を下さず、将来を洞見しておもむろに判断を下さねばならぬ。現在の人口によりも以上に将来自然の結果として達し得る人口に着目しなければならぬ。最後に、土地の特別の事情によりて、一見必要であると思われるより以上の土地を要求しあるいは許容する場合が無数にある。そういう次第で、勢い、山国の版図は広くなる。それは、山国では、森林、牧場等の天産物は労働力を要すること少なく、経験の教える所によると山国の女は平地の女よりも余計に子供を産み、また山国の傾斜した土地の面積は広くとも、耕地として数うべき唯一の平坦な地面は少ないからである。これに反して海岸地方にありては、たとえそれがほとんど不毛な岩石や砂浜であっても、狭い土地で間にあう。何となれば、海岸地方では、漁猟によりて土地の生産物の不足が少なからず補われるからであり、海賊を撃退するためには沢山の人間が密集している必要があるからであり、おまけに、植民によりて、その国から過剰の人口を海外に移すことが極めて容易だからである。

国家を建設するためには、以上の諸条件に今一つの条件を付加しなければならぬ。この条件は他の如何なる条件の代用にもならぬものであるけれども、もしこの条件が欠けていた日には、他の条件がすっかり無益なものになってしまうのである。それは即ち国民が富と平和を享楽しているという条件である。何となれば、国家が形成せられている時は、大隊が編成せられている時のように、その団体の抵抗力が最も弱く、外部からこれを打ち破ることの最も容易な時であるからである。各人が自分の順番のことばかりに心を奪われて危険に気のつかない整列の時よりも、むしろ全然無組織の時の方が抵抗力が強いのである。もし、かかる危急の時期に、戦争、飢饉、叛乱等が勃発したら、国家の覆滅は必定である。

かかる動乱の期間に樹立された政府が沢山なかったわけではない。けれども、この場合には、これ等の政府そのものが国家を亡ぼしているのである。簒奪者等は、常にこういう変時を醸成し、あるいは選んで、公衆の恐怖に乗じ、冷静な時になら決して国民が承認しないような破壊的な法律を通過させるのである。立法者の事業と暴君の事業とを区別する最も確実な特徴は、国家の建設に如何なる時期を選ぶかという点である。

しからば如何なる人民が立法に適するか? それは、既に、血縁、利益、あるいは契約等によりて、結合されてはいるが、まだ、法律という真の拘束を受けていない人民でなければならぬ。習慣や迷信がまだ十分に根を張っていない人民でなければならぬ。突然襲撃を受けることを恐れず、隣国の紛争には手出しをしないが、独力をもって隣国のいずれにでも抵抗することができ、あるいは一国を助けて他国を撃退し得る人民でなければならぬ。人民各自が互いに知り合うことができ、また、何人もその人が耐え得る以上の負担を強制されない人民でなければならぬ。他の国の人民の力を借りないでもすみ、他の国の人民もまたその国の力を借りないですむ人民でなければならぬ。〔註〕富みもせず、貧しくもなく、自給自足し得る人民でなければならぬ。最後に、旧国民の堅実と新国民の柔順とを兼具した人民でなければならぬ。立法の事業を困難ならしむるものは、建設しなければならぬものよりも破壊しなければならぬものに存する。しこうして、立法の事業が滅多に成功しないわけは、社会の必要と自然の単純とを結びつけることができないからである。まことに、これ等の諸条件を完備することは難事であり、従って、良く組織された国家が少ないのである。

〔註〕隣接せる二国民の中で、一国が他の助けを借りずにすませないとすれば、かかる状態は前者にとっては非常に苦しく、後者にとっては非常に危険である。かような場合には、賢明な国民は皆、一日も早く他国をかかる従属状態から救おうとする。メキシコ帝国に囲繞いじょうされていたトラスカラ共和国(la république Thlascala)はメキシコから塩を買うことを喜ばず、ただで貰うことすらも喜ばないで、むしろ塩無しですますことを喜んだ。賢明なトラスカラの国民はこの親切の裏に陥穽かんせいが蔵されているのを知ったのである。彼等は自由を保持していた。むべなるかなこの大帝国の中に包まれたこの小国は遂にメキシコ帝国滅亡の因となったのである。

ヨーロッパには、まだ立法を施し得る国が一つだけある。それはコルシカ島である(コルシカ島民はこの当時、パオリ Paoli に率いられてジェノヴァ人を破り全ヨーロッパの嘆称の的となっていたのである)。この勇敢な国民が、その自由を回復し、擁護した勇気と果敢とは、ある賢者が出現して、この国民に、その自由を如何にして保持すべきかを教える(即ち立法を与える)価値がある。私は他日この小さい島国がヨーロッパを驚倒させるだろうというような気がする。


第十一章 各種の立法組織

各種の立法組織の目的たるべき最善のものは正確に言えば何であるかをたずねるならば、それは自由平等との二つの主要なものに帰することは明白だ。個人が少しでも国家に従属すればそれだけ国家団体の力が殺がれるから自由の必要があり、自由は平等なくしては存続しないから平等の必要があるのである。

市民の自由とは何であるかということは既に述べた。平等については、この言葉は権力と富とが全く同じであることを意味するのではなくて、権力はあらゆる暴力の上に立ち、地位と法律に従ってのみ行使され、富は、如何なる市民も他人を買うことができる程には裕福でなく、如何なる市民も自己を売らねばならぬほどには貧しくないという意味なのである。〔註〕このことたるや富者の財産と権勢とがあまり甚だしくなく、貧者の貪欲と吝嗇りんしょくとがあまり甚だしくないことを前提とする。

〔註〕だから国家を堅実ならしめんと欲するならば、両極端をできるだけ接近させねばならぬ。富者と乞食との存在を許してはならぬ。富者と乞食とは畢竟ひっきょう離すことのできぬものであって、等しく公安に有害なものである。一は暴政の擁護者を生み、他は暴君を生む。公的自由の売買が行われるのは常に両者の間においてである。即ち一はこれを買い、他はこれを売るのである。

そんな平等は、実際には存在し得ない思弁的夢想であると言う人もある。けれども弊害が避くべからざるものであれば、せめてそれを取り締まることすらもならぬことになるだろうか? 四囲の情勢が平等を破らんとしているからこそ立法の力をもってこれが維持につとむべきであることは明白ではないか。

けれども、このあらゆる善良な立法制度を通じての一般的な目的は、地方の事情と住民の特性とから生ずる関係によりて、各国によりてそれぞれ修正されねばならぬ。しこうしてこの関係にもとづいて、各国民に、それぞれ最善の立法制度をあてがわねばならぬ。この場合最善というのは必ずしもそれ自身において最善なのではなくて、それを適用する国家に対して最善という意味なのである。例えば、土地が不毛荒蕪であるか、あるいは、人口に比して国土が狭過ぎるような国家は、工業及び技芸の方面に向いて、その生産物を、その国に欠乏している食料品と交換するがよい。これに反してその国が豊沃な平野及び豊穣な丘陵を占め、国土が肥沃であるのに人口が少ないとしたら、農業に全力を注いで人口を増やすがよい。そして工芸を追い払うがよい。工芸は現在その国にある僅かばかりの住民を若干の地点に集中せしめて、その国の人口を減少させるに過ぎないのだ。〔註〕また、広い、便利な海岸を国土とするならば、船舶をもって海を覆い、商業と航海とにはげめばよい。そうすれば、その国は短いけれども光輝ある存在をもつだろう。海岸がほとんど近付くことのできぬ岩である場合には、野蛮な魚食民の域に留まっていればよい。そうすれば遥かに平和な、恐らく前者に優った、そして確かにもっと幸福な生涯が送れる。一言にして言えば、全体に共通の原則の他に、各国民は、それぞれその国民に特別の生活を与え、その国民の立法をその国に特有のものたらしめる原因をもっているのである。そういうわけで、古くはヘブライ人、近くはアラビア人は宗教を重んじ、アテネ人は文学を重んじ、カルタゴ人及びテュロス人は商業を重んじ、ロードス人は航海を重んじ、スパルタ人は戦争を重んじ、ローマ人は徳を重んじたのである。法の精神 l'Esprit des lois の著者(モンテスキューのこと)は、沢山の例をあげて、立法者が如何に巧妙なる手段をとって、これ等の各目的にかなうような立法をしくかを示している(「法の精神」第十一篇第五章等参照)。

〔註〕ダルジャンソン氏は「如何なる外国貿易でも、王国全体にとっては、ただ外観上の利益しか与えるものでない。それはある個人、及びある都市をも富ますことはあるが、国民全体はそれによりて何の利する所もない、国民には何のためにもならない」と言った。

国家の組織を真に確実安定ならしむるには自然の関係と法律とを常に符合せしめ、法律は、言わば、ただ自然の関係を確保し、これに追従し、これを是正するに留めるよう注意することである。ところが、もし立法者がその目的を誤り、事物の自然から生ずる原則と異なった原則をとり自由を欲する国民を従属せしめんとし、人口の増加を願う国民に富を与えようとし、征服を欲する国民に平和を与えんとするならば、法律の権威はいつのまにか弱まり、制度は弛壊し、国家には動乱の絶えるひまがなく遂には滅亡しあるいは一変して、自然は滔々とうとうとしてその支配を回復するに至るであろう。


第十二章 法律の分類

百般の事物を整理し、公共に関する事柄に最善の形式を与えるためには、様々の関係を考慮しなければならぬ。先ず第一に考慮すべきは公共団体全体が自分自身に働きかける行為、即ち全体と全体との関係、あるいは主権者と国家との関係である。この関係は、後に説明するが如く、中項の関係からできている。

この関係を規定した法律は国家法 lois politiques と称せられ、また基本法 lois fondamentales とも言われている。もしこの法律が良い法律であるならば、この名称はふさわしい名称でないこともない。何となれば、もし各国に一つずつしか適当な制度がないとすれば、それを発見した国民はそれを遵守すべきである。けれども、既成の制度が悪い制度であるならば、それを善くするのを妨げるような法律を何故に基本法と見なさねばならぬか? 加うるに、ある国民は如何なる場合にも、常に自己の法律を変えることができる。たとえ最善の法律たりともこれを変えることができる。何となれば、その国民が、自分で自分を害しようと思うならば、これを妨げる権利を誰がもっているだろうか?

第二の関係は、団体の構成員相互間の関係、あるいは構成員と団体全体との関係である。この関係は前者の方はできるだけ小さくし、後者の方はできるだけ大きくして、各市民は、他の一切の市民からは完全に独立し、都市(国家)にはこの上なく服従するようにしなければならぬ。この両者は、常に同じ方法でなされる。何となれば、市民の自由をつくるものは国家の力に外ならぬからである。この関係から民法 lois civiles が生れる。

第三に人間と法律との間の関係、即ち、違法行為と刑罰との間の関係を考慮することができる。しこうして、この関係から刑法 lois criminelles が設けられる。刑法はその根本において特別の法律というよりも、むしろ、他の法律全体の認可とも見なすべきものである。

この三通りの法律に第四の法律が追加される。この第四の法律は法律全体を通じて最も重要なものであり、大理石や銅の上に刻まれているものではなくて、市民の胸に刻まれているものである。これこそ国家の真の憲法たるべきものであり、日毎に新たなる力を加うるものであり、爾余じよ の一切の法律が老朽消滅する時にこれを生かし、あるいはこれに代り、国民をして立法の精神を忘れることなからしめ、知らず知らずのうちに習慣の力をもって権威の強制力に代わらせるものである。これ即ち風習であり、習慣であり、特に世論である。この法律は現代の政治家の知らない部分であるけれども、爾余じよの法律全体の成否を左右するものである。立法者は表面では特殊の法律にばかり専念しているようであるが、内心密かにこの部分の法律に思いを費やしているのである。特殊の法律は円天井の穹㝫きゅうりゅうの如きものに過ぎない。徐々に生じて来る習俗は、遂にはこの円天井を支うる確固不動の台石となるのである。

これらの諸法律の中で、私の研究事項に関係のあるものは、政府の形態を構成する国家法のみである。


第三篇


第三篇 序言

種々の政府の形態のことを語る前に、従来十分に説明されておらぬ政府という言葉の意味を明確に限定しておこうと思う。


第一章 政府総論

一言読者にことわっておくがこの章はよく注意して熟読していただきたい。私は不注意な読者にもわかるように書くすべを知らないのだから。

あらゆる自由な行為は、二つの原因の協力によりて起される。一は精神的原因、即ちその行為をなさんと決定する意志であり、他は肉体的原因、即ちこの行為を実行する力である。私がある目的物の方へ歩いてゆく時には、第一に私がそこへ行こうと欲する必要があり、第二に私の足が、私をそこへつれてゆく必要がある。中風患者が走ろうと欲する場合や、活発な人が走ろうと欲しない場合は、いずれも、もとの場所にじっとしているだろう。政治体にもこれと同様の原動力がある。それは同様に力と意志とに区別されている。国家の意志とは即ち立法権 puissance législative であり、国家の力とは執行権 puissance exécutive である。この二つの協力なくしては何等もできずまた何事もしてはならぬのである。

我々は立法権が人民に属すること、しこうして人民以外のものに属し得ないことを既に知った。これに反して、今述べた原則によりて、執行権は、立法者もしくは主権者としての人民一般 la généralite には属し得ないものであることは容易にわかる。何となれば、執行権は、私的行為のみよりなるものであるからである。しこうしてこの私的行為は法律の権限外のものであり、従って、主権者の権限外のものである。けだし、主権者の行為はことごとく法律とならざるを得ないからである。

故に公共力 la force publique はこれを一つに集めて、一般意志の指導の下に働かせ、国家と主権者との連絡の任にあたり、精神と肉体との結合が人体においてなすのと似たような役割を公人においてなすところの、適当な代理者を必要とする。これ国家の中に政府の存する所以である。この政府なるものは不当にも主権者と混同されているけれども、これは主権者の代理にすぎないのである。

しからば政府とは何であるか? それは、臣民と主権者との間の連絡にあたるために両者の間に設けられて法律の執行と民事上並びに政治上の自由の維持とに任ずる仲介団体である。

この団体の構成員は、行政官 magistrats あるいは rois 即ち支配者 gouverneurs と称せられ、団体を総称して王公 prince という。〔註〕故に、国民を元首に服従せしめる行為は契約ではないという説は極めて正当である(ホッブズはこの説を主張している)。これは、絶対に、委任もしくは雇用に過ぎないのであって、彼等は、主権者の単なる吏員として、主権者から委任された権力を、主権者の名によりて行使しているのである。しこうして主権者は、この権力を勝手に制限し、変更し、取り上げることができるのである。かような権利を譲り渡すことは、社会体の性質と両立しないから、連合 l'association の目的に反するものである。

〔註〕ヴェニスにおいて、国主 doge の列席していない時でも、その元老院 collège が王公殿下 sérénissime prince と呼ばれたのはこのためである。

それ故に、私は、執行権の合法的行使を政治または最高行政と名づけ、この行政を委ねられた個人または団体を王公もしくは行政官と名づけるのである。

中間の力は政府の中に見出されるのである。しこうしてこの力の関係が、全体と全体との関係であり、主権者と国家との関係である。主権者と国家との関係を連比例の外項をもって表わすことができる。政府はその比例中項にあたる。政府は主権者から命令を受けてそれを国民に与えるのである。しこうして、国家が平衡を保つためには、すべてを清算した上で、政府そのものの平方もしくは二乗と、一方においては主権者であり、他方においては臣民であるところの市民の平方もしくは二乗とが等しくなる必要がある。

更にまた、この三つの項のいずれか一つを変えるとたちまちに比例全体が壊れてしまう。もし主権者が政治をしようとしたり、行政官が法律をつくろうとしたり、あるいは臣民が服従を拒んだりしたら、秩序は破れて無秩序に陥ってしまい、力と意志との一致は失われ、国家は専制に陥るかあるいは無政府状態に陥って瓦解してしまうのである。最後に、比例中項は各比例に一つしかないから、ある国家には善良な政府は一つしかあり得ないということになる。けれども、無数の事件が人民の比例を変えることができるから、各国民にそれぞれ適当な政府があり得るのみならず、同一国民においても、時代を異にするにつれて、それに適当せる政府も異なり得るのである。

この二つの比例外項間に現れる種々の関係を証明するために、私は、最も証明の容易な、人民の数を例にとろう。

国家が一万人の市民から成り立っていると仮定しよう。主権者は集団として、即ち全体としてしか考えることができぬが、各個人は、市民としては、一私人として考えられる。かくて、主権者と臣民との比は一万に対する一である。換言すれば、国家を構成する各員は、全く主権に服従しているが、その主権の一万分の一の分前しかもたぬことになる。ところが、十万人の人間から成り立っている国家の場合では、臣民としての地位には何等の変化もなく、全く法律の支配を受けるのであるが、各臣民の投票権は十万分の一に減少し、法律の作製にあずかる力は前の場合の十分の一に減少する。そこで、臣民は常に一つであるが、主権者の比例は、市民の数と共に大きくなる。従って、国家が膨大するにつれて、自由は益々減少するのである。

私が比例が大きくなると言ったのは、比が等式から遠ざかるという意味なのである。そこで、比例が幾何学的意味において大きくなれば大きくなる程、普通の意味においては小さくなるのである。前者においては比例は量によって考えられ、指数によりて計られるが、後者においては比例は方程式に従って考えられ、対比によりて計られるのである。

ところで、個人意志の一般意志に対する関係が、換言すれば、習俗の法律に対する関係が小さくなれば小さくなる程、抑圧力を大きくしなければならぬ。そこで、善良な政府たらんがためには、政府は国民の数が多くなるに比例して益々その力を強くしなければならぬ。

他の方面から考えると、国家の膨大は、公権を委託された人々に、その職権を濫用する誘惑と手段とを益々多く与えるものであるから、政府は人民を抑圧する力をより強くすべきであり、主権者または政府を抑制する力をより強くしなければならぬ。私が今言っているのは、絶対的の力のことではなくて、国家の種々な部分の相対的な力のことである。

この二通りの関係から、主権者と政府と人民との間に、連比例が成立するという考えは、出鱈目な考えではなくて、政治体の本性から必然的に生ずる結果であるということがわかる。更にまた外項の中の一つ、即ち人民は、臣民としては不変であり、一をもってあらわされるから、複比が増減すればその度びに単比も同じように増減し、従って比例中項は変化するのである。これによりてこれを見れば、政府の種類は唯一絶対のものではなくて、国家に大小の別があるだけ、政府にも性質の別があり得るということになるのである。

この説を一笑に付して、かかる比例中項を発見して政府をつくるためには、ただ人民の数の平方根を出せばよいではないかという人があるかも知れぬ。私はそれに対して答える。私がここで人口数をとったのは、ほんの一例としてとったまでであって私の言う比例は、単に人口数のみによりて計られるのではなくて、一般的に、無数の原因の結合せる活動の分量によりて計られるものであり、しかも、簡単に説明するために、私は仮に数学上の言葉を借りたのであるが、精神的の分量は、数字で正確に表わすことはできないということを知らぬわけではないと。

政府は大規模な政治体の中に含まれている、小規模な政治体である。それは、若干の機能を賦与された精神的人格であり、能動的には主権者の如く、受動的には国家の如きものであり、それと類似の関係に分解することのできるものである。その結果として、一つの新たな比例が生じ、更にその内部に新しい比例が生じ、次々に、行政の等級に応じて遡ってゆけば、遂に分割すべからざる比例中項、即ち唯一人の元首あるいは最高行政官に達する。この元首あるいは最高行政官は、この級数の中央に位し、分数級数と正数級数との間にある一なる数をもってあらわされる。

けれども、こんなに煩わしく項を増してゆかないで、我々は、政府を、国民及び主権者と異なり、両者の中間に位する国家内の新団体と考えて満足しておこう。

しかし国家と政府との間には根本的の相違がある。それは国家は自分自身で存在するに反し、政府は主権者をまってはじめて存在するということである。だから政府の支配意志は、一般意志あるいは法律以外のものでなく、またそれ以外のものであってはならぬのである。政府の力は国家の力が政府に集中したものに外ならぬのである。だから、政府が自ら、専制独断の行為をとろうとするや否や、全体の連結が弛壊しはじめる。最後に、政府が、主権者の意志よりも強い私人的意志をもち、この私人的意志に服従するために、その手中に握っている公共の力を使用し、言わば法律上の主権者と事実上の主権者との二つの主権者が生ずるようなことになると、たちまちにして社会的結合は夢消し、政治体は解体してしまうであろう。

また、政府という団体がその存在を保ち、国家という団体と異なった真の生命を維持するためには、しこうして政府の全員が一致の行動をとり、政府設立の目的に添うようにするためには、政府に特別の自我 moi が必要である。政府の全員に共通の感情が必要である。政府の維持をはからんとする政府自らの力及び意志が必要である。この個人的存在を保つには、議会、評議会、討議及び決議権、権利、称号、特権等の如き、王公に専属し、かつ行政官の地位をその骨の折れる程度に応じて名誉なものにするところのものを前提として必要とする。ただ国家という全体の中にある政府という従属的全体が、自己の存在を強固にする為に一般的制度を毀損しないように、また、政府が常に政府自身の存続をはかるための特別の力と、国家の持続をはかるための公共の力とを截然せつぜん 区別するように、一言にして言えば、政府が常に、政府のために人民を犠牲とするようなことなく、人民のために政府を犠牲にすることができるように按配することが困離なのである。

加うるに、政府という人為的団体は、国家という他の人為的団体のつくったものであって、ある点では、借用的、従属的の存在しかもたないものであるけれども、これがために、政府が有力な敏活な活動ができないわけではなく、言わば多少の強壮な健康を享受できぬわけでもない。最後に、政府は、その設立の目的から全くはなれることはできぬが、その組織の如何に従って、いくらかその目的から遠ざかることはできるのである。

かくの如き相違から、国家そのものを変更するところの偶然的、特殊的関係に従って、政府が国家に対してもつべき様々な比例が生れるのである。何となれば、最良の政府といえども、もしこの比例が、その政府の属する国家の欠陥に従って変更されなかったならば、最悪の政府となるであろう。


第二章 種々の政体を成立せしむる原理

種々の政府の差別の生ずる一般的原因を証明するためには、前に私が国家と主権者とを区別したように、政府とその原質とを区別しなければならぬ。

行政官の団体は、多数の行政官をもって組織することもできるし、少数の行政官をもって組織することもできる。我々は主権者と臣民との比例は、人民の数が多い程大きくなるということを述べた。そこで、明白な類推によりて、政府と行政官との関係についても同じことが言える。

ところで、政府の力の総量は、常に国家の力の総量であるから、これは決して変化しない。従って、政府が、この力を政府員に用いる分量が多ければ多い程、政府が国民全体に対して用いる力が少なくなるということになる。

故に行政官の数が多ければ多い程、政府は薄弱になるのである。この原則は根本的原則であるから、我々はこれをもっとはっきり証明しようと思う。

我々は行政官という人間の中に、本質的に異なった三つの意志を区別することが出来る。第一は彼自身の個人的意志で、この意志は彼一個人の私利のみをはかるものである。第二は、行政官全体に共通の意志である。この意志は、ひとえに政府の利益のみをはかるものであって、団体意志ともいうべきものである。しこうしてこの意志は、政府にとっては一般意志であるが、政府をその一部分とする国家にとっては個人意志である。第三は人民の意志あるいは主権者の意志である。この意志は、全体として考えられた国家にとっても、全体の一部として考えられた政府にとっても等しく一般的である。

完全な立法においては、個人意志即ち私的意志は無効でなければならぬ。政府に特有の団体意志は極めて従属的なものでなければならぬ。従って、一般意志あるいは主権者の意志が常に他の一切の意志を支配する唯一の規準でなければならぬ。

これに反して、自然状態では、これ等各種の意志は、自分の身に近い程度に比例して、益々強くなるものであるから、一般意志は常に最も弱く、団体意志は第二に位し、個人意志は最も強い。そこで、政府員は、先ず第一に自己であり、次に行政官であり、最後に市民である。即ち社会状態が要求するものとは正反対の順序になる。

そうすると、もし政府全体が一人の手にあるとすると、個人意志と団体意志とは全く一致し、従って、団体意志は最大限度の強さを発揮する。しかるに力は意志の強さに準じて使用されるものであり、政府の絶対的の力は不変であるから、最も強力な政府は一人の政府であるということになる。

これに反して、政府と立法者とを合一し、政府を主権者とし、市民全体を行政官にしたらどうであるか。この場合には、団体意志は一般意志と混同してしまい、一般意志以上の活動はできなくなり、個人意志をして思うままにその羽翼を伸ばさしむることなるだろう。かくて、絶対的には常に同一の力をもっている政府の、相対的な力即ち活動力は最小限度に減ずるだろう。

この関係は疑うべからざるものである。しかもこれを確証する事項がこの他にもあるのである。たとえば、各行政官は政府の中においては、各市民が国家の中においてよりもより強い力を発揮するものであり、従って個人意志は主権者の行為の中においてよりも政府の行為の中においてより大なる力をもっていることがわかる。何となれば、各行政官はほとんど常に政府の何等かの役目を委任されているが、各市民は、一人一人としては何等主権の職能を委任されておらぬからである。しかのみならず、国家が膨張すればする程、国家の力はそれに比例して大きくなるとはいえぬが、その実際の活動力は大きくなる。けれども、国家が同じであるのに行政官の数を増やしたとて何にもならぬ。それによりて政府の実力は少しも増しはしない。何となれば、政府の力は国家の力であり、国家の力の量は常に一定不変であるからである。だから、政府の相対的の力即ち政府の活動力が減るばかりで、政府の絶対的の力あるいは実際の力は少しも増加する筈はないのである。

更にまた、政務を委任された人の数が多くなるに従って、政務の執行が益々敏活を欠いてくること、あまり用心をして大事をとっていると、機会を捉えることができなくなり、好機はむざむざと逃げてしまうこと、あまり考えすぎると考えた甲斐がなくなってしまうことなどはいずれも確実である。

私は今、行政官の数が増すにつれて政府の力が弛緩して来ることを証明した。それからさきに人民の数が増すにつれてこれに対する強制力を増加する必要があることを証明した。そこで、行政官と政府との比例は、臣民と主権者との比例の逆比例をなすべきであるということになる。換言すれば、国家が膨脹するにつれて、政府は収縮し、人民の数の増加に正比例して行政官の数が減るようにしなければならぬということになる。

ついでに言っておくが、私がここで言っているものは政府の相対的の力のことであって、それが正しいというのではない。何となれば、その反対に、行政官の数が多ければ多い程、団体意志は一般意志に接近して来るが、行政官が一人であれば、行政官の団体意志は、私が前に述べたように一人の個人意志に過ぎなくなるからである。こういうわけで、いずれにしても一長一短があるのであって、政府の力と意志とが常に釣り合いを保って、国家に対して最も有利な比例を持するのは如何なる点であるかを決定するのが、立法者の技量にまつところである。


第三章 政府の分類

前章において、我々は、何故に政府を構成する人間の数によりて政府の種類が分れるかを説明した。本章ではこの分類が如何にして行われるかを説明すればよい。

主権者は、先ず第一に、政治を国民全体あるいは国民の大部分に委任し、ただの個人としての市民よりも行政官の任務を帯びた市民の数を多くすることができる。かくの如き政体は民主政治 démocratie と呼ばれる。

あるいはまた、主権者は、政治を少数者の手中に制限し、行政官よりもただの市民の数をずっと多くすることもできる。こういう政体は貴族政治 aristocratie と名づけられる。

最後に、主権者は、全政治を一人の行政官の手に集中し、他の市民はことごとくその権力をこの一人の行政官から受けるようにすることもできる。この第三の政体は最も普通の政体であって君主政治 monarchie あるいは王政 gouvernement royal と称せられる。

これ等三つの政体、少なくも最初の二つには種々程度の相違があり、しかもかなり広い区域に亘っていることを注意しなければならぬ。何となれば、民主政治は人民の全部を包含しても民主政治であるし、人民の半分を包含しても、やはり民主政治である。また貴族政治は、人民の半分をもってもつくることができるし、極めて少数者でもつくることができる。王政にでさえも多少の区別が設けられる。スパルタには常に憲法によりて二人の王があった。ローマ帝国には同時に八人の皇帝があったが、それでいてローマ帝国が分裂しているとは言えなかった。かくの如く、各政体には次の政体と混交する点があるのである。それ故に、この僅か三つの名称の下に、実際には国家が有する市民の数と同じ数の政体があり得るということがわかるのである。

そればかりではない。同じ政府も、ある点では別々の部分に細分することができ、甲の部分には甲の行政が布かれ、乙の部分には乙の行政が布かれる。そこでこの三つの政体の結合によりて、数多の混合政体が生れ、この混合政体の各々は、また単一政体の種類によりて倍加するのである。

如何なる政体が最善の政体であるかについては、いつの時代にも随分論じられたがある場合にはある政体が最善であるが、他の場合にはその同じ政体が最悪のものになるということは誰も考えたものがない。

もし、様々な国家において、最高行政官の数が市民の数と逆比例すべきであるとすれば、一般に民主政治は小国に適し、貴族政治は中位の国に適し、君主政治は大国に適するということになる。この規則は、前述の原則から直ちに演繹することができる。けれども、それには数え切れない程無数の事情があって、そのために例外が生ずるのである。


第四章 民主政府

法律をつくる人は、その法律を如何に運用すべきか、如何に解釈すべきかを誰よりもよく知っている。そこで、一見、執行権と立法権とが一つになっている制度以上に善い制度はないように思われる。けれどもかかる制度はある点で、民主政治の欠陥となるのである。何となれば、かかる制度では当然区別さるべきものが区別されず、為政者と主権者とが同一人であるから、言わば政府のない政府がつくられるからである。

法律を作る人が法律の執行にあたるのはよくない。また、国民の団体が公共一般の事柄から注意をそむけて、個人的の事柄に注意を向けるのもよくない。公共の仕事に私欲の念がまじるのはこの上ない危険である。政府が法律を濫用するのよりも、立法者が私利に眼がくらんで腐敗するのは更に悪い。そんなことになると、国家は根底から腐敗してしまって、如何なる改革も不可能になる。政治を濫用しない国民は決して独立を失うようなことはない。常に自らをよく統治する国民は、決して他から統治されることはないのだ。

民主政府という言葉の意味を厳密にとれば、真の民主政府は従来も存在しなかったし、今後も存在しないだろう。多数者が統治して、少数者が統治されるなどということは、そもそも自然の秩序に反することである。公務を処理するために国民が始終集合ばかりしているというようなことは想像することができない。ところが、民主政府という政治の形体を変えずしては、公務を処理する目的のために委員会を設けることもできないことは明かである。

実際において、政府の職務が、多くの官庁に分配される時は、早晩、人員の最も少ない官庁が最大の権威を獲得してくるものであるということを原則として掲げてもよいと私は思う。それは、人員が少なければ仕事が敏活にはかどり、自然その官庁が権威を得てくるからに他ならぬ。

その上に、民主政治には、到底一緒に調和することのできないような様々な条件が前提として予想されている。第一に、民主政治を行う国家は、極めて小さい国家で、人民が容易に集合することができ、各市民は容易に他の全市民を知り得る必要がある。第二に、風俗が極めて素朴で複雑な政務や、厄介な議論が起らぬ必要がある。次に人民の地位及び財産が極めて平等でなければならぬ。しからざれば、国民の権利と法の権威との均衡は長続きしない。最後に奢侈しゃしが極めて少ないかあるいは全くないことが必要である。何となれば奢侈しゃしは富の結果であるか、あるいは富を必要とするものかである。故に奢侈しゃしは、富者と貧者とを同時に腐敗させる。即ち富者は富をもっているために腐敗し、貧者は富を欲しがるために腐敗するのである。奢侈しゃしは祖国を柔弱と虚栄に売り、国家の市民をことごとく騙りてある者を他の者の奴隷とし、一切の国民を偏見の奴隷とするのである。

ある有名な著述家が、徳 vertu をもって共和国の原則としたのはこのためである(モンテスキューの「法の精神」第三巻第三章を見よ)。何となれば、以上の条件はことごとく徳なくしては支えることができないからである。けれども、この天才(モンテスキューを指す)も区別すべきものを区別しなかったために、しばしば正確を欠き、往々にして明晰を欠き、主権は如何なる国家においても同一であるから、政体の異なるに従って程度は異なるけれども、善く組織された国家ならば如何なる国家においても同一の原理が見出されるということを了解しなかったのである。

更に、民主政治あるいは人民政治程、内乱及び内争の起り易い政治はないということを付言しなければならぬ。何となれば、民主政体程強くかつ不断に政体変更の危険に脅かされているものはなく、民主政体程、その政体を維持するために警戒と勇気とを必要とするものはないからである。民主政体の脳においては、特に、市民は堅忍不抜の力をもって武装し、生涯を通じて、毎日、ポーランドの議会において、有徳の士ポズナン知事〔註〕が言ったように「我は奴隷の平和よりも危険なる自由を選ぶ」Malo periculosam libertatem quam quietum servitium と心の底で言わねばならぬ。

〔註〕ポズナン知事はロレーヌ公でポーランド王の父である。

もし神々をもって成る人民があったら、かかる人民には民主政治が行われるであろう、かくの如き完全な政治は人間には適しない。


第五章 貴族政府

貴族政治には二つの極めて判然と区別された精神的人格、即ち、政府と主権者とがあり、従って二つの一般意志がある。即ち一は全市民にとっての一般意志であり、他は政府員のみにとっての一般意志である。それ故に、政府は、その意のままに内政を処理することはできるけれども、国民に対しては、主権者即ち国民そのものの名においてしか語ることはできないのである。このことを決して忘れてはならぬ。

最古の社会には貴族政治が行われた。各家族の家長が自分等同士の間で公共の事務を討議した。若年の者共は、何の苦情もなしに老練の人々の令に服した。祭司 prêtre 長老 anciens 元老院 sénat 老官 gérontes 等の名はそのために生じたのである(この四つの語のいずれにも老年という意味を含んでいるのである)。北アメリカの野蛮人の間には今なおかような政治が行われ、しかも大変よく治まっている。

けれども、制度の不平等が自然の不平等に打ち勝つにつれて、富あるいは権力が年齢にとって代った。〔註〕ここにおいて、貴族政治が選挙制度を採用するようになった。遂に、権力が財産と共に父から子に相続されるようになると、貴族の家柄 les familles patriciennes が生じ、世襲的政府ができ、二十歳の元老院議員ができるようになったのである。

〔註〕古代人の間においては、optimates という語は最善の人という意味ではなく最も権力のある人という意味であったことは明らかである。

それ故に、貴族政治には三通りの種類がある。自然的貴族政治と、選挙制貴族政治と、世製的貴族政治とがこれである。この中で、自然的貴族政治は素朴な国民にしか適しないし、世襲的貴族政治はあらゆる政治の中で最悪のものである。選挙制貴族政治が最善のものであって、本来の意味の貴族政治はこの選挙制貴族政治なのである。

貴族政治には、主権と執行権とが判然区別される利益の他に、政府員を選挙するという利益がある。何となれば、人民政治の場合では、全ての市民が生れながらにして行政官であるが、貴族政治の場合では、行政官を少数の人に限定し、しかも選挙されなければ行政官になれないからである。〔註〕しこうして、この選挙という方法によりて誠実、聡明、熟練及びその他一切の技量と衆人の尊敬とをかち得る理由が、善政の新たなる保障となるのである。

〔註〕行政官の選挙方法を法律で定めることが極めて大切である。何となれば、これを王公の意志にまかせておくと、ヴェニス共和国やベルン共和国のように世襲的貴族政治に堕することを避けることができない。この中でヴェニス共和国はずっと以前に瓦解してしまい、ベルン共和国は極めて賢明な元老院のおかげで維持されているが、これは甚だ光輝あると同時に甚だ危険な一つの例外である。

その上に、貴族政治の国においては、集会が一層便利であり、政務の討議は一層完全に行われ、一層秩序的に、敏活に進捗し、名もない、卑しい群集が政治をするよりも老練な行政官が政治をする方が遥かに外国に対して国家の信用が維持できる。

一言にして言えば、最も賢明な人々が、大衆を支配するのが、最善にしてかつ最も自然な制度である。但し、これは彼等が、彼等の私利のためではなくて大衆の利益のために政治をするに相違ないということが確かにわかっている時に限る。徒らに道具立てを増やす必要はない。選ばれた百人の人でずっと立派にやれる仕事を、二万人の人にやらせる必要はない。けれども、貴族的政治においては、政府団体の利益をはからねばならないから、一般意志に基づいて公共の力を使用する量が少なくなり、執行権の一部が法律から除外せられるという避けることのできぬ傾向があることを注意しなければならぬ。

貴族政治が特に適する国は如何なる国かというと、その国はあまりに小さ過ぎたり国民があまりに純朴正廉であって、立派な民主政治の場合のように、法律が直接公共意志によりて執行されたりしてはならない。だからといって、その国があまりに大き過ぎて国を治めるために各地に分散している行政官が、各地方毎に主権を切り離し、やがて主権者から独立して遂には首長となるようなことがあってはならぬ。

けれども、貴族政治は、民主政治に比べると徳の必要は少ないとは言え、貴族政治に独特の徳が必要である。それは富者の節制、貧者の満足である。何となれば、貴族政治には厳密な平等は当を得ていないように思われるからである。スパルタにおいてさえも厳密な平等は守られなかったのである。

加うるに、貴族政体が、ある程度の財産の不平等を認めているとしても、それは、一般に国家の行政事務を、これが処理に全生活をささげ得る人に委任したまでであって、アリストテレスが言ったように、富者が常に選ばれるわけではない。その反対に、富者ではないものが選ばれる時には、往々にして、人間の値打ちには、富以上に大切なものがあるということを人民に教えるものである。


第六章 君主政府

これまで、我々は王公なるものを、法律の力によりて結合され、国家において執行権を委託された法人あるいは集合的人格として考えて来た。今や我々は、この行政が法律によりてこれを処理する権利をもった一人の自然人、実在の人間の手に集中された場合を考えねばならぬ。これが君主あるいは国王と称せられるものである。

集合体が一個人を代表している他の政体とは全く反対に、君主政治においては、一個人が集合体を代表している。それ故に王公を構成している精神的一体は同時に肉体的にも一体であって、その一体の中に、他の政体では法律によって、非常な努力をもって合一される一切の職能が、君主政治の場合には自然に合一されているのである。

そういうわけだから、人民の意志と政府の意志、国家の公共的な力と政府の個人的な力とが全て同一の動力によりて動かされて、国家機関のあらゆる動力機が同一人の手に握られ、全体が同一目的に動いてゆくのである。そこには互いに傷つけあうような相反する運動はない。それ故に我々は君主政治以上に、最少の努力をもって最大の活動を起させる制度を想像することはできないのである。自分は静かに河岸に坐していながら、何の苦もなく、大船を進水させたアルキメデス(Archimedes, シラクサの数学者、理学者)こそ私に、室内によりて大国を統御し、一見動かないようでありながら全てのものを動かしている名君の姿をしのばしめる。

けれども、君主政治程活気に満ちた政治はないと同時に、君主政治程個人意志が優勢を占めて、容易に他の意志を支配する政治もない。全てが同一目的に進んでゆくことは事実だが、この目的は公共の幸福ではなく、政府の力そのものが却って不断に国家を害するのである。

国王は、その権力が絶対的ならんことを欲している。人々は、それには人民に愛せられるのが一番よい方法だと遠くから叫んでいる。この言葉は甚だ立派である。そしてある点では真実でさえある。が不幸にして宮廷では必ず一笑に付せられるだろう。人民の愛から生ずる権力は疑いもなく最も大なる権力である。けれども、それは他人まかせの、条件付きの権利である。帝王たるものは決して左様な権力では満足せぬ。大抵の国王は、支配者たる地位は失わないで、自分の意志次第で、悪いこともできるような地位にあることを望んでいる。政治の説法者等が、人民の力はとりもなおさず国王の力なのだから、国王にとって最大の利益は、人民が富み栄え、人口が多く、強大であることだと言うだろうが、そんなことを言っても何にもならぬ。国王はそんなことは嘘だということを知っている。王の個人的利益は、先ず第一に、人民が弱くて、貧しくて、国王に反抗する力をもたぬことだ。もっとも、臣民がいつでも完全に服従していれば、その時こそは、人民の力は帝王の力になるから、それで隣国を威圧するために、国民の力の強いのが帝王の利益になる。けれども、この利益は、第二義的の、従属的のものであり、かつこの二つの仮定は両立しないものであるから、帝王は、直接自分により有利な方を選ぶのは自然である。これはサムエル Samuel がヘブライ人に強調したところであり(旧約聖書サムエル第一書八章十一節――十八節を見よ)マキャヴェリが証拠をあげて明かにしたところである。マキャヴェリは国王に教えると称しながら、その実人民に大教訓を与えているのである。マキャヴェリの「帝王論」は共和党の宝典である。〔註〕

〔註〕マキャヴェリは正直な人であり、善良な市民であったが、メディチ家に仕えたので、祖国の圧制の中にありて、自由を愛す念を隠すことを余儀なくされていたのである。彼のいとうべき英雄シーザー、ボルジアの選択だけでも、彼の秘密の意志を示してあまりがある。しこうして、彼の著書「帝王論」の主張と「ティトゥス・リウィウス論」並びに「フィレンツェ史」の主張とが矛盾しているのを見れば、この深遠な政治学者の説は、これまで、浅薄な、堕落した読者によりて誤られていたことがわかる。ローマの宮廷は、彼の著書を厳禁したということだが、私はそれはもっともだと思う。何故かならば彼が最も鮮明に描写したのはこの宮廷なのだから。

我々は、既に、一般的の理由から、君主政治は大国にしか適しないということを見出したが、今度は更に、君主政治そのものを検査して、このことを明かにしようと思う。国家行政にあたる人の数が増加するにつれて、王公の臣民に対する比は少なくなり、両者の比例は等式に近くなり、遂に民主政治になると、その比例は一になる。即ち等しくなるのである。この比例は政府が小さくなるにつれて大きくなり、政府が一人の手に帰するときにその最大限度に達する。この場合には、政府と国民との間には大なる距離が生じ、国家には連鎖がなくなってしまう。そこで、この連鎖をつくるために両者の中間に介在する階級が必要となる。この階級を満たすために王侯、大公、貴族等が必要となる。ところが小国には、こんなものは一切適しないのであって、これ等の階級が小国に生じると小国は亡びてしまうのである。

本来、大国を良く治めるということは困難であるが、この大国がただ一人の手で良く治められるということは更に更に困難である。国王が、自分の代りの者に政治をさせるとどんなことが起るかは周知のことである(これは当時フランスを治めていた三十人の知事をさしたものらしい)。

君主政治を、いつでも共和政治よりも劣ったものにする、本質的にして避くべからざる欠点は、共和政治においては、その地位に恥ずかしからぬような、賢明にして有能な人物以外の人を国家の高位にのぼせることは滅多に世論が許さないが、君主国において出世する人は、大抵の場合に、小ざかしい悪人、悪漢、陰謀家のたぐいであって、これ等の人々の小才は朝廷において要職をかち得るには役立つが、その要職についてしまえば、公衆に対してたちまちその無力を暴露するに過ぎないものであるという事である。この選択に関しては、人民は帝王よりも誤ることが遥かに少ない。しこうして、国王の閣臣に真に有能の士が少ないのは、共和政府の首脳に愚人が少ないのとほとんど似ている。だから、万が一運よくもかかる天成の王者が、これ等の歴々の閣臣共によってほとんど没落せんとしている王国の政務を鞅掌おうしょうする時には、この王者は驚天動地の手段をとり、その国の新時代を画するのである。

君主国の統治が宜しきを得るためには、その領土の大きさあるいは広さが、統治者の能力に相応していることが必要である。征服することは統治することに比べると遥かに容易である。十分に大きい槓杆こうかんがあれば一本の指で世界を動かすことができるが、これを支えるためにはヘラクレスの肩がいる(ヘラクレスはギリシャ神話中の強力無双の神である)。どんなに小さい国の場合でも、国王の力が有り余るというようなことはほとんどない。これに反して、滅多にないことではあるが、万一国王の力に比して国土が小さ過ぎるようなことが起るとその国の統治はなおさらうまくゆかない。何となれば、この国王は常に広大な野心を抱いて人民の利益を忘れ、有り余る才能を濫用するから、人民は才能のない凡庸な国王に統治される場合よりも決して幸福にはならないのである。だから、君主国の国土は、君主の能力に応じて、君主の代る毎に拡張したり収縮したりする必要があるとも言える。けれど元老院の能力は、国王の能力に比べると遥かに不変であるから、元老院が国を治める場合には、その国の国境を一定しておいても、統治がうまくゆかぬというようなことはないのである。

唯一人の政府の最も著しい不便は、他の二つの政体の場合には連綿として不断に継続している統治者が不断に継続しないという点である。一人の国王が亡くなれば、別の国王が必要になり、これを選挙するために危険極まる中間期が生じて来る。この中間期は物騒千万な期間であって、市民が公明正大でない限りは陰謀腐敗がくびすをついで起るのである。しかる君主政治において、市民の公明正大を望むのは木によって魚を求めんとする程難しいのである。国家が自らを売った当の相手が、今度は自分がそれを売り、強者にしぼりとられた金を弱いものからとって埋め合せないのは難しいことである。だから君主政治の治下においては、早晩すべての事柄が金銭づくになる。それ故に、国王の治下において享楽せられる平和は、空位の時の騒乱よりも更に悪いのである。

この害悪を防止するためにどんなことがなされたか? ある王室では王位が世襲的にされた。そして王位継承の掟を定めて国王の死に伴うて起る一切の紛議を防いだ。即ち国王選挙の弊を除いた代りに摂政の弊を設けたのである。善政を捨て、表面の静穏を選んだのである。賢明な国王を選挙する場合の紛争よりも、子供や、不具者や白痴を国王にいただくのを喜んだのである。そして、かくの加く、どちらかの危険を選ばねばならぬ時にあたって、ほとんど全部都合の悪い方を選んだのだということに気がつかなかったのである。ディオニュシオス(シラクサの僭王)がその息子の良くない行いを叱責して「お父さんがそんなことをして見せましたか」と言った時、息子のディオニュシオス(編註:ディオニュシオス二世)が「そうです、父上のお父さんは国王ではありませんでした」と答えた言葉は玩味すべき言葉である。

他人を支配するように育てられた人間には、何もかもが調子を合せてその人から正義と理性とを奪わせるようにしむけられているのである。若い王子に統御の術を教えこむのは非常に骨の折れる仕事だと言われている。ところがそんな教育は少しも彼等のためにはなっていないようである。先ず王子に対して服従する術から教えてかかった方がましなのである。史上に名を残した最も偉大な国王達は、決して支配をするように教育されたのではない。統治をするという学問はどれほど学んだところで熟達しない学問である。そして、支配をするよりも服従する方がよくその術がのみこめるのである。「善いことと悪いこととを区別する最も便利にして最も手っ取り速い方法は他の王の下にたった時そのことを汝が喜ぶかどうかを考えて見ることである」(タキトゥスの「歴史」第一篇第十六章にあるガルバの言葉である)

この国王の変更常なきことから生ずる一つの結果は王政の動揺ということである。即ち王政はこれが統治者たる帝王あるいは帝王に代って統治する人の性格次第によって政策を異にし、長く一定の計画を維持することもできず、施政方針が一貫しないのである。この政府の朝三暮四常なきことは、国家の政綱を絶えず動揺せしめ、転々としてその国策を変化させる。かかる現象は君主政治以外の政治では決しておこらぬことである。けだし他の政治においては、政府当局は常に同一であるからである。そこで、概言すれば、君主国の宮廷は策略に富み、共和国の元老院は叡智に富むということ、並びに、共和国は、その目的に向って確固たる遠大な見解によって進んでゆくが、君主国における内閣の更迭は国家の革命を招致するものであるということがわかる。それは、全ての閣臣並びにほとんど全ての国王は、先人の政治を徹頭徹尾逆にすることを主義としているからである。

この王政に持続性が欠如しているということから、君主政治を主張する政治家の非常に好んで用いる詭弁が解決される。この詭弁とは、ただに一国の政治を一家の政治に比較し、帝王を家父に比較することばかりではない。このことが誤りであることは既に論駁したが、更に、帝王に必要なるあらゆる徳を、無闇に実際帝王が兼備しているように思い、常に現実の帝王を理想の帝王だと思いこむことである。こんな仮定を許せば、君主政治は他の如何なる政治よりも望ましいものであることは明かである。何となれば、君主政府が最も強大な政府であることは疑いの余地がないから、ただ一般意志に最もよく合致した意志さえあれば、最上の政府となるわけだからである。

けれども、もし、プラトンの言うように、天成の国王が暁天の星のように稀であるとすれば、自然と運命とが協力してこの稀なる人物を王位に即かしめるような幸運が果して幾度びあるだろうか? また、宮廷教育がこれを受ける人を必然的に腐敗せしめるとすれば、王者として教育された人の登極から我々は何を期待すべきであるか? 観じ来れば、君主政治と明君の政治とを混同するのは、自己を欺かんとするものではないか。君主政治そのものの何たるかを知らんと欲せば、これを凡庸なあるいは悪い帝王の下において考察しなければならない。何となれば、こういう人々が王位に即くかあるいは王位がそれに即いた人をこんな風に堕落させるかいずれかであるからである。

これ等の難問を我が著述家諸氏は気がつかなかったわけではないが、彼等はそれにかかりあうことを避けたのである。彼等は、ぐずぐず言わずに黙って服従しているより外には仕方がないというのである。神が怒って悪王を与えたのであるから、我々は天罰としてこれに忍従しなければならぬというのである。こういう議論は成る程神々しい議論であるけれどもこういう議論は、政治の書物においてするよりも、説教台に上ってした方がよく似合いはしないだろうか。病人に向って、奇蹟を説き、ただ、じっと病気を忍んでいるようにすすめる外には何も知らない医師を我々は何と言うだろう? 悪い政府の下にある時にはそれを忍ばねばならぬくらいのことは誰でも百も承知している。問題は善い政府を見出すことなのだ。


第七章 混合政府

正確に言えば単純な政府なるものは存在しない。一人の元首にも多くの属官がなければならぬし、人民政府にも一人の首長がなければならぬ。かくの如く、行政権の分割には、常に多数から少数への段階がある。しこうして時には多数者が少数者に支配され、時には少数者が多数者に支配されるという相違があるのみである。

時とすると、これが等分されることがある。その場合には、イギリスの政府におけるように、各部が相互依存の関係にたつときと、ポーランドの政府におけるように、各部の権威が不完全ではあるが独立しているときとがある。後者の如き政体は悪い政体である。何となれば、この場合には政府に統一がなく、国家が脈絡を失うからである。

単純政府と混合政府とはいずれが優っているか? この問題は政治学者の間にかまびすしく論じられたものであるが、これに対しては、私が全ての政体の中でどれが最も優っているかという問に対してなしたと同じ回答をしなければならぬ。

単純政府は、それが単純であるというだけの理由で、それ自身において優っているけれども、執行部が十分に立法部に従属しないとき、換言すれば、政府と主権者との比が国民と政府との比よりも大きい時には政府を分割してこの割合を保つようにしなければならぬ。何故かというに、そうすれば、各部分を合せた全体の臣民に対する権威を減ずることなくして、それを分割したために各部分はいずれも主権者に対する力を弱めるからである。

立法部と行政部との不均衡は、また両者間に介在する官吏を設け、この官吏が政府は分割しないでそのままにしておき、ただ両部の均衡をはかって、それぞれの権利を支持せしめることによって防ぐことができる。この場合には政府は混合されているのではなくて調節されているのである。

これと反対の不便も、これと同じような方法で矯めることができる。即ち、政府があまりに放散している時には、執政官を設けて、政府の力を集中することができる。これは民主政治の国では常に行われていることである。第一の場合には、政府の力を弱めるために政府を分割し、第二の場合には政府の力を強めるために政府を分割するのである。何となれば極端に強い政府や極端に弱い政府は等しく単純政府において見出されるのであって、混合政体は政府の力を中位にするからである。


第八章 全ての政体は全ての国家に適合するものではない

自由は如何なる風土にでも実を結ぶものでないから、如何なる国民でもこれを手に入れるというわけにはゆかない。モンテスキューの唱えたこの原則は、これを玩味すればする程、その真理なることが益々はっきりして来る。これを疑おうとすれば疑おうとする程、益々新しい証拠が加わって来て、これを確かにする。

世界のあらゆる政府において、公人は消費するばかりで何一つ生産しない。それでは彼等が消費する者は一体何処から生ずるのであるか? それは同胞の労働から生ずるのである。公共の必需品をつくり出すものは、個々人の剰余である。そこで市民国家なるものは、人々の労働がその必要以上のものを生産する間だけしか持続できないということになるのである。

ところが、この余分の生産物は、世界各国ことごとく同じではない。ある国ではこの余分の生産物は多く、ある国では少なく、ある国では全く無く、またある国では必要を満すにも足りない。この割合は、気候に基づく土地の肥瘠ひせき、土地が必要とする労働の種類、土地の生産物の性質、住民の体力、住民が必要とする消費の多少、並びにその他の、この剰余物を構成する、これに類似の関係によりて定まるのである。

また、他方において、全ての政府はその性質が同じではない。多く消費する政府もあれば少ししか消費しない政府もある。この相違は、公けの費用は、その負担者から遠ざかっておれば遠ざかっておる程高価になって来るという別の原則に基づいているのである。この負担の軽重は、課税の量によりて測るべきではなく、この課税が負担者の手へ帰ってくる道程の長短によりて測るべきである。この流通が敏活に要領よく行われさえすれば、納税の多少は問題ではなく、国民は常に富み、財政は常に順調にゆくのである。これに反して、国民の支払う額が如何に少なくとも、この少額の支払いが国民の手へ帰って来ないときには、国民は支払う一方で、遂には疲弊してしまう。即ち、国家は永久に富むことなく、国民は永久に乞食の境涯を脱しないのである。

そこで国民と政府との距離が増すにつれて貢税の負担は重くなるということになる。かくて、民主政治の国においては国民の負担は最も軽く、貴族政治の国においては、負担が増し、君主国においては、負担は最も重くなる。それだから君主政治は富裕な国にしか適せず、貴族政治は、富においても国土においても中庸の国に適し、民主政治は貧しい小国に適する。

実際、この点をよく考えれば考える程、自由国と君主国との相違がこの点に存することを見出すのである。前者においては、全てのものが公共の利益のために使用され、後者においては、公共の力と個人の力とが相互関係に立ち、一方が増せば一方が減ずるという関係になっている。これを要するに、専制政治は、臣民を幸福にするためにこれを統治するのではなくて、臣民を統治するためにこれを不幸にするのである。

そこで、風土の異なるにつれて、必然的にその風土に適する政体が何であるかを知り、その風土が如何なる種類の住民に適するかをさえも定めることのできる自然的原因があるのである。

労働に相当する生産物のない不毛荒蕪の地は、開墾せずに荒れるがままになっているか、あるいはただ蛮人が居住するのみに過ぎない。人々の労働が、ただ正確にその必要限度に止まる土地には未開人が住むに相違ない。かかる土地では如何なる政治も施すことができない。労働に対する生産物の過剰があるにはあるがあまり多くない地方には自由国民が住むに相違ない。土地が豊沃で、少しの労働に対して沢山の生産物が得られる土地は臣民の過剰物を政府の贅沢によりて消費させるために、君主政治によりて統治させるのがましである。それは、この過剰の生産物が個々人に浪費されるよりも、政府に吸収される方がましだからである。もっともこれには例外があることは私も知っている。けれどもその例外そのものがこの通則を確証するのである。というのは、かかる例外の場合には、早晩革命が起って、事物を自然の秩序に復帰せしめるからである。

我々は、常に一般的法則と、その法則の結果に変更を与え得る特殊の原因とを区別しなければならぬ。南方諸国がことごとく共和国となり、北方諸国がことごとく専制国家となったところで、気候から言えば、専制政治は暖国に適し、野蛮は寒国に適し、温帯地方には善政が適するという真理には依然として変わりはないのである。更にまた、私は原則は承認しても、その適用には疑問の余地があり得るということを知っている。即ち寒国にも極めて豊沃な国もあれば、南国にも極めて不毛な国があると言っても差支えないのである。けれどもこの困難は、この事のあらゆる関係を調べて見ない人にとってのみの困難に過ぎない。私が既に言ったように、労働、体力、消費等を勘定に入れなければならぬのである。

ここに面積の等しい二つの地方があって、その生産物は五に対する十の割合であると仮定しよう。もし前者の住民が四を消費し、後者の住民が九を消費するとせば、前者の剰余生産は五分の一であり、後者のそれは十分の一である。そこで両者の剰余の割合は生産の割合の逆であって、五しか生産しない土地が十を生産する土地の二倍の過剰を残すことになるのである。

けれども、生産が二倍であるということは問題ではない。私は、誰だって、一般的に、寒国の土地の豊沃さが暖国のそれと等しいとは言わないだろうと思う。しかしながら、仮にそれを等しいとしよう。そして、お望みなら、イギリスとシチリア島とを同じ地味の土地であるとし、ポーランドとエジプトとを同等だとしよう。更に南へゆけばアフリカやインドがあるが、もっと北へいっても何もないのだ。この生産物の等しい二つの国で、その耕作には何という相違があるのだろう? シチリア島ではただ土を掻きまわしさえすればよいのに、イギリスではこれを耕耘こううんするのに何という骨の折れることだろう! ところが、同量の生産物を得るのに骨の折れる所では、その剰余は必然的に少ないにきまっているのだ。

その他に、暖国では、同じ人数でも、その消費は遥かに少ないということを考えなければならぬ。それは気候の関係上、暖国では、健康を維持するためには、暴飲暴食してはならないからである。熱帯地方で、本国でと同じような生活をしようとするヨーロッパ人は皆赤痢や不消化で死んでしまう 。シャルダン(Jean Chardin, 1643-1713, ペルシャ及び東インドを旅行してこれ等の土地に関する種々の事実を蒐集した人で、モンテスキューはこれから多く引用している)は言った。『我々はアジア人に比べると肉食獣である。狼である。ある人はペルシャ人の小食は、この国が十分に耕作されていないからだと言っているが、自分はその反対に、ペルシャに食料品が乏しいのは、住民の小食のためだと思う』。彼は更に続けて言っている。『もし彼等の粗食が国内に食物が欠乏しているためならば、貧乏人だけが小食すればよい筈で、全ての人が小食する筈がない。そして、国内の各地方にその土地の肥瘠ひせきに従って多食する所もあれば小食する所もあるという風で、国内全般に節食するという筈がない。ペルシャ人は彼等の生活方法を非常に自慢して、彼等がキリスト教国の住民に比して如何に優っているかは彼等の顔色を見ればわかるといっている。実際ペルシャ人の顔色は滑らかで、彼等の皮膚は、美しく、きめが細かくて艶がよい。ところが彼等の属領であるアルメニア人はヨーロッパ流の生活をしているが、その顔は、がさがさしていて、吹出物だらけで、その身体は粗野で鈍重である』。

赤道に近づくに従って住民は小食になる。赤道付近の住民はほとんど肉食をしない。米と玉蜀黍とうもろこし と、黍と、粟と、キャッサバとが彼等の常食である。インドには一日の食費が一スウ(約二銭弱)しかかからない人が何百万となく住んでいる。我々は同じヨーロッパ人の間にでも、北国の住民と南国の住民との間には、食欲の点で著しい相違のあるのを見る。スペイン人はドイツ人の一度の晩餐で八日も生きてゆけるだろう。人間が多食をする国では、また食物に贅沢をする傾向がある。イギリスでは肉類をいっぱい並べた食卓にその傾向が現れている。ところがイタリアの御馳走は砂糖と花とだ。

衣服の贅沢にもまた同じような相違がある。季節の変化が急激な地方では、住民の衣服は、質がよく、かつ質素である。装飾のためにしか衣服を着けない地では、衣服に実益よりも華美を求める。かかる地方では衣服そのものが既に贅沢なのである。ナポリでは、毎日金ぴかに著飾った人が、素足でポジッリポ(ナポリの遊園地)を散歩している。このことは住宅についても同様である。大気の害を少しも恐れなくてもよい処では、住宅は、豪壮という点にのみ注意される。パリやロンドンの人は暖かい居心地のよい住宅を欲する。ところがマドリードの人は、豪奢な客間を備えているけれども室を閉ざす窓もなく、寝室は物置同様である。

暖国の食物は、遥かに質がよくて、滋養に富んでいる。これは第三の相違であるが第二の相違に影響を及ぼさざるを得ない。イタリアの人はどうして野菜を沢山食うのだろうか? それはイタリアの野菜は質がよく、滋養に富んでいて美味だからである。フランス人は水ばかりで野菜を育てるものだから、野菜は少しも滋養にならぬ。それで食卓では野菜はほとんど物の数にも入っていないのである。それでいてこれを育てるのに土地が少しですむというわけではないし、これを培養するには少なくも同じくらいの労力がかかるのだ。経験によると、バルバリーの小麦は他の点ではフランスの小麦に劣っているが、麦粉はフランスの小麦からよりもずっと沢山とれる。それからフランスの小麦は北国の小麦に比べると麦粉が沢山とれる。そこで、一般に赤道から極地へ近付くに従って、これと同様の段階が見られると推測することが出来る。ところで、同じ分量の生産物から、少しの食物しかとれないということは、明かに不利益ではないか?

これ等の諸点に今一つ私は付け加えることができる。これは以上の事柄から生じて来たものであるが、同時に以上の事柄を確かめるものでもある。それは暖国は寒国よりも人間が必要でないのに、寒国よりも多くの人間を養うことができるだろうという点である。そこで暖国には二重の剰余が生み出され、常に専制政治に便益を与える。同数の住民が広い土地に住んでいると、その土地が広ければ広い程叛乱が困難になる。それは、機敏に、秘密裡に事を謀ることができないためと、政府が陰謀を看破して通信を遮断することが容易なためとである。けれども多数の人間が密集していると、政府が主権者の権利を簒奪することが難しくなる。即ち民党の首領が自分の室で安全に協議画策し得ることはあたかも帝王が宮中の閣議において安全に協議し得ると同じく、かつ軍隊が練兵場に集合すると同じように迅速に群集は広場に参集するのである。故に圧制政府にとっては、遠い距離から支配するのが都合がよい。圧制政府はその支配の助けによりて、遠ざかるに従ってその力を増すことあたかも槓杆こうかんの如くである。〔註〕これに反して、国民の力は集中したときに発揮される。国民の力はばらばらになっているときには、地上に撒布された火薬の粉が一粒ずつしか点火しないように、煙になって消え失せてしまうのである。かくの如く、虐政に最も適した国は人口の最も稀薄な国である。猛獣は荒野においてのみ支配者である。

〔註〕これは、私が大国の不便について前に(第二篇第九章)述べた事柄と矛盾するものではない。何となれば、前の場合には、官吏に対する政府の権威について論じたのだが、ここでは、臣民に対する政府の力を論じているのだからである。各地に散在している官吏は遠隔の地に住む国民に対しては政府の支点となるけれども、政府が直接に官吏そのものに対する場合には支点となるものがない。かくの如く、槓杆こうかんの長いことは人民に対する場合には政府の力を増し、官吏に対する場合には政府の力を減ずる。


第九章 良政府の特徴

こういうわけだから、どんな政府が絶対的に最良の政府であるかという問題は意味が不確かであって、かつ決し難い問題である。あるいは、この問題の正しい解答は、各国民の絶対的位置と相対的位置とのありとあらゆる結合の数と同じだけあると言えるのである。

けれども、ある特定の国民が良く統治されているかあるいは悪しく統治されているかは如何なる特徴によりて知ることができるかという問題は、自ら別個の問題であって、かくの如き事実の問題には答えることができるのである。

けれども、各人がめいめい思い思いにこの問題を解決しようとするものだから、この問題は解決されてはいない。臣民は国家の平穏無事を謳歌するが、市民は個人の自由を謳歌する。前者は所有の安全を欲するが、後者は人格の安全を欲する。前者は善良な政府は最も厳重な政府であることを望むが、後者は善良な政府は寛大な政府であることを望む。ある者は犯罪の罰せられることを欲し、ある者は犯罪を防ぐことを欲する。ある者は隣邦に畏怖されることを喜ぶが、他の者は隣邦に無視されることを喜ぶ。ある者は貨幣が流通しておれば満足するが、ある者はパンを要求する。しかも以上の諸点並びにこれに類似する諸点において意見が一致したとしても、それによって事態が果して良くなるだろうか? 無形の性質には判然たる尺度がないのだから、外部的特徴について意見が一致しても、どうしてその評価について一致が望まれようか?

私は、常に、こんなにわかりきった特徴にどうして世人が気がつかないのか、あるいは一致してこれを認めない程どうして世人が不真面目なのかをあやしんでいる。一体政治的結合の目的は何であるか? それは団員の保全と繁栄とではないか。しからば彼らの保全と繁栄とを示す最も確実な徴侯は何であるか? それは彼等の数である。人口である。だから、このかれこれ論議された特徴を探すために、それ以外の方面へ行くには及ばない。他の全ての条件が等しいとすれば、ある政府の下に、外国の援助なしに、即ち帰化や植民なしに住民が増殖してゆく政府こそ、まぎれもなく最良の政府ではないか。しこうして最悪の政府とは、その政府の治下で人口が滅少し、滅亡してゆく政府ではないか。統計家諸君、これは諸君の領分だ、算定し、計量し、比較して見なさい。〔註〕

〔註〕人類の繁栄に最も望ましい時代は如何なる時代であるかを判断するにも、これと同じ原則によらなければならぬ。世人は文学や芸術の栄えた時代を、それを盛ならしめた秘密の目的をきわめず、その呪うべき結果を考えずに、無闇に讃美した。『無智な人々はこれを文明と呼んだが、その実これは彼等の奴隷状態の一部だったのだ』(Tacitus, Agricola XXI)。我々は多くの書物の名文句の中に、著者をしてかかる言をなさしめた卑しむべき利己心を見ないだろうか? 否、彼等がどんなことを言っているにせよ、国家が如何に栄えていても、その人ロが減少している時には、万事がうまく行っているというのは嘘である。そして、ある詩人が、彼の時代があらゆる時代を通じて最良の時代だと言ったために十万リーヴルの年金をせしめただけでは、その時代が実際最良だとは言えないのだ。国家の首脳連の外見的平和と静穏とよりも国民全体の幸福を重視しなければならない。特に、人口の最も多い国においてはそうである。あられは小区域の土地を荒らすけれどあられによって飢饉が生ずるようなことは滅多にない。暴動や内乱は国家の首脳連を少なからず悩ますけれども国民の真の不幸を醸すものではない。それどころか、国民は自己の圧制者に対して争いが起っているのだから寧ろ骨休めにさえなる。国民の恒久的の状態こそ、彼等の真の繁栄あるいは不幸を生むのである。即ち全てのものが専制の下に屏息へいそくされている時こそ全てのものが衰亡する時である。その時こそ国家の首脳連が、思うままに国民を蹂躙し『国民を幽閉してこれを平和と呼んでいるのである』(Tacitus, ib. XXX)。大官連の紛擾ふんじょうがフランス国内を騒がし、パリの補佐司教が短刀を懐にして高等法院に出頭しても、フランス国民が、公正と自由の安楽の中に、幸福に栄えてゆくことを妨げはしなかった。 昔ギリシャは最も惨虐なる戦争の真只中に繁栄した。血が流れて河をなしていたに拘わらず、国内には人間が満ち満ちていたのである。「虐殺と追放と内乱の最中に我が共和国(フィレンツェ)は最も強大になった観がある。この国の内訌ないこうが国を弱めたより以上に、市民の徳と、その風習と、その独立心とはこの国を強めるに力があった」とマキャヴェリは言った。少しくらいの動乱は却って人心を鼓舞する。真に人類を繁栄せしめるものは平和ではなくて自由である。


第十章 政治の弊竇とその衰退の傾向

個人的意志は絶えず一般意志に対抗するものであるから、政府は不断に主権者に対抗しようとする。この努力が増すにつれて国家の組織は弱くなる。しこうして、政府の団体意志に対抗してこれと平衡を保たしめ得るような団体意志は他にはないから、早晩、政府が主権者を圧伏して、社会的契約を破棄する時が来るに相違ない。これは、あたかも、老衰と死とが遂に人体を滅ぼすように、政治体の出生の当初から絶えずこれを滅ぼさんとしているところの、内在的不可避的の弱点である。

政府が衰退してゆく時には一般に二つの経路を辿るものである。即ち、政府が縮小する時と、国家が崩壊する時とである。

政府が縮小するのは、それが多数から少数に移ってゆく時、即ち、民主制から貴族制へ、並びに貴族制から君主制へ移ってゆく時である。これがその自然の傾向である。〔註〕もし、政府が少数から多数へ逆行してゆくときには、政府が弛むと言えるだろうが、かくの如き逆行は不可能である。

〔註〕ヴェニス共和国が、入江の島嶼とうしょの上に除々につくられ、進行していった経路はこの変遷の著しい一例である。しこうして千二百余年も経過しているのにヴェニス人が、今なお一一九八年にセラル・ヂ・コンシリオ(議会の集結)によりて始められた第二期に止まっているのは驚くべきことである。古代の国主ドオジュについては、兎角の批難もあったが、「ヴェニス自由史」(一六一二年匿名著者によりて公刊された)がそれについて何を言っているにもせよ、それはヴェニスの主権者でないことが証明された。

君主制から貴族制に移り、更に貴族制から民主制に移ったローマ共和国の変遷は、これと正反対であると言って私の説に抗議する人があるだろう。けれども私の見解は大分違っている。

ローマ建国の祖ロームルスがはじめて建てた大政府は混合政府であった。それがたちまちにして専制政府に変っていったのである。赤ん坊が大人にならぬ前に死んでしまうことがあるように、特殊の原因によりて国家が夭折したのである。タルクィニウスの追放された時が、ローマ共和国が誕生した真の時期である。けれどもローマははじめの中は、一定不変の政体をとらなかった。何となれば、貴族パトリシアンという階級を廃止しなかったので、事業がまだ中途半端だったからである。そのわけは、こんな風では、合法政治において最も忌むべき世襲貴族が民主政治と争闘し、政体は常に動揺不安を極めていて、マキャヴェリが指摘したように保民官が設けられるまできまらなかったのである。保民官が設けられるに及んで、はじめて真の政府ができ、真の民主政治が確定されたのである。実際、この時から人民は単に主権者たるに止まらず、同時に行政官であり司法官であった。元老院は政府を調節し統一するための下級の役所に過ぎなくなった。そして、執政官そのものすら、貴族であり、最高行政官であり、戦争の時には最高司令官であったけれども、ローマにおいては人民の長官に過ぎなかった。

ところが、その時から政府はその自然の傾向をとりはじめ、貴族政治に傾いて来ている。貴族パトリシアンはまるで自ら自滅してしまい、貴族政治はもはやヴェニス、ジェノヴァにおけるように貴族の仲間で行われずに、貴族パトリシアン平民プレペイアンとから成る元老院並びに、保民官が実権を僭奪しはじめてからは、保民官によりても行われるようになった。何となれば言葉だけ変わっても実際の物は変わらないから、人民が自己に代る統治者をもっている以上は、この統治者の名称がどうであろうとも、それは常に貴族政府だからである。

貴族政治の弊害から内乱が生じ、三頭政治が生れたのである。そしてスッラ、ジュリアス・シーザー、アウグストゥス等が事実上の君主となり、遂にティベリウスの専制政治の下に国家は崩壊したのである。故にローマの歴史は決して私の原則を破るものではなく、却ってこれを確証するものである。

実際において、政府がその政体を変更する場合は、その政府の力が消耗し衰弱して、従来の政体を維持することができなくなった場合に限るのである。ところで、この時に、もし、その政府が更にその規模を拡大して、その国力を放散したならばその国力はたちまち絶滅してしまい、政府の生命は益々縮まるだろう。だから、国力が衰退するにつれて、これを緊縮しなければならぬ。しからざれば、それによりて支えられている国家は滅亡の外はないであろう。

国家の崩壊する場合には二通りの道がある。第一の場合は、政府が法律に従って国家を治めなくなり、主権を僭奪する場合である。この時には顕著な変化が行われる。この時には政府が収縮するのではなくて国家が収縮する。という意味は、大国が崩壊すると、其中に別の国家がつくられる。この国家は単に政府員によりて構成されたものであって、この国家たるや、爾余じよの国民にとっては、支配者あるいは暴君以外の何物でもないのである。そこで、政府が主権を僭奪すると同時に、社会契約は破棄され、普通の市民がことごとく自然の自由に立ち返り、強制的に服従させられるけれども義務的には服従しなくなる。

また、政府員が、一団となって行使しなければならぬ筈の権力を各自別々に僭奪する時にも国家は崩壊する。この場合には、前の場合と同様に法律は破られ、前の場合以上の大混乱を来たす。この時には、言わば行政官と同数の政府ができ、国家と政府とが同様に分割されて、滅亡するかあるいは政体を変えるかいずれかに立ち至るのである。

国家が崩壊する時には、如何なる政府たるを問わず、その悪政は無政府 Anarchie という共通の名称で呼ばれる。これを区別すれば、民主政治の悪化したものは衆愚政治 Ochlocratie であり、君主政治の悪化したものは寡頭政治 Oligarchie である。私は王制の悪化したものは暴君政治 Tyrannie であるということを付言しようと思う、が、この言葉は曖昧だから説明しておく必要がある。

通俗の意味では、暴君というのは、正義や法律を無視して暴力をもって支配する国王であるけれども、正確な意味では、暴君というのは、国王になる権利のないのに王権を僭取している人のことである。ギリシャ人は、この暴君(僭王)という言葉をこういう風に解していた。彼等は、正当な権利のない王を、良い王でも悪い王でもかまわず暴君(僭王)と称していた。〔註〕かくの如く、暴君 tyran と僭奪者 usurpateur とは全く意味を同じくする二つの言葉なのである。

〔註〕「自由を享楽していた国家で恒久的の権力を行使する人々は皆暴君と考えられかつ呼ばれている」(Corn. Nep., In Miltiad, cap. VIII)アリストテレスが、暴君と国王とを区別して、前者を自己のために政治するものとし、後者を臣民のために政治するものとしたのは真実である(Mor. Nicom., lib. VIII cap. X)。けれども一般に、ギリシャの学者が暴君という言葉を別の意味に解したことは、特にクセノフォンのヒエロンの中に見られるが、そのことはしばらくおくとして、アリストテレスのような区別に従うと、世界の開闢以来まだ一人の王もなかったという事になる。

異なった物を別の名称で呼ぶために、私は王権の僭奪者を暴君と呼び、主権の僭奪者を専制君主 despote と呼ぶことにする。暴君とは、法律に従って政治をするために法律を冒すものであり、専制君主は法律そのものの上にたつものである。かくの如く暴君は専制君主にならずにすむこともあるが、専制君主は常に暴君である。


第十一章 政治体の死滅

最もよく組織された政府でも死滅するのが自然の避くべからざる傾向である。スパルタやローマでさえも滅びた以上、如何なる国が永久に存続することを望むことができようか? それだから、もし我々が、強固な制度を打ちたてようと欲するならば、この制度を永久的なものだと夢想してはならぬ。成功しようと思えば、不可能なことを企ててはならぬ。また、人間の仕事に、人力の企及すべからざる程度の堅実性を与えようなどと自惚れてはならぬ。

政治団体は、人体と同じように、その出生の刹那からその死をはじめ、それ自身のうちに死滅の原因を宿しているのである。けれども両者にはいずれもその組織に強弱があり、従ってその生命に長短がある。人間の身体は自然のつくったものであり、国家は人間のつくったものである。だから、人間の生命を長くすることは人力の及ぶところでないが、国家の組織をできるだけ良くしてその生命を長びかすことは人力でどうにでもできる。勿論どんなに組織をよくしたところで、いつかは滅亡する。けれども、不意の出来事によりて、不時の滅亡を遂げるようなことさえなければ、組織のよい国家はしからざる国家よりも長命するものである。

国家の生命の本源は主権にある。立法権は国家の心臓であり、執行権は全身を運動させる脳髄である。脳髄が麻痺してしまっても個体は生きておることができる。白痴でも生きている。けれども、心臓が鼓動を休止したが最後、動物は死んでしまう。

法律によって存続しているのではなくて、立法権によりて存続しているのである。昨日の法律は今日は拘束力を失う。けれども黙っていれば黙認したことになるから、主権者が法律を廃止することができるのに、これを廃止しないときには、主権者は絶えずその法律を確認しているものとされているのである。

しからば古い法律がしかく尊重されるのは何故であるか? それはただ古いということのためである。古い法律がそれ程長く保存されたのは、古人の意志に優れた点があったからに外ならぬと考えねばならぬ。もし、主権者が、それをいつまでも有益なものであると認めなかったならば、主権者はそれを千度びも取り消したであろう。全ての良く組織された国家で、法律の効力が弱まるどころか、却って不断に新しい力を加えつつあるのはこのためである。古えを尊ぶの念が、日に日にこれに対する尊敬の念を新にするのはこのためである。これに反して、法律が古くなると共に力を失って来るような所には、そのことが既に、もはやそこには立法権がなくなっていること、従って国家が生命を失っていることを証しているのである。


第十二章 主権は如何にして維持されるか

主権者は立法権以外には何の力ももたないのであるから、法律を通して以外には行動しない。しこうして、法律は一般意志の正真正銘の行為に他ならぬから、主権者は、国民が集会している時の外は行動することができない。国民が集会するなんてとんでもない空想だと言う人があるだろう! 左様、今日ではそれは空想だ。けれども一千年前には空想ではなかったのだ。一体人間の性質は変ってしまったのか?

我々の力で可能なる範囲は、精神的分野においては、我々が考えている程狭いものではない。ただ我々の弱さと、我々の欠点と、我々の偏見とがそれを狭くしているのである。卑屈な小人物は決して大人物を信じない。卑劣な奴隷は自由なんていう言葉をきいても鼻の先で笑っている。

これまでに実行されたことに基づいて、これから実行し得る事柄を考えてみよう。私は古代ギリシャの共和国のことは語るまい。けれども、ローマ共和国は大国であったように私は思う。ローマ市は大都市であったように思う。最後の国勢調査によると、ローマには武器をもった人間が四十万あった。最後のローマ帝国の人口調査によるとローマの市民は、属領民や、外国人や、婦女や、子供や、奴隷は勘定に入れないで四百万以上あった。

この首府とその付近の多数の人民がしばしば集合を催すなんていうことは、如何に困難であったろうと我々は想像するだろう。ところが、ローマの人民が集会せずにすました週はほとんどないのである。しかも一週に何回も集会したのである。彼等は単に主権者の権利を行使したばかりでなく政府の権利の一部分をも行使したのである。彼等は種々の事件を論議し、種々の争議を裁いた。そして彼等は公会場においては、ほとんど常に市民であると同時に官吏であった。

諸国民の往時に遡ると、古代政府の大部分は、マケドニアやフランクのような君主政府でさえも、この種の会議をもっていたことが見出される。それはいずれにしてもこの唯一の疑うべからざる事実だけでも一切の困難を解決する。実際あったことに基づいて可能なることを推論するのに間違いっこはないと私は思う。


第十三章 主権は如何にして維持されるか(続き)

人民が集会して、一団の法律を承認して国家の組織を一度決定するだけでは十分でない。人民が永続的の政府をうちたてるだけでは十分でない。即ち人民が一度だけ行政官の選挙をするだけでは十分でない。不時の出来事のために必要になる特別の会議の外に、どんなことがあっても廃止したり、延期したりすることのできない、常例の定期の集会が必要である。そして、一定の日を期して、人民が、別段正式の召集令を受けなくても、法律によりて、当然召集されることにしなければならぬ。

けれども、期日だけによって既に合法なるこの集会以外には、一定の法律に従って、所定の行政官によって召集せられたものの外は、一切の国民の集会は不法とされ、その集会でなされた決議は全て無効とされねばならぬ。何となれば、集会の命令そのものが法律から出たものでなければならぬからである。

合法的集会の開かれる度数の多少は、多くの理由によって定まるのであるから、この点に関して明確な規則を定めることはできない。ただ、一般に、政府の力が強ければ強い程、主権者もしばしば自己の意志を表示すべきである。

たった一つの都会の場合ならそれでよかろうが、国の中に沢山の都会が含まれている場合はどうするのか? 主権が分割されるのか? それとも、これを一都会に集中して、爾余じよの都会をことごとくこれに従属さすべきであるか? と問う人があるだろう。

私は、それはどちらもいけないと答える。第一に、主権は単一なものであるから、これを分割すれば滅びてしまう。第二に、一つの都会は、国家と同様に他の都会に従属することは合法的であり得ない。何となれば、政治体の本質は、服従と自由との調和に存するものだからである。しこうして、臣民という言葉と主権者という言葉とは、楯の両面であってこの二つの言葉の概念は、市民という一語に合一するのである。

更にまた私は、多くの都会 ville を結合して一都市 cité つくるのは常に悪いことであり、ここのような結合をしようと思うなら、それから生ずる自然の弊害が避けられるなどと気休めな考えを起してはならぬと答える。小国論者に対する抗議として大国の弊害をもち出すわけにはゆかぬ。けれども、大国に抵抗するに足る力を如何にして小国に与えるのであるか? それは昔ギリシャの小都会が大王(ペルシャ王のことである)に抵抗した如く、また最近にオランダとスイスとがオーストリア王家に抵抗した如くにすればよいのだ。

けれども、国家を適当な大きさに縮小することができない時には、もう一つの手段がある。それは首府を定めないで、政庁を代るがわる各都会へもってゆき、その地で順番に会議を開く方法である。

国内各地方の人口に厚薄なからしめ、各地方の権利を同等にし、国内到る所に富と生命とを充実せしむれば、その国はこの上なく強くなり、この上なく立派に統治されるだろう。都会の城壁は、村落の民家の廃材をもってつくられるものに他ならぬことを銘記しなければならぬ。首府にそびえる宮殿を見る毎に、私は地方の落莫たる荒廃を目のあたりに見るような気がする。


第十四章 主権は如何にして維持されるか(続き)

国民が主権者の団体として合法的に集会すると同時に、政府の権限はことごとく止み、執行権は停止され、最下層の市民の身体も、最高長官の身体と同様に神聖にして侵すべからざるものとなる。何となれば、代表されている者が自ら顔を出しておる所には、代表者はもはや存しないからである。ローマの民会において勃発した騒動の大部分は、この原則を知らなかったりあるいは無視したりしたために起ったのである。この場合には、執政官コンスルは単なる人民の首領に過ぎす、保民官トリビューンは単なる弁舌家に過ぎず〔註〕元老院の如きは何でもないものだったのである。

〔註〕イギリスの議会では、この名称がほとんどこれと同じ意味に使われている。この二つの職務が類似しているために一切の権限が停止された時でも、執政官と保民官とは軋轢したのである。

政府が政府以上の権威の現存を認める、あるいは認めざるを得ない停止期間は、常に政府の恐れるところであって、しこうして、国家にとっては楯であり、政府にとっては馬銜はみであるところの、この人民会議は、常に政府首領等の恐怖する所であった。そこで彼等は、市民にこれを嫌わせるためには、術策、反対、妨害、約束等の手段を惜しまなかった。市民が、貪欲、怠惰、臆病であって、自由よりも安逸を好むときには、彼等は、政府の益々猛烈を極むる努力に長く抗することができないのである。かくて、対抗力が刻々に増すにつれて、主権は遂に消滅し、多くの都市国家は没落して不時の死を遂げるのである。

けれども、主権と専制政府との間に、時としては中間的勢力が入り込むことがあるから、それについて一言せねばならぬ。


第十五章 議員または代議士

公務の処理が市民の主要な仕事でなくなり、市民が自己の身を挺して公務に尽くすよりも、財嚢をもって公務に尽くすのを喜ぶようになれば、国家は既に衰亡の淵に瀕してしまっているのである。戦争に出なければならぬ時には、彼等は軍隊を傭って、自分は我が家に留まっている。会議に出なければならぬ時には、彼等は議員を任命して、自分は我が家に留まっている。怠惰と金銭とのために、彼等は遂に軍人をこしらえて祖国を他国の奴隷とし、代議士をこしらえて祖国を売るようになるのである。

人間のつとめを、金銭に代用させるようになったのは、商売と種々の職業との多忙、貪婪どんらんな利得の追求、柔惰と安逸を好む風等のためである。彼等が、自己の所得の一部を犠牲にするのは、それによって、安心して利得を増加するためである。金銭を与えれば、諸君はまもなく鉄鎖をもつようになるだろう。財政という言葉は奴隷の言葉であって、都市国家には知られなかったものだ。真に自由な国においては、市民は万事を自分の腕でして、何事も金銭ではしない。自分の義務を免れるために金を払うというようなことはもっての外で、彼等はむしろ金を払っても自分の義務を自分で果たすだろう。私は一般の人々と大分意見を異にしている。私は賦役の方が課税よりも自由と矛盾しないと考えている。

国家の組織が良い程、市民の心の中で私事よりも公事が重んぜられる。加之しかのみならず、私事は遥かに少ないのである。何となれば、共同の幸福の総和が、個々人の幸福よりも多くの部分を提供するから、各人が個人的配慮によって求めねばならぬ幸福は少なくなるからである。統轄宜しきを得た都市国家では、各人はいさんで集会に馳せ参ずるが、悪政府の下においては、何人も集会に赴くために足を踏み出すのを好まない。何となれば、集会で行われることには、誰も一向興味を感じないからである。集会が一般意志に支配されないことが前からちゃんとわかっているからである。最後に自家の仕事にすっかり没頭してしまうからである。良き法律は益々良き法律をつくるが、悪しき法律は、益々これを悪しくする。国家の公務について、そんなことが自分に何の関係があるか? などという人が現れたが最後、その国家は亡びたものと考えねばならぬ。

愛国心の減退、汲々たる私利の追求、国家の厖大、征服、政治の弊竇へいとう等が、人民の会議に議員または代議士をもって代表させることを思いつかせたのである。ある国では市民が第三階級 tiers état などと言われている。こうなると、他の二階級の私利が第一位及び第二位におかれ、公共の利益はようよう第三位にしかおかれていないのである。

主権は譲り渡すことができないと同じ理由で、これを代表することもできない。主権の本質は一般意志に存する。しこうして、意志は決して代表されるものでない。意志はその意志自体であるか、しからざれば別の意志である。中間の意志はないのである。それ故に、議員は、人民の代表者でもなければ、代表者たることもできないのである。彼等は人民の委託者に過ぎないのである。決定的に何事もきめることはできないのである。人民が自ら批准しない法律は一切無効である。それは決して法律ではないのだ。イギリスの人民は自由国民であると思っているが、彼等は大変な思い違いをしているのである。彼等が自由なのは、議員の選挙の時だけに過ぎないのである。議員の選挙がすんでしまえば彼等は取るにも足らぬ奴隷になってしまうのである。彼等がこの短い自由の期間をどんな風に利用するかを見れば彼等が自由を失うのはもっともだということがわかる。

代議士という観念は近代のものである。それは封建政治から来たものである。人間を堕落せしめ、人間の名を汚した、不法にして不合理なる封建政治から来たものである。古代には共和国においてはもとより君主国においても代議士というようなものはなかった。古代人は代議士というような言葉を知らなかったのである。ローマにおいては、保民官は極めて神聖なものと考えられていたが、それでも保民官が、人民の権能を奪うことができるとは誰しも想像だもせず、また、あれ程沢山の平民議会の決議の中で、ただの一つも彼等が自分の権柄づくで通そうとしたものはないということは甚だ不思議なことである。けれども、グラックス Gracchi の時代に、市民の一部分が屋根の上から投票するようなことが起ったことに徴して、時々群集が騒擾そうじょうを惹起することをも考えねばならぬ。

権利と自由とが何よりも尊重されるところでは、かくの如き不便は物の数でもない。かくの如き賢明な国民の間では、全てのものが正当に評価された。彼等は保民官さえも敢えてしなかったことを、供奉警吏リクトルにさせた。そして供奉警吏が彼等を代表しようとするだろうというような心配はもたなかったのである。

けれども、どうして保民官が時々市民を代表することがあるかを説明するためには、どうして政府が主権者を代表するかということを知れば十分である。法律は一般意志の表明に外ならんから、立法権において国民が代表されることのできないことは明白である。けれども、法律を運用する力に過ぎない執行権においては国民は代表され得るしかつ代表されるのが当然なのである。そこで仔細に検査して見れば、法律をもっている国民は極めて寥々りょうりょうたるものであることがわかる。それはさておき、保民官は、行政権を少しももっていないのであるから、彼等に委任された権限によって国民を代表することができるわけではなく、ただ元老院の権限を奪って、国民を代表していたのであることは確かである。

ギリシャ人は、国民のしなければならぬことはことごとく自分でした。彼等は絶えず広場に集合した。彼等は温暖な土地に住んでいた。彼等は貪婪どんらんでなかった。彼等の労働は奴隷が行い、彼等自身の主な仕事は彼らの自由に関する仕事であった(即ち政治のことである)。ギリシャ人のように都合のよい境遇にいない者が、どうしてギリシャ人と同じ権利を維持することができるか? 諸君の国の気候はギリシャよりも寒いから諸君は多くの必要をもっている。〔註〕一年の中で六ヶ月は諸君の広場には人が留まっておれない。諸君の不明瞭な言葉は野外では十分に聞きとれない。諸君は自由よりも利得に汲々としている。そして諸君は奴隷になるよりも貧乏になるのを余計に恐れている。

〔註〕寒国で東方諸国の贅沢と柔惰の生活をせんとするのは、彼等の鉄鎖に屈せんとするようなものである。しかも寒国では鉄鎖に屈することは東方諸国におけるよりも一層必然的である。

ではどうするか? 自由は奴隷の助けを借りなければ維持できぬか? それはそうかも知れぬ。極端と極端とは一致するものである。自然をはなれたものにはそれぞれ欠陥が伴うものだ。特に市民社会はそうである。市民社会には他人の自由を犠牲にしなければ自分の自由が維持できず、市民が完全に自由であるためには、奴隷を極端に奴隷とせねばならぬような不幸な事情がある。スパルタの事情がちょうどそうであった。近世国家の国民たる諸君は奴隷をもっておらぬ。しかし諸君自身が奴隷なのだ。諸君は奴隷の自由を買うために、自分の自由を支払っているのだ。諸君がそれを誇るのは無意味である。私の眼をもって見ればそれは仁慈ではなくて怯儒である。

こう言ったからとて、私は、奴隷が必要であると言うのでもなければ、奴隷権が正当なものだというのでもない。私は既にその反対を証明した。ただ私は、自ら自由であると思っている近世の人民が代議士をもち、古代の人民がそれをもっていなかったのは何故かという理由を述べたまでである。それは兎に角、ある人民が代議士をもつようになるや否やその人民はもはや自由ではないのである。その人民はもはや存在していないのである。

あらゆる事情を十分に調べて見ると、私は今後は、極めて小さい都市国家でない限りは、主権者が我々の国家でその権利の行使を維持してゆくことは不可能であるように思われる。けれども国家があまり小さ過ぎるとその国家は征服されてしまいはしないだろうか? 否、私は大国の有する対外的国力と小国の有する容易な政治と良好な秩序とをどうして調和させるかを後に説明するであろう。〔註〕

〔註〕この書物の続編として私は対外関係を論ずるにあたり、連邦制度を論じこの問題を説明するつもりであった。これは全く新しい問題で、まだその原則は全く知られていないのである(ルソーはこの約束を果しておらぬが「ポーランド政府論」第五章においてこのことに一寸言及している)。


第十六章 政府の設立は契約ではない

立法権が確立したら、更に進んで執行権を確立しなければならぬ。何となれば、執行権は個人的行為によりてしか運用しないものであるから、立法権の本質をなすものではなく、自然、立法権と分離したものだからである。かくの如く考えられたる主権者が、行政権をもつことができたならば、法律と事実とが混同されて、法律と法律でないものとの区別がつかなくなり、暴力を防ぐために設けられた政治体は、あとかたもなく傷つけられてやがて暴力の餌になるであろう。

市民は社会契約によりてことごとく平等であるから、全ての市民は彼等が何をなすべきかということを前もって定めることはできるけれども、誰も、自分でしないことを他人に強要する権利をもってはいない。政治体に生命と運動とを与えるに欠くべからざるこの権利こそ、正しく、主権者が政府を設立して、政府員に委任するところの権利なのである。

ある人々は、この政府の設立という行為は国民と、国民を支配する元首との間に結ばれた契約であって、この契約によって契約当事者間に条件が定められ、その条件の下に元首は支配の義務があり、国民は服従の義務があるのであると主張した。これは大変な風変わりな契約であるということには誰も異存はあるまいと私は確信する。けれども、かような見解が、果たして支持できるか否かを調べてみよう。

第一に至上権即ち主権は譲り渡すことができぬと同様に、これを変更することもできない。これを制限すれば、それは破壊されてしまう。主権者は自己以上のものに従うということは不合理であり、かつ矛盾である。強制的に支配者に従うということは、とりもなおさず、完全な自由(自然状態)への復帰である。

おまけに、人民と某々個人との契約が個人的行為であることは明白である。そこでこの契約は法律たり得る筈もなく、主権の行為たる筈もなく、従って不法なるのであるということになる。更にまた、契約当事者間には、自然法則があるばかりで、相互の契約を保証するものは何もない。これはあらゆる意味において、市民状態 état civil と相容れないものである。即ち、力をもっている者は常にそれを勝手に行使することができるのだから、我々は他人に向って「私は自分の財産を全部差し上げますから、貴方のお気に召しただけそれを返して下さい」という人の行為にも契約という名前をつけてよいわけだ。

国家にはただ一つの契約しかない。それは連合の契約(即ち社会契約)である。この契約それ自身が、他の一切の契約と相容れぬものである。この契約と撞着しないような公共的契約は一つも想像することができないのである。


第十七章 政府の設立

しからば政府を設立せしむる行為は、これを如何なる概念に包括すべきか? 私は先ず第一にこの行為は、複合的行為であって、二つの行為即ち法律制定の行為と法律執行の行為とから成立しているということを指摘しておきたい。

第一の行為によりて、主権者は、かくかくの政体の下に、一つの政府を設けるということを定める。しこうしてこの行為が法律であることは明白である。

第二の行為によりて、国民は設立された政府を委託すべき支配者を任命する。この任命は個人的行為であるから、第二の法律となるものではなく、単に第一の法律の結果であり、政府の職能である。

ここで理解するに困難な点は、如何にして政府が存在しない前に政府の行為があり得るかという点、並びに、主権者もしくは臣民に過ぎない人民が、ある事情の下に、如何にして政府員もしくは行政官になり得るかという点である。

それと同時に、ここで、外見上矛盾しているところの機能を調和する政治体の驚くべき性質がわかって来る。何となれば、このことは主権が民主政治に急変し、何等目に立つような変化もなしに、ただ全体と全体との新しい関係によりて、市民が行政官になり、一般的行為から個人的行為に移り、法律から法律の執行に移ることによりて行われるからである。

この関係の変化は、決して実際に例のない思弁のつくりごとではない。イギリスの議会では毎日起っている出来事なのである。即ちイギリスでは、下院は時々、種々の問題を十分に討議するために全院委員会に変わり、主権者の会議が、一瞬にしてただの委員会になってしまうのである(ルソーの言は誤りで全院委員会は執行団体ではなく、下院は主権をもっているのではないとトオザーは指摘している)。かくして、主権者は委員会として定めたことを下院としての自己に報告し、一旦委員会となった主権者が、更に下院の権限に立ち返って討議するのである。

かように、一般意志の単なる行為によりて事実上の政府が設立されるということは、民主政治に特有の長所である。その後で、この臨時政府は民主政府に政体が極まれば、そのまま政権に居据ればよし、しからざれば法律によりて指定された政府を主権者の名によりて設立すればよいのである。これまでに説明して来た原則を破らずに、合法的方法によりて政府を設立することは、これ以外の方法では不可能である。


第十八章 政府の僭権を防ぐ手段

上述の説明は、第十六章に述べた事柄を確認し、政府の設立は決して契約ではなくて一つの法律であり、行政権の委託者は国民の支配者ではなくて、国民の吏員であること、国民は、その欲するままにこれを任命しあるいは解任することができるということ、委託者にとっては問題は契約することではなくて服従することであること、並びに彼等が国家から課せられた職務を司るのは、ただ市民としての義務を果しているだけであって、その条件をかれこれ言う権利は彼等にないのであるということを明かにする。

だから、国民が世襲政府を打ちたてた場合には、それが一王族の君主政府であろうともあるいは市民の一階級の貴族政府であろうとも、国民はこの場合契約をしたのではない。国民が別の政体を選ぶまで、その政治に暫定的の政体を与えただけである。

国民の欲するままに政体をかえるというようなことは、常に危険であることは真実である。国民は一旦きめた政府は、それが公安と両立しなくなるまでは滅多に手を触れてはならぬということも真実である。しかしこの注意は政策上の要諦であって、法律上の原則ではない。国民は軍権を将軍の手に委ねておく義務をもたぬと同様に、政権を支配者の手にまかせておく義務ももたぬのである。

更にまた、かような場合には、正当な合法的な行為と暴動とを区別し、全国民の意志と暴徒の不平とを区別するに必要な手続をどんなに慎重に守ってもなお足りないということも真実である。それから、特にかような場合には、どんなに法律を厳格にしてもどうしても避けることのできないことだけしか忌わしい事態の起る余地を許してはならぬのである。ところが政府はこの拘束を利用して、国民の意志を無視してその権力を維持し、国民をして政府の僭奪を糾弾することができないようにする。何となれば、政府は外見上その権限を守っているように見せかけて、その実その権限を拡張し、公共の平和を口実として、秩序回復のための集合を容易に妨げることができるからである。その結果政府は沈黙を破ることを禁じておきながらこれを利用し、あるいは自分でわざと不正を犯させながらこれにつけこみ、恐怖のために沈黙しているものを、政府を是認しているものとし、沈黙を破るものはこれを罰するようなことになるのである。ローマの十人官が初め一年の任期で選挙されたのであるに拘らず、次の年まで居据り、民会の召集を許可しないで、永久に政権を保持しようとしたのは、これにあたる。しこうして、世界各国の政府は皆一度び政権を委ねられると、早晩この容易な方法によりて主権を僭奪するのである。

私が前に述べた定期会議は、この不幸を防ぎ、あるいはその到来を延引さすに適当な方法である。特にこの会議が正式召集の必要のない場合にそうである。何となれば、かかる場合には、政府は法律の蹂躙者であり、国民の敵であることを公然と宣言しないでは、この会議を妨げることができないからである。

社会契約の維持を唯一の目的とするこの会議の開会には、その冒頭にあたって、常に、次の如き二個の議案を提出しなければならぬ。これは決して略することはできぬ。そして各個別々に投票に付すべきである。

第一議案『主権者は現在の政体の維持を欲するか』

第二議案『国民は現在の政府に政治を委ねることを欲するか』

私はここで、私が既に証明したと信じている事項、即ち、国家には廃止することのできないような基本法はなく社会契約でさえもその例外ではないということを仮定しているのである。何となれば、もし市民全体が集会して、満場一致をもってこの契約を破棄したならば、この破棄が極めて合法的なものであることは疑いの余地がないからである。グロチウスは、国家を構成している各人は、故国を脱出することによりて、故国を捨て、自然の自由と自己の財産とを回復することができるとさえ考えている。〔註〕しかるに、各個人が別々になし得ることを、市民全体がなし得ないというのは不合理ではないか。

〔註〕但し、義務を回避するためや、国家が我々を必要としている時に、祖国に対するつとめを免れるために脱出することは許されない。かかる場合の脱出は犯罪行為であり、処罰すべき行為である。それは脱出ではなくて逃亡である。


第四篇


第一章 一般意志は破壊することができぬ

多数の人間が集合して、自ら一体と見做している限りにおいては、これ等の人々の意志は唯一であり、この唯一の意志は、共同の存立と全体の安寧とに関するものである。かかる時には国家のあらゆる方面の活動は活発となり、かつ単純となり、その政綱は明白にして光彩陸離たるものとなる。国家の利益はもはや紛糾矛盾せず、公共の福祉は白日の如くに到る処に現れ、常識さえあれば誰にでもそれは認知される。平和と協同と平等とは、政治的譎詐けっさの敵である。正義、廉直の士は、廉直であるがために却って容易に欺かれない。誘惑も甘言も彼等を騙すことができぬ。彼等は騙される程の狡猾さすらももっていないのである。世界における最も幸福な国で、農民の一団が樫の樹蔭に集って国務を処理し、しかも常に見事な成果を収めているのを見て、誰が権謀術数の限りを尽くして、国威は盛んなれども国民は不幸なる他の国を軽蔑せずにおることができよう。

こんな風に統治されている国家には、法律は極く少ししか必要でない。そして、新しい法律を発布する必要が生ずるとすぐに、この必要は一般の国民にわかって来る。最初にこれを提出した人は、全ての人が既に感じていた事柄を発言しただけなのである。各人がめいめい実行しようと思っていたことなのだから、他人も自分と同じ意見だということさえわかれば、これを可決して法律にするためには、術策もいらなければ、弁舌もいらないものである。

政論家が誤謬に陥るのは、彼等がはじめから悪く構成された国家しか見ていないものだから、そういう国ではこのような政治を行うことが不可能だということを感じているからである。彼等は狡猾な悪者や口先の巧みな口舌の徒がパリやロンドンの人々を説きふせた、ありとあらゆる愚にもつかぬことを想像してこれを嘲笑するのである。彼等は、ベルン人ならクロムウェルを重禁錮に処し、ジュネーヴ人ならボーフォール公を笞刑に処しただろうということを知らないのだ(ボーフォール公はフロンド党の戦争で名をあげ、一時パリの総督となったことがある)。

けれども社会の結び目が弛みはじめて国家が衰退の機運に向い、個人的利益が漸くのさばりはじめ、小社会が大社会を動かしはじめると、公共の利益は損なわれ、その敵が現れて来る。そうなると投票はもはや全員一致ではなくなり、一般意志は全体の意志ではなくなり、軋轢が生じ論争が生ずる。そしてどんなに立派な意見でも争議を経なければ通過しなくなって来る。

最後に、国家が滅亡の淵に瀕して、幻影のような空虚な形骸をしか残さなくなり、全ての人の心中で社会のきずなが破壊され、最も賤しい利益が、厚顔にも、神聖なる公安の名を装うようになると、一般意志は沈黙し、世人は滔々とうとうとして私利私欲にかられ、何人も市民としての意見を発表しなくなり、国家はまるで存在しなかったかの如くになる。そして、私人の利益のみを目的とする不正な法令が、法律という名前の下に不法にも可決されるようになる。

しからば、これによりて、一般意志は滅びたということになるだろうか。あるいは腐敗したということになるだろうか? 否、一般意志は常に不変であり、純正無垢である。ただ優勢な他の意志に圧倒されたまでである。各人は自己の利益を公共の利益から引き離すにあたって、これをすっかり分離してしまうことができないということははっきり知っているのである。ただそれによりて受ける公共の損害の中で彼の被る分前はそれによりて自分一人が得る利益と比べれば何でもないように彼の眼にえいずるのである。自分一人の特別の利益を除外すれば、彼も他の人と同様に強く彼自身の利益として公共の利益を欲しているのである。投票を金で売る時でさえも、彼は自己の心中から一般意志を消し去ったのではなくて、彼が一般意志を避けたのである。彼が犯した過失は、質問の意味を変えて、自分が質問されたのとは別のことを答えたという点である。即ち、投票に際して『これが国家に有利である』と答うべき筈のところを『これこれの意見が通過すればかくかくの人あるいはかくかくの党派に有利である』と答えたのである。かくの如くして、会議における公共秩序取締法律は、その会議において一般意志を維持せしむるためのものではなく、一般意志をして常に質問を受けしめ、一般意志をして常に回答せしむるためのものなのである。

私は、ここで、何物といえども市民から奪い去ることのできないところの、主権の一切の行為に投票する単一の権利、並びに、政府が常に慎重な注意を払ってその吏員にしか与えないようにしているところの発言権、提案権、票決権、討議権等に関して、数々の考察を試みねばならなかったであろう。けれども、このような重大問題を論ずるには別々の論文が必要であると思うから、ここではこれ等全ての問題を論ずることはできない。


第二章 投票

前章の説明によりて、公務がどんな風に処理されているかという状態の如何は、政治体の徳性及び健康の現状如何を確実に示すものであるということがわかるのである。即ち、会議に異論が少なければ少ない程、換言すれば意見が全員一致に近ければ近い程、一般意志もまた優勢なのである。これに反して、討論が長びいたり、意見が分裂したり、議場が喧騒を極めたりするのは、個人的利益が優勢を占めて、国家が衰運に傾いていることを予告しているのである。

このことは、国家の組織の中に、二つもしくは二つ以上の階級が入って来ると不明瞭になって来る観がある。たとえばローマには貴族パトリシアン平民プレペイアンとの二階級があって、両階級の軋轢は、ローマ共和国の全盛期においてさえも、しばしば民会コミースを騒がした。けれどもこれは一見例外のようであるが事実はそれ程でもないのである。何となれば、当時は政治体に内在的の弊害のために、言わば一国家の内に二国家があったのである。それでこのことは二つを一緒にした場合には真理でなくても、各個別々については真理なのである。実際、国歩の最も多難であった時でも、元老院の干渉がなかった時には人民の一般投票は常に静穏裡に行われ、かつ大多数をもって通過した。市民が唯一の利益しかもたないものだから、国民は唯一の意志しかもたなかったのである。

これと正反対の場合にも全員一致の現象が見られる。即ち市民が奴隷状態に陥って自由も意志ももたなくなった場合がそれである。かかる場合には、恐怖と阿諛あゆとが、投票を喝采に変えてしまい、人々は評議はしないで、崇拝するかあるいは呪うのである。帝制時代におけるローマの元老院では、こういういやしむべき状態で議論が行われたのである。時とすると、それは笑うべき用心をして行われたのであった。タキトゥスの言によると(Histor, I, 85)、カトーの時代に、元老院議員等はウィテッリウスに悪罵の野次を浴せかけたが、それと同時に、万一ウィテッリウスが支配者になっても、誰が何を言ったのかわからないようにするために、議場をおそろしく喧騒せしめたということである。

以上に述べた様々な考慮から、一般意志を確かめることの難易、国家の堕落の程度等に応じて、投票を計算し意見を比較する方法を定むべき種々の原則が生れる。

その性質上、いつでも全員一致を要求する法律は一つしかない。それは社会契約である。何となれば、市民の結合ということは、あらゆるものの中で最も自発的なものであるからである。全ての人は生れながらにして自由であり自己の主人であって、何人も、如何なる口実の下にも、彼の同意を得ずして、彼を屈従させることはできないからである。奴隷の子供は生れながらにして奴隷だと決めてしまうのは、奴隷の子供は生れながらにして人間ではないのだと決めてしまうのと同じである。

だから、もし社会契約が結ばれる時に、反対者があっても、これ等の人々の反対は契約を無効にするものではない。ただそれはこれ等の反対者が社会契約の中に含まれることを妨げるだけである。彼等は市民の中にまじっている異邦人である。国家が建設された以上は、その国土に居住しているということがその国家を承認している所以であって、国土に住むということは、主権者に服従するということなのである。〔註〕

〔註〕このことは常に自由国家について言ったものであると解しなければならぬ。何となれば、自由国家以外の国では、家族や、財産や、住居の欠如や、やむを得ぬ必要や、暴力等の関係上、不本意ながらその国に住っている場合がある。かかる場合には、ただその国に住んでいる事実だけでは、その人が契約を承認しておるということにもならぬし、また契約を破っているということにもならぬのである。

この基本的契約以外の場合には、多数者の投票は常に爾余じよの全体の人に対して拘束力をもつのである。これは契約そのものの必然的帰結である。けれども、ある人が自由でありながら、同時に自己の意志ならざる意志に強制されるのはどういうわけかという疑問が起こって来る。ある法律の反対者が、自分では自由でありながら、自分の承諾しない法律に服従するのはどういうわけかという疑問が起こって来る。

それは質問の仕方が間違っているのだと私は答える。市民はすべての法律に同意しているのである。彼が反対したにもかかわらず通過した法律にも同意しているのである。法律に違反すれば罰せられるという法律にさえも同意しているのである。国家の全員の不変の意志こそ一般意志なのである。この一般意志によりて、彼等は市民となり、自由になっているのである。〔註〕ある法律が国民の議会に提出された時には、国民の問われた問題は、正確に言えば、彼等がこの提案を承認するかあるいは否認するかという問題ではなくて、それが、国民の意志即ち一般意志に合致するか否かという問題なのである。各人はこれに関する自分の意志を発表するために投票するのである。だから投票を計算して見れば、一般意志の帰趨が奈辺にあるかがわかるのである。故に、自分の意見に反対の意見が優勢を占めた時には、それは自分が間違っていたということ、自分が一般意志だと考えていたものは、実はそうでなかったということを証明しているに過ぎないのである。もし自分一個の意見が通るようなことになったら、自分は自分の欲するのとは別のことをしたことになるだろう。そしてその場合には自分は自由ではなかっただろう。

〔註〕ジェノヴァでは、牢獄の正面と、囚人の鉄鎖とに、自由 libertas という言葉が記してある。この言葉をこういう所に使用したのは、まことに宜しきを得ている。実際市民の自由を妨げるものは、あらゆる種類の悪人である。こういう人が皆牢獄に入っている国には最も完全な自由があるだろう。

もっとも、このことは、一般意志のあらゆる特徴は依然多数投票の中に存することを前提としているものであって、多数投票の中に一般意志が存しなければ、いずれの側についても、もはや自由はないのである。

私は前に、公共の討議において如何にして個人的意志が一般意志に代るかを明かにしこの弊害を避けるための実行し得る方法を十分に示しておいた。私はそのことについては更に後に述べようと思う(第四章参照)。また、どれだけの割合の投票があれば一般意志としてよいかという問題についてもこれを決定する基準となる原則をあげておいた。一票の差でも同数でなくなるし、一票の反対があっても満場一致は破れる。けれども同数と満場一致との間には、多くの投票の比例の差異がある。しこうしてこの比例は国家の状態と国家の必要とに応じて、定めることができる。

この比例を定める助けとなる二つの一般原則がある。その一つは、討議事項が重大問題であればある程、満場一致に近い投票が必要であるということであり、いま一つは、論議される事柄が緊急を要することであればある程、法定の差数を少なくし、速決を要する事項においては一票の多数でも十分としなければならぬということである。この中で、第一の原則は法律をきめる場合に適し、第二の原則は実務を処理する場合に適しているように思われる。それはいずれにもせよ、この二つの原則の適宜な配合によりて、多数決の基準とする最もよき比例が定められるのである。


第三章 選挙

王府及び行政官の選挙は、前にも言ったように複合行為であるが、これを選挙する手続きには二つの別がある。公選と抽選とがこれである。この二つの方法は従来種々の共和国で行われたものであって、ヴェニス首長の選挙には、今なおこの二様の方法が極めて複雑に混用されている。『抽選による選挙は民主政治の性質に適したものである』とモンテスキューは言っている(Montésqieu, Esprit des lois L. II. 2)。私もこれには賛成である。けれどもどうしてそうなのであるか? 彼は続けて言う。『抽選は誰にも公平な選挙方法であって、各市民に等しく、自分も国家のために尽くすことができるという理由ある希望を抱かせるものである』。けれどもこれは理由ではない。

もし、国家の首脳人物を選挙することは政府の職能であって、主権の職能ではないということに注意するならば、抽選の方法が民主政治に最も適した方法であるということがわかるだろう。けだし、民主政治は行政事務が単純であればある程良く行われる政治だからである。

真の民主政治においては、ことごとく、行政官の職は利益ではなくて、重い負担であるから、これをある特定の個人に負担せしめるのは正当であり得ない。ただ法律によりて、当選者にこれを負担せしめることができるのみである。何となれば、この場合には、全ての人の条件は平等であり、誰が当選するかということは少しも人間の意志に関わらぬのであるから、法律の普遍性を傷つけるような特別な適用は全くないからである。

貴族政治においては、王府が王府を選み、政府は政府自身によりて支持されているのであるから、投票制度が最も適している。

ヴェニスの首長の選挙の例は、この区別が正しいことを確認するものであって、決してこの区別を破るものではないのである。由来かくの如き合成的方法は混合政府に適するものである。しこうしてヴェニス政府を純真な貴族政府と解するのは誤りである。この国ではもとより人民は何等の参政権ももたなかったが、その代り、貴族そのものが人民だったのである。多数の貧しいバルナボート Barnabotes は決して如何なる行政官の職にも近寄らず、貴族といっても、ただ空しい閣下の称号と大評議会に出席する権利とをもっているに過ぎないのである。この大評議会は、ジュネーヴにおける我々の国会と同じくらいの議員数からなり、このやんごとなき議員は、我が国(ジュネーヴ)のただの市民以上の特権はもっていないのである。この二つの共和国の極端な差異を取り除けば、確かにジュネーヴの中流階級は正確にヴェニスの貴族にあたり、ジュネーヴの土着民及び居住民はヴェニスの市民及び人民にあたり、ジュネーヴの農民は本土(ヴェニスの)の臣民にあたるのである。要するに、この共和国は、如何に考えて見ても、その大きさを別にすれば、その政府は我がジュネーヴの政府より貴族的ではないのである。ただ両者で異なる点は、我がジュネーヴには、終身官が一人もないから、抽選の必要がないという点だけである。

真の民主政治の国においては、抽選選挙の弊害はほとんどない。それは、民主国においては、全てのものが平等であり、道徳も才能も主義も財産も同じなのだから、誰が選ばれても大した変わりはないからである。けれども真の民主政治というものはどこにもないと言うことは既に私の言った通りである。

公選と抽選とが混用せられる場合には、特殊の技能を要するような地位例えば軍職の如きを選ぶ際には第一の方法をもってすべきである。第二の方法は裁判官の職の如く常識のある正義廉直の人でさえあればつとまる地位を選む場合に適当である。何となれば良く組織された国家においては以上にあげたような品性は市民全体に共通のものだからである。

君主政治においては、抽選も投票も行われる余地はない。君主が唯一の王府であり、唯一の行政官たる権能をもっているのであるから、その属官の選任は、君主のみに属する事項である。アベ・ド・サン・ピエール l'abbé de Saint-Pierre がフランス国王の顧問官を投票選挙によりて増員することを提議した時、彼は、自分の提案が、政体変更の提案であったことに気がつかなかったのである。

さて、これでもう私は、国民議会において、投票をなし、かつ投票を計算する方法を述べればよいわけである。けれども、この点に関するローマの政治史は、恐らく私の主張せんとする一切の原則を一層はっきりと説明してくれるだろう。二十万人からなる議会で、如何に公私の事務が処理されたかを多少詳細に調べて見ることは、識見に富める読者にとっては徒爾とじではあるまい。


第四章 ローマの民会

我々は初期のローマについては、何等正確な記録をもっておらぬ。それどころか、初期のローマに関して述べられている事柄の大部分は、寓話であると思われる点が甚だ多い。〔註〕一般に、国民の歴史の中で最も教訓に富める建国の歴史は最も我々に知られていないのである。経験は毎日我々に如何なる原因から諸帝国の革命が生れるかを教えている。けれども現在ではもはや形成されつつある国民はないのだから、我々は、国民が如何にしてつくられたかを説明するためには推測以外の何物をももたないのである。

〔註〕ローマ Roma という名前はロームルス Romalus から来たのであるといわれているが、これは「力」ということを意味するギリシャ語である。ヌマ Numa という名前もまたギリシャ語であって、これは「法律」ということを意味する。ローマ初代のこの二人の王が、彼等が成しとげた事蹟に深い関係のあるかのような名前を前もって持っていたとどうして考えられようか。

既にできあがっている習慣が存在しているということは、少なくもその習慣には起源があったということを証明する。この起源を説明する伝説の中で、最も有力な典拠を有し、最も有力な理由によりて証拠づけられている伝説は、最も確実な伝説と見倣さなければならない。私は、地上における最も自由にして最も強大なる国家が、その至上権を如何に行使したかを探究するにあたって、この原則に従ってゆこうと思うのである。

ローマの建国後、新興の共和国、即ち、アルバン人 Albains サバン人 Sabins 及び外国人からなる建国の軍隊は、三つの階級に分たれ、分割された各階級は部族 tribus と名づけられた。しこうしてこの部族は各々十ずつのキュリイ curies に分たれ、各キュリイは更にデキュリイ décuries に分たれ、キュリイの首長をキュリオン curions と言い、デキュリイの首長をデキュリオン décurions と言った。

その他に、各部族から百名の騎兵即ち騎士の一団を選抜して、これを百人組 centurie と呼んだ。これによって見れば、この区分は、ローマの町のためにはあまり必要でないから、はじめは軍事上の区分に過ぎなかったことがわかる。ところが、大国たらんとする本能は、このローマの小都市をして、前もって世界の首府にふさわしい政治組織を採用させたように思われる。

この最初の区分からは間もなく不便が生じて来た。即ちアルバン人の部族〔註一〕及びサバン人の部族〔註二〕はいつまでたっても同じ状態に留まっていたが、外国人の部族〔註三〕は、新来の外国人が続々と加わったために不断に膨大し、やがて他の二部族を圧倒するようになった。セルウィウス Servius は、この危険な弊害に対する救治策として、従来の区分法を変え、種族による区分を廃して各部族の居住している町の区画による区分法をこれに代えた。そして彼は三部族の代りに四部族とし、各部族を、それぞれローマの一つずつの丘に住ませ、その部族を丘の名前で呼んだ。かくの如くして、彼は現在の不平等を救治すると同時に、更に将来の不平等をも防いだのである。しこうしてこの区分を単なる地域の区画に止めないで人間の区分たらしめるために彼は一区画の住民が他の区画へ移ることを禁じた。それがために種族の混交を防ぐことができたのである。

〔註一〕ラムナンス Ramnenses

〔註二〕タシアント Tatientes

〔註三〕リユセエル Luceres

彼はまた従来の三組よりなる騎士の百人組を倍加し、更に同じ名称で十二の百人組を増設した。この簡単にして有効な手段によりて、彼は人民に不平を起させずに、騎士の団体と人民の団体とを区別するに成功したのである。

この市部の四部族の他にセルウィウスは別に十五の部族を増した。これは十五区に分割されて村落の住民から成る部族であったから、村落部族と命名された。その後、更に多くの部族が増設されて、遂にはローマの国民は三十五部族に分たれるようになり、ローマ共和国の最後までこの数のままであった。

この市部部族と村落部族との区別は注目に値する結果を生じた。何となれば、これは他に類例のない制度であったのみならず、これによりてローマはその風習を保存しその帝国を拡大することができたからである。世人は市部部族は、間もなく勢力と名誉とを僭奪して、やがて村落部族を無視するに至っただろうと思うかも知れぬが、事実はその反対であった。初期のローマ人が田園生活を愛したことは人の知るところである。この趣味は、田園の労働と軍隊の作業とを自由と一致せしめ、技芸、陰謀、財産、奴隷などを、言わば都会へ追放した賢明な建国者から彼等に伝えられたものなのである。

そういうわけで、ローマの有名な人物はことごとく田園に住み、土地を耕していたのであるから、共和国の支持者を求めようと思えば田舎を探せばよかったのである。こういう生活は最も高貴の 貴族パトリシアンの生活だったのであるから、万人から尊敬された。村落民の質素な勤労生活はローマの中流階級の遊惰な生活よりも喜ばれた。そして都会においてはあわれむべき無産者に過ぎないものも、田舎の農民としては、尊敬すべき立派な市民となった。ウァロ Varron は「我々の寛宏かんこうなる先生達が、戦時には彼等を防衛し、平時には彼等を養う強壮果敢な人物の養成所を田舎にこしらえたのは至当であった」と言っている。プリニウス Pline の如きは「村落部族は、それを構成している人物が優れていたために尊敬された。これに反して、無価値なろくでもない人間は侮辱を与えるために、不名誉のしるしとして市部部族へ移された」と極言している。サバン人のアッピウス・クラウディウス Appius Claudius は、ローマに居を定めるために移住して来たが、同地で多大の名誉を受けて、村落部族に編入され、後にこの部族は、クラウディウスの家名をとったのである。最後に、奴隷から解放された新市民 affranchis はことごとく市部部族へ編入され、決して村落部族へは入れられなかった。しこうして、この新市民は、市民にはなったけれども共和国の全期間を通じて、一人として公職についたものはなかったのである。

この政策は立派なものであった。けれどもそれが極端に走って、遂にはその結果政治の変革を見たのである。しかもこの変革たるや、確かに悪変であったのである。

先ず第一に、都察官 Censeurs は、市民を一部族から他部族へ移す権利を長い間僭有していたために、遂には大部分の人に、自分の好む部族へ移ることを許可するようになった。この許可は確かに何の利益もなく、その上都察官の権能の一つを奪ったのである。おまけに、大人物や有力者はことごとく村落部族へ移り、市部部族は新市民が平民と共に市民となりて留まり、部族は、一般に、場所や居住地をもたなくなって、まったく混交し、誰がどの部族に属するかということは、族籍簿によらなければわからなくなった。そこで、部族という言葉は土地的の意味を失って人的の意味をもつようになった。否むしろほとんど架空の言葉となったのである。

更にまた、市部部族は、膝下近くに住んでいるものだから、しばしば民会において最も優勢を占めるようになり、市部部族を構成している賤民共の投票を買ってくれる者に国家を売り渡した。

元来ローマの建国者は、各部族に十ずつのキュリイをこしらえたのであるから、当時市の城壁内に住んでいたローマの人民は三十のキュリイをもって構成され、各キュリイはそれぞれ別々の寺院と、神と、役人と、司祭と、祝祭とをもっていたのである。この祝祭はコンピタリアと呼ばれ、後に村落部族で行われたパガナリアという祝祭に似たものであった。

セルウィウスが新たに部族の区分を行った時に、この三十という数は四つの部族に等分することができなかったので、彼は敢えてこれを分割しようとしなかった。そこでキュリイは部族と独立して、ローマの住民の別個の区分となった。けれども部族が純然たる政治機関となってしまったので、キュリイはもはや村落部族においても、その部員においてもどうでもよくなった。そして新しい徴兵制度が施行せられたるために、ロームルスの制定した軍事的区分は無用になった。かくて市民はことごとく部族には編入されたけれども、各市民がキュリイに編入されるというようなことはなくなった。

セルウィウスは更に第三の区分を行った。これは前の二つの区分とは全然関係のないものであったが、その結果から見ると、三つの中で最も重要なものとなった。彼はローマの全国民を六階級に分った。彼はこの六階級を地区によりて区別したのでもなければ、人間によりて区別したのでもなく、財産によりて区別したのである。そして富者を第一の階級に入れ、貧者を第六の階級に入れ、その中間には中位の財産所有者を入れた。この六階級は、更にサンチュリイという百九十三の団体に細分された。しかも、第一の階級は単独で半数以上のサンチュリイを占め、第六の階級はただ一つのサンチュリイしかつくらないように区分した。そこで人数においては最も少ない階級が最も多くのサンチュリイを有することとなり、第六の階級は単独でローマの住民の半ば以上を占めていたにも拘らず、唯一のサンチュリイしかもたないことになった。

セルウィウスは、国民になるべくこの最後の区分法の結果を理解させないために、これを軍事的の区分であるかの如く見せかけた。彼は第二の階級には二組の武具製造人のサンチュリイを加え、第四の階級には二組の軍器製造人のサンチュリイを加えた。そして第六の階級を除く各階級では、老若の区別を設けた。即ち、強制的に軍籍に入るべき人と、法律によりて、年齢のために軍籍を除外されている人との区別を設けた。この区別は、財産上の区別の方よりも頻繁に国勢調査あるいは人口調査の必要を生じた。そこで、遂に、彼は、マルス宮殿の神苑で会議を開き、服役年齢にある国民をことごとく武器を携えてそこへ参集させようと欲するに至った。

彼が第六階級に老若の区別を設けなかった理由は、この階級に属している庶民 populace には祖国のために武器をとる名誉が許されていなかったからである。家 foyer をまもる権利を得るためには家を有っている必要があった。ところが、今日各国の国王の軍隊を飾っている無数の乞食の兵隊の中には、軍人が自由の擁護者であった当時のローマの軍隊に軽蔑して追いはらわれなかった者は恐らく一人もないであろう。

けれども、なお、第六の階級においても、無産者 Prolétaires と賤民 Capite censi との区別があった。前者は全く無視されていたわけではなくて、少なくも国家に市民を供給し、緊急を要する場合には、時としては軍人をさえも出した。全然無一物で、ただ頭数を数えることしかできない後者は、全く無視された。はじめてこれを軍籍に編入したのはマリウス Marius であった。

ここでは、第三にあげた制度が、それ自身において善いか悪いかは決めないとして私は、これを実行することができたのは、ひとえに古代ローマ人の質朴な風習と、彼等の廉直と、彼等の農業に対する趣味と、商業及び営利に対する侮蔑とに外ならぬと断言することができると信ずる。近代の国民の中に、その飽くなき貪婪どんらん貪婪と、精神の不安と、陰謀と、絶えざる住居の移転と、不断の財産の急変とをもってして、国家全体をくつがえすことなしにかくの如き制度を二十年も維持し得る国民が果たしてあるだろうか? しかもなお、この制度よりも一層強力なる道徳と都察官とが、ローマにおいてはその弊害を矯正し、富者にしてあまりに豪奢を発揮する者は、貧民階級におとされたということをも十分注意せねばならぬ。

これ等の事情をことごとく考慮すれば、事実上ローマには六つの階級があったにもかかわらず、従来ほとんど五階級についてしか論ぜられなかったかという理由を容易に理解することができる。第六階級は軍隊に軍人を出すこともなければマルスの社苑に投票者を出すこともなく〔註〕共和国においてほとんど何の役にも立たなかったのであるから、多くの場合に無視されたのである。

〔註〕私がマルスの社苑(Champ de Mars)と言ったわけは、サンチュリイの民会がそこで開かれたからである。他の二つの民会には国民はフォーラムもしくは他の場所に集ったのである。そしてこれ等の会議においては賤民でも第一階級の市民と同じ勢力と権力とをもっていたのである。

ローマの国民は以上の如くに区分されていたのである。これからこれ等の区分の各集会において如何なる結果をつくり出したかを調べてみよう。合法的に召集されたこれ等の会議は民会 Comices と呼ばれた。民会は、普通、ローマの広場あるいはマルスの社苑で開かれた。そして、前記三通りの区分のいずれに従って召集されるかによりて、キュリイ民会、サンチュリイ民会、部族民会の三つに区別された。キュリイ民会はロームルスの制定したものであり、サンチュリイ民会はセルウィウスの制定したものであり、部族民会は、保民官によりて設定されたものである。一切の法律は民会においてのみ批准され、一切の行政官は民会においてのみ選挙された。しかもキュリイか、サンチュリイか、部族かのいずれかへ編入されていない市民は一人もなかったのであるから、従って、投票権をもたない市民は一人もなく、ローマの国民は、名実ともに真の主権者であったということになる。

民会が合法的に召集され、民会において決議された事項が、法律としての効力をもつためには、三つの条件が必要であった。第一に、民会を召集する団体あるいは行政官は、これを召集するに必要な権威を与えられていることであり、第二に会議は法律によりて許された日に召集されることであり、第三に、占卜せんぼくが瑞兆を示していることであった。

第一の規定は言わずして明かである。第二の規定は政策上の問題である。即ち、これによりて、休業日及び市場の開かれる常日は村落の住民はローマへ用達しに来るのであるから、公会場で一日を過す暇がない。それ故にこれ等の日に民会を開くことは許されなかったのである。第三の規定によりて、元老院は傲慢な、暴民を抑圧し、野心に満ちた保民官の野心を程よく鎮めたのである。けれども保民官はこの抑圧から脱する方法を一つならず知っていた。

法律と長官の選挙のみが民会の判断に付議される唯一の事項ではなかった。ローマ国民は、政府の最も重要な機能を自ら行っていたのであるから、ヨーロッパの運命はこれ等の会議によりて決せられたのであるということができる。これ等の会議は、その討議事項が多岐に亘っていたために、如何なる問題を決定しなければならぬかという問題の性質によりて、会議に種々の種類があったのである。

これ等各種の民会の区別を知るためには、これを比較して見れば十分である。ロームルスは、キュリイを制定するにあたって、等しく人民と元老院との上にたって、元老院を人民によりて抑制し人民を元老院によりて抑制しようと考えたのである。そこで、彼は、貴族パトリシアンに勢力と富とを与えると共に、これと均衡を保たせるために、人民に数の上で力を与えた。けれども、彼はやはり君主政治の精神に従って、クリアン(貴族の保護を受けている平民)の勢力によりて貴族が多数の投票を制することができるようにした。この保護者パトロン(貴族)と被保護者クリアン(平民)との嘆賞すべき制度は、政治家の傑作であったと同時に人類の傑作であって、これがなかったならば、あれ程共和国の精神と矛盾した貴族制度は到底存続しなかったであろう。この見事な模範を世界に示すことのできたのはローマだけであって、ローマにおいては、この制度は決して弊害に陥らなかったけれども、この模範に追従した国は他には一国もなかったのである。

このキュリイ民会は、セルウィウスに至るまで、代々の王の治下を通じて存続し、最後のタルクィニウスの治世は、合法的なものと認められなかったから、王の法律は一般に「キュリイ法」leges curiatæ という名称で区別された。

共和国の治下においても、キュリイは依然四つの市部部族に限られ、ローマの平民のみしかこれに属しなかったから、貴族パトリシアンの上にたつ元老院とも折り合いがつかず、平民とは言え、裕福な市民の上にたつ保民官とも折り合いがつかなくなった。そこでキュリイの信用は地に墜ち、その衰微の極、遂にはキュリイ民会のなすべき仕事を、キュリイの三十人の警吏リクトルが集ってやるようにまでなった。

サンチュリイによる区分は、大変貴族に好都合であった。だから、執政官、都察官及びその他の高官を選挙したこのサンチュリイ民会において、元老院が優勢を占めなかったのが、一見したところではどういうわけかわからないくらいである。実際、六階級からなるローマの全国民でつくられている百九十三のサンチュリイの中で、第一階級は九十八のサンチュリイを占めていた。おまけに投票は、専らサンチュリイで行われたのであるから、第一階級だけで、優に爾余じよの階級全体を合したよりも数の優越をしめていたわけである。そこで、この第一階級のサンチュリイが全部一致すれば、もはや他の投票は計算さえもされなかった。最も少数の人の決めたことが、多数者の決めたこととして通ったのである。それ故に、サンチュリイ民会においては、国政を左右するものは投票の多少ではなくて、金銭の多少だったと言うことができる。

けれども、この極端な権威は、二つの手段によりて調節された。即ち、第一に、保民官は通常富者の階級に属していたし、平民プレペイアンの多数もまた富者の階級に属していたものだから、この両者は、第一階級の中にあって、貴族パトリシアンの勢威に対抗した。

第二の手段はこうであった。即ち、サンチュリイの順序によりて投票すれば、いつでも第一階級が真先に投票することになるのであるが、この順序にはよらないで、先ず第一に選挙するサンチュリイを抽選によりて定めてこれに投票させ〔註〕それから他日、爾余じよのサンチュリイを階級順によりて召集し、同じ選挙を繰返させた。これらのサンチュリイは、通常、第一回のサンチュリイの選挙を確認したのであった。かくの如くして、模範を示す権威を上級階級から奪い、民主政治の原則に従って、これを抽選に委ねたのである。

〔註〕かくの如く抽選によりて当選したサンチュリイは、第一番に投票を求められたために、プレロガティヴァ(優先者)と呼ばれた。プレロガティヴ(特権)という言葉はこれから出たのである。

この慣例の結果として、今一つの利益が生じた。即ち、田舎の市民は、二回の選挙の間に、仮に指名された候補者の才幹を知るだけの時間の余裕を得て、理由を知悉ちしつして投票することができたのである。けれども、迅速を尊ぶという口実の下に、この慣例は廃止されて、二回の選挙は同日に行われるようになってしまった。

部族民会は、本来、ローマ国民の評議会であった。この民会は、保民官によりてのみ召集されたもので、保民官は、この民会で選ばれ、決議はここで通過された。元老院は、部族民会に座席をもたなかったのみならず、この民会に列席する権利ももたなかった。そして、彼等が投票することのできなかった法律に服従するように強制されたのである。この点において、元老院議員は、最下級の市民よりも自由でなかったのである。この不公正は、全く間違ったものであった。そして、それだけでも、全員の参加を許されない団体の命令デクレを無効とするに十分であった。貴族パトリシアン全体が、彼等が市民としてもっている権利によりて、この民会に列席したとしても、その時には、彼らは単なる一個人の資格になってしまうのであるから、頭数によりて決せられ、最下層の 無産者プロレテイルも、元老院の大官ブランスも同一視された所のこの投票には、ほとんど影響を及ぼさなかったであろう。

それ故に、かくも多数の人民の投票を集めるために設けられた種々の区分から生じた秩序オルドルを除いては、これらの区分は、それ自身において無私公平な形態とはならず、各形態は、それぞれそれが設けられた趣意に応じた結果をもつに至ったことは明かである。

このことを、これ以上詳しく説明しなくとも、前に述べた説明から、部族民会は、民主政治に最も都合のよいものであり、サンチュリイ民会は、貴族政治に最も都合のよいものであるということになる。ローマの庶民ポピュラースだけが多数を占めていたキュリイ民会に至っては、暴政と、不正な計画とを助長するだけの役にしか立たなかったものであったから、当然不評判に堕せざるを得なかった。扇動家でさえも、彼等の計画をあまりに露骨に表わす手段を控えたのであった。ローマ国民の尊厳は、唯一の完全なサンチュリイ民会にのみ見出されたことは確実である。けだし、キュリイ民会には、村落部族が欠けていたし、部族民会には、元老院と貴族パトリシアンとが除外されていたからである。

投票を集める方法は、初期のローマ人にありては、その風習と同様に単純であった。とは言え、スパルタよりも単純であったとは言えないが。各人は、高声で、その投票を告げた。すると書記が、それを順次に記載していったのである。そして各部族内の投票の多少によりて部族の票決が行われ、各部族間の投票の多少によりて、人民の票決が行われたのである。キュリイにおいても、サンチュリイにおいても、これと同様であった。この慣習は、各市民が正直で、自分の投票を公然と不正な意見や、無価値な問題に与えるのを恥としていた間はよかった。けれども人民が腐敗して、投票が売買されるようになって来ると、無記名投票が適当になって来る。それは、買収者の心中に不信の念を生ぜしめ、ずるい人間(投票を売る人)に、裏切り者でなくなる方法を提供するからである。

私は、キケロが、この変更を批難し、ローマ共和国滅亡の一因はそこにあると言っているのを知っている。けれども、私は、キケロの言が、千鈞の重みをもっているに相違ないとは感ずるが、それでも、ここで彼の意見に同意することはできない。その反対に、私は、かような変更を十分にしなかったために、国家の滅亡を速めた例があると考える。健康者の摂生法は、病人に適しないように、腐敗した国民を、善良な民に適する法律と同じ法律で統治しようと思ってはならぬ。ヴェニス共和国の法律が悪人にのみ適するものであるために、今なお、この国が形骸を留めて、存続している事実ぐらい、この原則マキシムを雄弁に立証するものはない。

それ故に、市民に、紙片を分配して、各人は、誰にも自分の意見を知られることなく、投票できるようにされた。また、この投票紙を集め、投票を計算し、数を比較する等のためにも、新しい方法が設けられた。それでもやはり、これ等の職務を託された役人〔註〕の忠誠は依然としてしばしば疑はれた。そこで、遂には、陰謀と、投票の売買とを防ぐために、沢山の法令が発布された。その法令の数の多かったことは、それが無益であったことを示している。

〔註〕クストデス、デイリビトレス、ロガトレス、スフラギオルム。

ローマ共和国の末期には、法律の不備を補うために、しばしば、非常手段を訴うることを余儀なくされた。即ち、ある時には奇蹟があったと偽られた。けれども、この手段は人民を欺くことはできたけれども、人民の支配者を欺くことはできなかった。またある時は、候補者が陰謀を企てるいとまのないうちに、突然会議が召集された。またある時は、人民が勝ちほこって、不正な決議が行われようとしている時は、会議の全会期を、雑談で費やしてしまったこともあった。けれども遂に野心が最後の勝利を占めた。しかも、信ずべからざることであるが、この大国民は、かくの如き弊政の中にあって、なお、祖先の定めた制度のおかげで、行政官の選挙、法律の通過、訴訟の裁判、公私の事務の処理を、ほとんど元老院がなし得たであろうと同様に敏速に行っていったのである。


第五章 保民官

国家を構成している各部分の間に、正確な比例を打ちたてることが出来ない場合、あるいは、どうしても取り除くことのできない原因が、各部分間の関係を絶えず変えて行く場合には、他の部分と全く独立した特別の行政官を設けて、各項を真の関係に置き換え、王府と人民、王府と主権者、あるいは、必要な場合には同時に双方の連繋者あるいは中項たらしむる必要がある。

私が保民官 tribunat と呼ぶであろうところの、この団体は、法律と立法権との維持者である。 それは、時としては、ローマの保民官 tribuns du peuple がなしたように、政府に対して主権者を保護する任にあたることがある。また、時としては、今日ヴェニスの十人評議会 le conseil des Dix がなしているように、人民に対して政府を支持する任にあたることがある。しこうしてまた、時としては、スパルタの監察官がなしたように、両者の均衡を維持する任にあたることがある。

保民官トリビューンは、決して、都市国家の構成部分をなすものではない。だから、立法権または執行権を少しでももってはならない。とは言え、それ故にこそ、保民官の権力は絶大なのである。何となれば、保民官は、何もすることができないために、何でも阻止することができるからである。保民官は、法律の擁護者であるから、法律の執行者である王府よりも、法律の作製者である主権者よりも、神聖であり、崇敬される。それは、ローマにおいて、常に全人民を軽蔑していた尊大な貴族パトリシアン が、何等の保護も、裁判権ももっていなかった、この一介の人民の官吏オフイシエ・デュ・プープルには、頭を下げざるを得なかった事実によって明かにわかるのである。

穏健、聡明な保民官は、善良な組織の、最も強固な支柱である。けれども、保民官が、少し力をもち過ぎると、何もかも転覆してしまう。保民官は、その性質上弱過ぎるということはないのであるから、いやしくも保民官が存在している限り、それは保民官として弱すぎることはあり得ないのである。

執行権の調節者に過ぎない保民官が執行権を僭奪し、法律の保護者に過ぎない保民官が法律をつくろうとする時には保民官は暴君に堕してしまう。スパルタが、その風紀を保存していた限りは、危険のなかった監察官エフオールの大なる権力は、一度び腐敗がはじまると、この腐敗を加速的に促進した。スパルタの僭王(暴君)等に殺されたアギス Agis の血は、その後継者によりて復讐された。 監察官エフオール等のこの罪と罰とは、等しく、共和国の滅亡を促進した。しこうして、クレオメネス Cléomène 以後は、スパルタは、もはや物の数にも入れられなくなった。ローマもまた同じ轍を踏んで滅亡した。即ち、保民官は、徐々に権力を獲得して来て、その権力が過大になり、遂に、自由のために設けられた法律の助けを借りて、この自由を破壊した皇帝達の擁護者となった。ヴェニスの十人評議会に至っては、これは、血の法廷であり、貴族パトリシアンにとっても人民にとっても等しく恐怖の的であり、法律の保護というような高尚な使命を全く失って、堕落してしまってからは、ただ、闇の中で、誰にも気が付かれずに闇打ちをするだけのものになってしまっている。

保民官は、政府と同じように、その構成員の数を増すと弱くなる。ローマの保民官は、最初二人で、次に五人となったが、その数を更に倍加しようとした時に、元老院は、彼等が欲するままにさせた。それは、元老院は、保民官が、互いに牽制しあうことを確信していたからであるが、果してその通りだった。

かような恐るべき団体の僭権を防止する最上の手段は、これまで如何なる政府も気の付かなかった手段であるが、それは、この団体を常設的なものとしないで、一定の期間を定めて、その間は保民官をなくすることである。この期間は、悪政を増長せしむるに足る程長くてはならんから、法律によりて、必要に応じて、非常委員によりて、容易に短縮することができるように決めておくことができる。

この方法には、別段不都合はないように私には思われる。何となれば、前に言ったように保民官は、国家組織の一部をなすものでないから、これをやめても国家組織には何の影響も及ぼさぬからである。しこうして、この手段は有効であると私は思う。何となれば、新たに設けられた行政官は、前任者のもっていた権力から出発するのではなくて、法律が彼に与えた権力から出発するのだからである。


第六章 独裁官

周囲の事情に応じて屈伸することを妨げる、法律の不可撓性ふかとうせいは、ある場合には、法律を呪うべきものにし、危急存亡の時に際しては、法律そのものをして国家を滅亡せしめることがある。形式に則って、秩序的に、緩慢にやってゆくには、相当の時間がかかる。が、それは、時として事情が許さぬことがある。立法者が予想しない出来事は無数に起り得る。それ故に、全ての事柄を予想することができないということに気のつくのは、極めて必要な予想プレヴォワイヤンスである。

だから、政治組織を強くして、その運用を休止することが出来ないようにしてしまおうとしてはならない。スパルタでさえも、その法律を休息ドルミールさせたことがあるのである。

けれども、公的秩序の変改に匹敵するような危険は、最大の危険に他ならぬ。故に、国家の安危に拘わる場合の外は、決して神聖なる法の力を停止してはならぬ。かかる稀有の、わかりきった場合には、特別の行為によりて、公安を維持するに最も適した人に一任して公安を維持せしめるのである。この委任は、危険の種類によりて二通りに行うことができる。

もし、この危険を救済するために、政府の活動力を増しさえすればよい場合には、この活動力を、政府内の一二の人物に集中すればよい。かかる場合には、法の権威が変えられたわけではなくて、ただ、その執行形式が変えられたばかりである。もし、法律の道具立てが、却って危険を防止する障碍になる程危険が甚だしい場合には、一人の最高官を指命して、彼に一切の法律を沈黙せしめ、一時、主権を停止せしめるのである。かような場合にも、一般意志は厳然として存在する。しこうして、人民の第一の意思アンクンシィヨンは、国家を滅ぼさないことである。そういうわけだから、立法権の停止は、決して立法権を廃止するものではない。立法権を沈黙せしめた最高官は、これを語らせることはできない。彼は立法権を司配することはできるが、これを代表する事はできない。彼は何でもできるが、法律だけはつくれないのだ。

第一の手段は、ローマの元老院が、共和国の公安に備えるために、神聖な儀式によりて、執政官を任命した時に用いられた。第二の手段は、二人の執政官の中の一人が、一人の独裁官 dictateur を任命した時に行われた。〔註〕これは、アルブ Albe がローマに先例を示した習慣であった。

〔註〕この任命は、夜間、しかも秘密に行われた。まるで、ある個人を法律の上に立せるのを恥としたかのように。

ローマ共和国の初期においては、頻々として独裁政治が行われた。それは、国家が、まだその組織の力のみによりて自立し得る程に強固な基礎をもっていなかったからである。

その当時は、風紀が純朴であったから、他の時代においてなら必要であったであろうところの、様々な配慮は無用であり、独裁官が、その権威を濫用したり、彼が、期間が過ぎてしまっても、権威を維持しようとしたりする心配はなかったのである。その反対に、かような偉大な権力は、これを委任された人にとって重荷であったと見えて、あたかも、法律に代るというようなことは余りに苦しく、余りに危険な職務であるかのように、自ら速かに解職されようと急いだくらいである。

だから、初期において、この最高官が、無闇に設けられたのを私が批難するのは、独裁官の権威を濫用する危険があるためではなくて、この権威を失墜する危険があるためである。何となれば、選挙だとか、教会開堂式だとか、あるいは純然たる儀式の時に、無闇と独裁官が設けられては、いざ必要という場合に、独裁官のおどしが利かなくなり、独裁官というものは、何でもない儀式の時にしか用のない、空虚な官職であると思ってくるようになる恐れがあるからである。

共和国の末期には、ローマ人はずっと慎重になって、容易に独裁官を設けなかった。これも以前に独裁官を濫設したのと同様に、ほとんど理由のないことである。彼等の杞憂が根拠のないものであったこと、首府の弱いことは、その当時、首府の真中にある行政官共に対して首府を安全ならしめたこと、独裁官は、ある場合には公共の自由を擁護することはできるが、これに害を加えることはできぬということ、並びに、ローマの鉄鎖は、ローマの中でつくられるのではなくて、ローマの軍隊の中でつくられるであろうということは容易にわかった。マリウスがスッラに対して、また、ポンペイウスがシーザーに対して、ほとんど抵抗し得なかったことは、国外の力に対して、国内の権威に何物を期待することができたかを十分に示すであろう。

この誤謬が、ローマ国民をして数々の大失敗を演ぜしめたのである。たとえば、カティリナ事件(ローマにおける有名な大官暗殺陰謀事件である)において独裁官を任命しなかったという失敗の如きはそれである。何となれば、これはローマ都市内の問題、せいぜいイタリアのある一地方の問題に過ぎなかったのだから、独裁官なら、法律によりて与えられた無制限の権威をもって容易にこの陰謀を一掃し得たであろうに、実際は、人間の智略では、到底期待し得られない幸運が揃ったので、やっと鎮圧されたに過ぎなかったからである。

ところが、元老院は、独裁官を設けようとはしないで、その代りに、自己の全権を執政官に一任した。その結果、キケロ(カティリナ事件の後執政官に選ばれた)は、有効な行動をとるために、やむを得ず、重要な点において、越権の挙に出でたのである。そして、当初歓喜で夢中になっていた間は、彼の行為は是認されたが、次いで、彼が、法律に反して市民の血を流した理由を詰問されたのは当然であった。こんな批難は、独裁官になら、決してなし得なかったであろう。けれども、執政官キケロの雄弁は、これを切り抜けた。そして、彼自身は、ローマ人であったにも拘らず、祖国よりも、自分一個の栄達を愛し国家を救うための、最も合法的にして最も確実な手段を求めないで、この事件の名誉を一身に担う手段を求めた。〔註〕だから彼がローマの解放者として尊敬されたのも正当であるが、彼が、法律の違背者として罰せられたのも正当である。彼が再び執政官の職に召還されたことが、如何に立派であったにしても、それが恩寵であったことは確かである。

〔註〕それだから彼は、独裁官の設置を提唱したものかどうかと迷ったのである。というのは、まさか自分で自分を任命するわけにもゆかず、そうかと言って、彼の同僚が彼を任命してくれるかどうかわからないからである。

また、この重要な委任が、どんな風に行われるにしても、その任期を、ごく短期に決めて、決して延期できないようにすることが必要である。独裁官を設定せしめるような危機においては、国家は、まもなく滅亡するか助かるかである。故に、差し迫った必要が過ぎ去れば、独裁官は暴君になるか無用になるかである。ローマにおいては、独裁官の任期は六ヶ月に過ぎなかったが、大部分は、満期前に職を退いた。もし、この任期がもっと長かったならば、彼等は恐らく、それを、更に延期しようと企てたであろう。ちょうど、十人官が、一年の任期を延期しようとしたように。独裁官は、彼を選ばしめた必要を処理するだけの時日しかもたなかった。即ち、彼は、他の計画を夢想する時日をもたなかったのである。


第七章 都察官

一般意志の宣告が法律によりてなされるように、公衆の判断の宣告は都察官によりてなされる。世論は、都察官が執行する一種の法律であって、都察官は王府にならって、特殊の場合にのみこれを適用するのである。

故に、都察官の法廷は、決して国民の世論の審判機関ではなくて、その宣告機関に過ぎないものであり、人民の世論とはなれるや否や、その判決は、空虚な、無効なものになってしまう。

一国民の道徳ムールを、その国民が尊敬している事物から、区別するのは無益である。何となればこの両者は、同一の原則から出たものであり、必然的に相混同しているものだからである。世界の全国民は、自然ではなく、世論によりて、彼等の快楽を選定する。人間の世論さえ正しくすれば、その道徳はひとりでに純化して来る。我々は常に、いもの、あるいはいと思うものを愛する。ところが、我々は、この判断において誤るのである。だから、この判断を正しくしなければならない。道徳の何たるかを判断するものは、名誉の何たるかを判断するものであり、名誉の何たるかを判断するものは、その規準を世論に求める。

ある国民の世論は、その国の組織から生れる。法律は、道徳を支配するものではないけれども、道徳を生じさせるものは立法である。立法が微弱になれば、道徳は頽廃する。けれども、その時になっては、都察官の裁判は、法律の強制力が如何ともなし得なかったことを、どうすることもできはしない。

ここにおいてか、都察官は、道徳を保持するには役に立つが、一旦失われた道徳を回復するには、決して役に立たぬということになる。都察官は法律の力が盛んな時に、設置すべきである。法律が力を失ってしまえば、もう絶望である。法律が強制力を失ってしまえば、如何なる合法的なものも、強制力を失ってしまうのである。

都察官は、世論の腐敗をふせぎ、賢明な適用によりて、世論の正しさを保持し、時には、世論がまだ不定である時に、これを固定せしめることさえも、敢えてすることによりて、道徳を維持する。フランス国内において、極度に猛烈に行われた決闘において、介添人スゴンドを用いることは『介添人の助けに依頼するが如き卑劣漢は』という、簡単な勅令によりて廃止された。この判決は、公衆の判断に先行したものであったから、たちまちに、これを決定してしまったのである。ところが、この同じ勅令が、決闘をすることもまた卑劣な行為であると宣言しようとすると、実際、決闘は卑劣な行為であるにも拘らず、それは公衆の世論に反した判断であったから、公衆は、自己の判断が既に前もってきまっていた点に関するこの判決を嘲笑した。

私は、公衆の世論は、決して強制力に屈服するものではないから、世論を代表するために設けられた法廷においては、少しも強制力を用いてはならぬということを、他で述べたことがある。〔註〕我々近代人が、すっかり失ってしまっているこの強制力によらざる手段を、ローマ人、特にギリシャ人が、如何に巧みに駆使したかは、どんなに讃嘆しても、讃嘆しすぎる気遣いはない程である。

〔註〕私は、この章においては、私が「ダランベールに与うる書」Lettre à M. d'Alembert において詳細に述べた事柄をざっと説明したに過ぎないのである。

ある不道徳な人が、スパルタの議会コンセイユにおいて、立派な意見を開陳した時、監察官エフオールは、それには少しも耳を傾けないで、それと同じ意見を、徳行の正しい別の市民に開陳させた。いずれを賞めもせず、いずれを責めもしないで、一方にこれほどの名誉を与え他方にこれほどの不名誉を与えた手際は讃嘆に余りがあるではないか! また、サモス Samos 〔註〕の泥酔者が、監察官の法廷を汚したことがあった。するとその翌日になって、監察官は、サモス人は賤民ヴィジンに編入すべき旨を公示した。こんな風にして罰せられずに許されたのは、本当に罰せられたよりも、どれ程つらかっただろう。スパルタがこれは正しいとか、あるいはこれは正しくないとか宣告すると、ギリシャはその判断を少しも争わなかったのである。

〔註〕これは他の島から来たのであるが、この場合我が国の言葉はデリケートだから私にはどうしてもこの島の名を言うことができない(本当の島の名はシオ(chio)というのであるが、多分この言葉の語呂が厭な言葉を連想させるから、ルソーはこれを使わなかったのだろう。またある人は、件の泥酔者は監察官の法廷を煤(シユイ)で汚したのであるから、シオとシユイとの音が似かよっているからだと言っておる。いずれにしても、この島がシオ島であることは、プルタルコスによりて明かであるが、ルソーがこれを言わなかった理由ははっきりしない。――訳者付記)。


第八章 市民の宗教

人間は、はじめ神々以外に王をもたず、神政政治以外に政治をもたなかった。彼等は、カリグラと同じ推理をした。そして当時においては、彼等の推理は正しかったのである。人間が、自分の同胞を支配者としようと決心し、それがよいことであると思いこむことができるまでには、長い年月かかってその感情と思想とを変えてゆかねばならなかった。

神が、各政治社会の首長にされたという事実から、当然、神の数は国民の数と同じだけあったということになる。ほとんど常に敵対関係にある異国民は、長く同一の支配者を承認することはできないことであろう。それは相戦っている二つの軍隊が、同じ指揮者に服従することができぬと同じである。 こういうわけで、国家が区分されているという事の結果として多神教ポリティスムが生じ、多神教から、異教排斥と異国民排斥とが起った。この二つは、本来同じものなのである。そのことは次に説明するであろう。

野蛮国民も、自国の神と同じ神を崇拝しているのであると考えたギリシャ人の妄想は、彼等が、自らを、これ等国民の生れながらの主権者であると考えた妄想から来ている。けれども、今日、モロクとサトゥルヌスとクロノスとを同じ神であるとしたり、フェニキア人のバアルと、ギリシャ人のゼウスと、ローマ人のジュピターとを同じ神であるとしたり、異なった名前のついているこれ等の架空的存在物に、何等かの共通なものが残っておると考えたりして、異なった国民の神々を同一視せんとする知ったかぶりの議論は滑稽極まるものである。

各国家が、それぞれ別々の宗教と神とをもっていたこの異教時代に、宗教戦争が起らなかったのは何故かと問う人があるならば、私は答える。それは、各国家が、それぞれ独自の宗教と政府とをもっていたために、その神と、その法律とを区別しなかったという事実によってである。政治戦争は同時に宗教戦争であった。神々の領分は、言わば、国境によりて決められていたようなものである。ある国民の神は、他の国民に対しては、何等の権利をももっていなかったのである。異教徒の神々は、嫉妬深い神々ではなかった。彼等は、彼等同士で、世界を分けて支配していたのである。モーゼ自身並びにヘブライ人も、イスラエルの神について語る時に、時々こういう思想に陥っていた。彼等がカナン人の神々を全然尊敬しなかったのは事実である。それは、カナン人は、神に呪われた国民であり、滅亡の宣告を受けた国民であり、彼等がこの国民に代るべきであったからである。けれども、彼等が攻撃することを禁じられていた隣国の神々について、彼等がどう言っているか見るがよい。エフタはアンモン人に向って次のように言っている。『汝は汝の神ケモシが汝に取らしむるものを取らざらんや、我らは我らの神エホバが我らに取らしむるものを取らん』(旧約聖書、士師記第十一章二十四)。〔註〕これによりて見ると、ケモシの神が権利をもっている領土とイスラエル人の神が権利をもっている領土とは、ちゃんと区別されていたように思われる。

〔註〕ラテンの本文では〈Nonne ea quae possidet Chamos deus tuus, tibi jure debentur?〉(Jug. XI. 24)となっている。ところが、師父カリエール(Le P. Carrières)は次の如く仏訳した。〈Ne croyez-vous pas avoir droit de posséder ce qui appartient à Chamos, votre Dieu?〉私はヘブライの原文がどれ程力強い言い回しになっているかは知らない。 けれども、ラテン文では、エフタは、はっきりと、ケモシの神の権利を認めておるが、仏訳者は、ラテン文にはない「我々によればスロン・スウ」という言葉によりて、この承認を弱めていることは、我々にもわかる。

ところが、ユダヤ人がバビロン王に征服され、ついでシリア王に征服された時、彼等は彼等の神以外の神をどうしても承認しようとしなかった。そこで、この拒絶は征服者に対する反抗と見なされ、やがて彼等に迫害をもち来したのである。この事は彼等の歴史を見ればわかるが、これはキリスト教以前には類例のないことである。〔註〕

〔註〕神聖戦争ゲールサクレと呼ばれているフォキス戦争が宗教戦争でなかったことは明白である。この戦争の目的は、冒涜者の 膺懲ようちょうであって、不信者の征服ではなかった。

それ故に、各宗教は、これを規定している国家の法律に、専ら付属していたのである。ある国民を改宗させるには、これを征服するより外には道がなかったのである。征討軍以外の伝道隊はなかったのである。そして改宗の義務は、被征服者の従うべき法律であったのであるから、改宗を語る前に、先ず征服することが必要であった。人間が神のために戦うどころではなくて、ホメロスの詩にあるように、神々が人間のために戦ったのである。各国民は、自分の神に戦勝を祈り、その戦勝に報いるに、新しい拝壇をもってしたのである。ローマ人はある都市(ブラース)を占領する前に、先ず、その土地の神を召喚して、そこから退去することを要求した。それで、ターラント人に、激怒している彼等の神々を礼拝させておったのは、彼等が、この神々を、ローマの神々に服従し、その臣下たることを余儀なくされたものと見做したからである。ローマ人は被征服者に、彼等の旧法律を許したと同じように、被征服者に、彼等のもとの神々を許したのである。カピトルのジュピターに一つの冠を献納することが、ローマ人が被征服国民に課した唯一の貢税トリビューであったこともしばしばある。

最後に、ローマ人は、その帝国とともに、その宗教と神々とを拡大し、しばしば彼等自らも被征服国民の神々を採用して、都市の権利を双方の神々に与えたので、この大帝国の国民は、知らず知らずのうちに、多くの神々と宗教とをもっているようになった。そして、それは到る処で、ほとんど同じようなものだったのである。そういう訳で、当時既知の世界における異教が、遂に唯一の同じ宗教に過ぎなくなってしまったのである。

かかる事情の下に、キリストが、地上に霊の王国を建設するために現れた。この地上天国は、宗教と政治とを分離し、国家の統一を破り、国内の分裂をかもした。この分裂は、キリスト教国民を、絶えず悩ましたのである。しかるに、この、霊の王国という新思想は、異教徒の頭へはどうしてもはいらなかったので、彼等は、常に、キリスト教徒をもって、表面は服従しているように偽って、その実、独立して自ら支配者になり、現在は無力なために権威を尊敬しているようなふりをしているが、やがて、その権威を巧みに僭奪する機会ばかりを狙っている、真の叛徒と考えたのである。これがキリスト教徒迫害の原因だったのである。

異教徒が恐れていたことは遂に到来した。そこで、局面が一変した。謙譲なキリスト教徒の態度は打って変って来た。やがて、この彼等のいう霊の王国は、現実の首長の支配の下に、地上における、最も甚だしい専制を発揮したのである。

しかるに、地上には、常に王者があり国法があったものだから、この二重の権力が存在する結果として、不断に、権限の衝突が起り、そのために、キリスト教国家においては、一切の善政が不可能になった。そして、何人も、国王に服従すべきか、教主に服従すべきかの決断に迷うたのである。

この間、ヨーロッパ及びその近国においてさえも、多くの国民が、古来の制度を保存し、あるいは再建しようと欲したが、皆失敗に終った。キリスト教の精神は全てを風靡した。神の礼拝が主権者と独立していたところでは依然としてその独立を維持し、一度びその独立を失ったところでは、再びこれを回復し、国家団体との間に必然的関係はなくなった。マホメットは極めて健全な見解を持していた。彼は、その国家制度をよく統一した。そして、彼の後継者の教主カリフ等の下に政治が存続していた間は、その政治は正確に一体であって、その点においては善かった。ところが、アラビア人が繁栄し、開化し、文弱に流れ、遊惰に堕するに及んで、蛮人のために征服されてしまった。ここにおいて、二つの権力の間に分裂がはじまった。この分裂はマホメット教国においては、キリスト教国における程顕著ではないけれども、やはり、あるにはあったのである。特にアリー宗派において、それが著しかった。そして、ペルシャのように、この分裂が今日まで続いている国もあるのである。

ヨーロッパでは、イギリスの国王達は、自ら教会の首長になった。ロシアの皇帝ツァー達もそうである。けれども、彼等は、この称号によりて、教会の支配者になったというよりも、むしろその使用人になったのである。彼等が獲得したのは、教会を変える権利ではなくて、これを維持する権利である。彼等は、教会の立法者レジストールではなくて、その王府に過ぎぬのである。僧侶が、一体〔註〕となっている所では、到る処において、僧侶は、その国の支配者であり、立法者である。そういうわけだから、イギリスにも、ロシアにも、他の国と同様に、二つの権力、二つの主権者があるのである。

〔註〕僧侶を一体に結びつけるものは、フランスの宗教会議アサンブレのような、形式的な会議ではなくて、教会同盟コミュニオンであるということをよく注意しなければならぬ。この同盟と破門とは、僧侶の社会契約であり、この契約によりて、僧侶は、常に、国民と国王との支配者になっているのである。同盟に加入している僧侶はたとえ、世界の両端に住んでいても市民である。この発明は、政治上の一大傑作である。異教徒の僧侶の中には、こういうようなものはなかった。彼等は、決して僧侶の団体をつくらなかった。

キリスト教国のあらゆる学者の中で、この弊害と、その救治策を十分に理解していた唯一の人は、哲学者のホッブズであって、彼は、断固として、鷲の両頭を一つにして、政治的統一の回復に全力を注がなければ、国家あるいは政府の組織が正しくなる気遣いはないと主張した。けれども、滔々とうとう たるキリスト教の支配精神は、彼の学説とは両立しないこと、僧侶の利益は、常に、国家の利益よりも強いことを彼は明察すべきであった。彼の政治論が嫌われたのは、それが、恐るべき説であったり、誤った説であったためではなくて、それが、正しい、真実な説であったからである。〔註〕

〔註〕色々ある中で、一六四三年四月十一日付で、グロチウスが、その兄弟へ送った書簡の中で、この碩学が、ホッブズの著書(de Cive)において、如何なる点を称揚し、如何なる点を批貶しているかを参照されたい。もっとも、彼は寛大な精神に動かされて、ホッブズの説の悪いところがあるために良いところをも寛恕しておるように思われる。けれども全ての人はこれ程にも寛容ではない。

かような見地から歴史的事実を見てゆけば、ベイル(Plerre Bayle, 有名な歴史辞典の著者)とウォーバートンとの相反する意見を容易に弁駁べんばくすることができると私は思う。この中で、前者は、政治体には、如何なる宗教も無用であると主張し、後者は、これと反対に、キリスト教は国家の最も強固な支柱であると主張しているのである。我々は、前者に対しては、宗教に基礎を提供されずに建設された国家はないという証拠をあげることができる。また、後者に対しては、キリスト教の掟は、根底において、国家の強固な組織には有益であるよりも寧ろ有害であるということを証明することができる。私の真意を明かにするためには、私のここで説いている問題に関して、極めて漠然たる、宗教の観念を、今少しく明かにすればよい。

社会は、一般的社会かあるいは特殊的社会かのいずれかであるが、宗教も、社会との関係から考えると、二種に分けることができる。即ち人間の宗教と市民の宗教とがこれである。前者は、寺院もなく、拝壇もなく、儀式もなく、専ら、至上神の純粋な内心礼拝と道徳の永遠の義務とに限られたものであって、純粋、単一な福音教であり、真の有神論テイスムである。これは自然神法 le droit divin naturel と呼ぶことができる。後者は、ある一国に限られ、この国に神々を与え、これに特有の守護者を与える宗教である。この宗教はその教義ドグマを有し、その儀式を有し、法律によりて定められた、その外部的礼拝をもっている。故に、これを信奉している一国外においては、この宗教にとっては、全てのものが、不信の徒であり、異邦人であり、蛮人である。この宗教は、人間の権利義務を拝壇より遠くへは及ぼさない。原始諸民族の宗教は、全てかような宗教であった。我々は、これを市民神法あるいは人的神法 droit divin civil ou positif と呼ぶことができる。

これよりも、更に奇径な第三の宗教もある。それは、人間に、二つの立法、二つの君主、二つの祖国を与え、彼等を相矛盾せる義務に服従させ、彼等をして、忠実な信徒であることと、忠誠な市民であることとを同時に妨げしめるものである。ラマ及び日本の宗教がそれである。ローマのキリスト教もそれである。我々は、このローマ教を僧侶の宗教と呼ぶことができる。かような宗教から生ずるのは、一種の混合した、非社会的な法であって、それには名前のつけようがない。

この三種類の宗教を、政治的に考察すれば、皆それぞれ欠点をもっている。第三の宗教が悪いことは明白であって、そのことを証明するのは全くの暇つぶしである。社会的統一を破るようなものには全て何の価値もないのである。人間を自己と矛盾させるような制度は無価値である。

第二の宗教は、神の礼拝と法律に対する愛とを結びつけている点において、また、祖国を市民の尊崇の標的として、国家に奉仕することは、国家の守護神に奉仕する所以であることを教えている点において、良い宗教である。これは、帝王の他に教主を許さず行政官の他に僧侶を許さぬ一種の神政政治である。故に国家のために死ぬのは殉教であり、法律を犯すことは冒涜であり、罪人を公刑に処するのは、彼を神の怒りにささげること、Sacre esto(神に呪われよ)である。

けれども、この宗教は、誤謬と虚偽との上に打ちたてられたものであって、人間を欺き、人間を妄信あるいは迷信に陥らせ、真の神の礼拝を、空虚な儀式の中に溺れしめる点において、悪い宗教である。更にまたこの宗教は、排他的、暴政的となって、ある国民を、残忍、不寛容ならしめる時は悪い宗教であって、その結果、その国民は殺戮、虐殺を事とし、彼等の神を信じない者を誰でもかまわず殺しながら、神聖な行為をしていると信ずるようになるのである。かような場合には、この国民は、他の一切の国民と戦争する自然状態におかれるのであって、それは、この国民自身の安全にとっても、極めて有害である。

それ故に、あとに残るものは、唯、人間の宗教、即ち現代のキリスト教ではなくて、福音書のキリスト教だけである。けだし、この両者は全く別のものである。この神聖、崇巌なる真の宗教によりて、同じ神の子なる人間は、互いに他の全ての人間を兄弟と見なし、これ等の人々を結合する社会は、死んでも解けないのである。

けれども、この宗教は、政治体に対しては、何等特別の関係をもっていないから法律は、もとからもっていただけの力をもつに止まり、これに何物をも付加しない。従って、個々の社会の一大連鎖が効力を失って来る。加之しかのみならず、更に進んで、この宗教は市民の心を国家に結びつけないで、地上の全てのものとともに、これを国家から離れさせる。私は、これ以上に社会的精神に反したものを知らない。

真のキリスト教国民は、我々の想像し得る、最も完全な社会をつくるだろうと言う人がある。私はこの仮定には、一大難点しかみとめない。それは、即ち、真のキリスト教徒の社会は、もはや人間の社会ではなくなるだろうということである。

更に進んで、私は、この仮定的社会は、如何に完全であっても、最も強固な社会でもなければ、最も永続的な社会でもなかろうと言いたい。かような社会は、完全であるがために、その結合力を欠くであろう。かかる社会を亡ぼす欠点は、それが完全であるという事自体に存するのである。

各人は自己の義務を果たすであろう。国民は法律に服従するであろう。君主は公正仁慈であるだろう。官吏は廉直潔白であるだろう。軍人は死を軽んずるであろう。虚栄もなければ、奢侈しゃしもないであろう。これ等は全て、甚だ結構である。けれども、もう一歩深く調べて見なければならぬ。

キリスト教は全く心霊の宗教である。専ら天上の事柄にのみ専心している宗教である。キリスト教徒の祖国は、この世界ではないのである。キリスト教徒が、義務を果たすのは本当である。しかしながら、彼は、自分のすることが成功しようが失敗しようが、そんなことには全く無頓着である。 自分さえ俯仰天地に恥じなければ、彼はこの世界がうまくおさまって行こうと、悪くなろうと毫も意に介しないのである。たとえ国家が栄えていたところで、彼は、到底、社会の幸福を享受するようなことはしない。彼は自国の光栄に心が驕ることをひたすら恐れるのである。もし、彼の国が衰微しても、彼は、彼の国民に重く加えられた神の手を祝福するのである。

かような社会が平和であり、調和が維持されてゆくためには、全ての市民が、一人の例外もなく、等しく善良なキリスト教徒である必要があるだろう。けれども、もし不幸にして、そこに、唯一人の野心家、唯一人の偽善家、たとえば、一人のカティリナ、一人のクロムウェルがあったならば、これ等の人は、必ずや、敬虔なる、彼等の同国人を利用すること必定である。キリスト教の慈悲は、隣人に悪意を抱くことを容易に許さない。そこで、この野心家が、何等かの奸策によりて、彼等を欺き、政権の一部を獲得するようになったが最後、彼は神意によって威厳を加える。彼が衆人に尊敬せられるのは神意であるということになる。やがて彼に権力が生ずる。衆人が彼に服従するのは神意だということになる。この権力の保持者は、それを濫用する。すると、それは神がその子等を罰する鞭だということになる。彼等はこの僭奪者を追放することを、躊躇するであろう。彼を追放するためには、公安を乱し、暴力を用い、血を流さねばならぬ。しかるに、左様なことは、キリスト教徒のやさしい心と調和しない。そこで、結局、この、不幸の谷間ガアレ・ド・ミゼエルにおいて、自由であろうと、奴隷であろうと、何の関するところがあろう? 要は天国へゆくことである。そして、忍従していることは、天国へゆくための一手段に他ならぬのである。

もし外国と戦争がはじまったならば、市民等は、平然として戦争に赴く。誰一人逃げようなどとするものはない。彼等は彼等の義務を尽くす。けれども勝利に対する熱望はもっていないのである。彼等は勝つことよりも死ぬことを知っている。勝敗などは、彼等に何の関するところがあろう。彼等のなすべきことは、彼等自身よりも神がよく知っているではないか? 彼等の超世主義ストイシスム に対して、尊大、大胆にして勝利の熱望に燃える敵が如何に有利な立場にあるかを想像して見るがいい。彼等に対して、名誉と祖国とに対する熱愛に燃えている高貴な国民を向わせて見るがよい。諸君のキリスト教共和国が、スパルタあるいはローマと対戦すると仮定して見るがよい。敬虔なるキリスト教徒は、気をとりなおすひまもなく、撃破され、粉砕され、絶滅されるであろう。もし助かるとすれば、それは、敵が彼等に対して侮蔑を抱いたからに外ならぬだろう。ファビウスの軍隊の宣誓は、私の考えによると、立派な宣誓であった。彼等は、戦死することも、勝つことも誓わずに、勝って凱旋することを誓ったのである。そしてこの誓いを果たしたのである。キリスト教徒は、決してかようなことをしなかった。彼等はかようなことは、神を試みることだと考えたであろう。

しかしながら、私がキリスト教共和国と言ったのは間違いである。この二つの言葉は互いに相容れぬ言葉である。キリスト教は服従と他力としか説かぬ。キリスト教の精神は暴君にあまり都合がよすぎるので、たとえ暴君がそれにつけこんでも、暴君は必ずしもこれを利用しているとは言えないくらいである。真のキリスト教徒は、奴隷になるようにつくられているのである。彼等はそれを知りながら平気でいるのである。この短い人生は、彼等の注意をひくにはあまりに無価値すぎるのである。

キリスト教徒の軍隊は優秀な軍隊であると言うものがある。私はそれを否定する。願わくはその証拠を示して貰いたいものだ。私は、そもそもキリスト教徒の軍隊なるものを知らないのである。十字軍がそうだという人があるかも知れぬ。十字軍の勇気は勿論認めるが、私は十字軍なるものは、決してキリスト教徒ではなくて、あれは、僧侶の軍隊であり、教会の市民の軍隊であったということを指摘する。彼等は、心霊の国のために戦ったのであるが、教会は、この心霊の国を、どうしてか、現世の国にしてしまっていたのである。これはよく注意して解すれば、異教にはいるものである。福音教は、国民の宗教を設けないから、キリスト教徒の間においては、神聖戦争は全く不可能である。

異教徒の皇帝の下においては、キリスト教徒の軍隊は勇敢であった。全てのキリスト教国の学者はそれを認めているし、私もそれを信じている。それは異教徒の軍隊に対する名誉の競争であったのだ。皇帝がキリスト教の信者になるや否や、この競争はなくなり、十字架がローマの鷲の国旗を追い払った時には、ローマ人の勇気は全く消え失せてしまったのである。

しかしながら、政治上の考察はしばらく措いて、権利の問題にかえり、この重要問題に関する原理を定めよう。社会契約が主権者に与えている、臣民に対する権利は、私が前に述べたように、公共のために利益であるという限界を越えぬのである。〔註〕故に、臣民が、その意見に対して主権者に責任を負う場合は、その意見が、国家に重大な関係をもっている場合に限られている。しかるに、国家は各市民に、彼の義務を愛させるような宗教を、各市民にもたせることが大切である。ところが、この宗教の教義は、この宗教を信ずる人が、他人に対して果たすべき道徳や義務に関する場合の外は、国家にも、その構成員にも無関係なのである。各人は、その他に、自分の好きな意見をもってもよいのである。そして主権者は、それに関知しなくともよいのである。何となれば、主権者は、未来の世界においては何の権限ももっていないから、来世における臣民の運命がどうであろうとも、それは主権者の知ったことではないのである。主権者にとっては、ただ、現世において、その臣民が善良な市民でさえあればよいのである。

〔註〕ダルジャンソン侯爵は「共和国においては、他人を害しない限りにおいて各人は完全に自由である」と言った。これは万代不易の限界である。これ以上正確な制限を設けることは不可能である。私は、朝に立つに及んでも真の市民の心を失わず、自国の政府について、正しい建全な見解を持していた、この高名な尊敬すべき人を記憶するために、一般には知られていないけれども、この人の草稿から、時々引用するの喜びを禁ずることができなかった。

それ故に、主権者が細目を決定すべき、純然たる市民的の信仰宣誓なるものがある。但し、主権者が、その細目を決定するのは、宗教の教義としてではなくて、善良なる市民たり、忠実な臣民たるために必要欠くべからざる社会的感情としてである。〔註〕主権者は、これを信ぜよと何人にも強制することはできないけれども、これを信じない者は何人たるを問わず、国家から放逐することができる。しかし、主権者が彼を放逐するのは、不信者としてではなくて、非社会的な人間としてである。心から法律を愛することができず、正義を愛することができず、必要にのぞんで生命を義務のために犠牲にすることのできない者としてである。もし、この教義を公けに認めながら、これを信じないもののような行為をする者があった場合には、かかる人を罰するには、死をもってすべきである。かかる人は最大の罪悪を犯したのである。即ち法律の前に偽ったのである。

〔註〕シーザーは、カティリナを弁護して、霊魂は滅びるという教義を唱えようとした。カトーとキケロとは、これを論駁するために、理屈をひねくったりせずに、シーザーの言は不良なる市民の言であって国家に有害な説を唱えたということを示すだけで満足した。実際ローマの元老院の審判すべき問題は、その点であって、神学上の問題ではなかったのである。

市民宗教の教義は、単純で、その細目は少なく、明確に言い表わされていて、説明や註解のないものでなければならぬ。全能、全知、慈悲、先見、仁徳なる神の存在、来世の生活、正義の人は栄え、悪は滅ぶること、社会契約並びに法律の神聖、以上が、その積極的教義である。消極的教義に至っては、私はそれをただ一つに限る。それは即ち異教排斥アントレランスである。この異教排斥は、我々が排斥した宗教に属するものである。市民的の異教排斥と神学上の異教排斥とを区別する人々は間違っていると私は考える。この二つの異教排斥は別つべからざるものである。神に呪われていると信ぜられている人々と平和に暮してゆくことは不可能である。彼等を愛するのは、彼等を罰した神を悪むことである。かかる人は、再び信仰に立ち返らせるか、しからざれば、これを苦しめることが絶対に必要である。神学的の異教排斥が許されているところでは、必ずや、それは何等かの市民的効果をもたざるを得ない。〔註〕しこうして、これが効果をもつや否や、主権者は、もはや主権者ではなくなる。俗界の主権者でもなくなる。この時から、僧侶が真の支配者となり、国王は僧侶の役人に過ぎなくなる。

〔註〕たとえば、結婚は、市民的契約であって、市民的効果をもっている。この効果なくしては、社会の存続さえも不可能になる。ところがこの結婚を許す権利は、異教排斥の宗教においては、必然的に僧侶が僭奪するのであるが、今この権利が、ある僧侶の独占に帰したと仮定すれば、その時には、僧侶は教会の権威を強くして政府の権威を無力にし、政府は、僧侶がそれに与えようと思うだけの臣民しかもたなくなることは明白ではないか? 人々がかくかくの教理を信じていると否とにより、彼等がかくかくの儀式を承認するかしないかにより、彼等の信仰の厚薄により、これ等の人々を結婚させるのも結婚させないのも、教会の方寸の中で決せられることになれば、彼は慎重着実に事に処してゆくことにより、遺産、官職、市民、更に進んでは、国家そのものさえも思うままに処理し得るに至ることは明かではないか? けだし国家は、私生児のみでできているとすれば、存続してゆくことができないからである。けれども、職権濫用の名によりて控訴し、召喚し、拘引し、教会の収入を差押えることができるという人があるかも知れない。あわれむべき考えだが僧侶は、ほんの少しばかり、勇気とは言わぬ、ただ常識もっていれば、平気でそんなことはさせておくだろう。彼は平然として控訴され、召喚され、拘引され、差押えられるだろう。そして、依然として支配者たることを失わぬだろう。確実に全部を手に握っている時には、一部分を放棄するのは、大なる犠牲だとは、私には思われない。

今日では、もはや、排他的の国教はなく、またあり得ないから、我々は、その教義が市民の義務と矛盾しない限り、他の宗教を寛容する宗教はすべて寛容すべきである。けれども教会の外に済度なし、などと説く者は、何人たるを問わず、国外に放逐すべきである。けだし、国家が教会でなく、帝王が司教でない限り、それは当然の処置である。かかる教義は、神政政治以外には適しないものである。それ以外の政治にはことごとく有害である。アンリ四世がローマ旧教を認容した理由であると言われている理由は全ての廉直の士、就中なかんずく、物の道理をわきまえた全ての帝王をして、ローマ旧教を放棄せしむる理由たるべきである。


第九章 結論

政治的権利の、真の諸原則を立てて、国家をその基礎の上に据えつけようとする試みは、これで終ったから、後に残っている問題は、対外関係によりて、国家を強固にすることである。この問題は、国際法、通商、戦争及び征服の権利、公法、連盟、商議、条約等を包含するであろう。けれども、これ等は、極めて広汎なる新問題を形成するものであって、私の狭い眼界を遥かに超えている。私は、終始私の眼界を、もっと局限しなければならなかったくらいだ。

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